桐野さん、こんにちは。
「京都井伊美術館」で検索されると、著者である井伊達夫さんのサイトに行けます。
ま、彦根では、名の知れた方ですね。(いろんな意味でも・・・)
与板井伊家については、直勝関連でもしかしたら佐和山城の資料(直政が入部した当初の)が残ってないか、SHUNさんにわざわざ与板にまで出向いて調べてもらったことがあります。
結局、何もなかったのですが・・・(苦笑)
びわこさん、お久しぶりです。
京都井伊美術館のご紹介有難うございます。
建仁寺の近くにあるんですね。知りませんでした。
与板藩については、ほとんど知られていないでしょうね。
いま、彦根は「ひこにゃん」とか「しまさこにゃん」が大ヒットだそうで。でも、「みつなりにゃん」?はいまいちだそうですね(笑)。
曲がりなりにも井伊達夫氏は子爵の末裔になられたので、ご存じかと思ってましたので、そっちの方にびっくりしました。
>(いろんな意味でも…)
気になるけど、その先は聞かないほうが身のためでしょうか(苦笑)
甲冑関係の新聞記事などでよく名前のあがる人ですね。
ひこにゃんは、肝心の祭りよりひこにゃん自体が有名になりすぎたような(汗)あの気の抜けたモチのような風情はいわゆる和み系キャラクターで一目見たら忘れられませんが。好きな物に「かに」なんて書いてますね。「肉」は近江牛つながりで分かるんですが、なんでカニ好きなんでしょう。ロシアからの輸入が減って高いのに…モチの分際で贅沢だ(苦笑)。
「みつなりにゃん」…公式HPにはいないようですが、あの”佐和山城”をイメージしたキャラクターなんでしょうか…。
と思ったら、「みつなりにゃん」らしきものを、ひこにゃんの生き別れの姉のサイトで見つけました。
http://kyoto-tower.co.jp/kyototower/activity/img/hikone.jpg
ばんないさん、こんにちは。
ご紹介のサイトを拝見。
みつなりにゃんって、兜かぶってるほうでしょうか?
少し陰険そうに見える……。
桐野さん、みなさん、こんにちは。
>いろんな意味でも
なんて、意味深な書き方をして申し訳ありませんでした。
新修彦根市史にも膨大な資料を提供されていますし、甲冑・刀剣関係はもちろん、いろんなところでお名前を拝見します。
さて、肝心のお祭りよりもひこにゃん・しまさこにゃんが人気沸騰の彦根ですが、私も時々、さこにゃんの中身をやらされてます(笑)
普段は、もっと若手がやってるんですけど、この若手の都合がどうしてもつかない時は、呼び出されます。
そんなさこにゃんの夢は、佐和山城で主君・三成と鮒寿司を肴に花見酒をすることなんですよ。(笑)
あ、桐野さんは猫好きですよね。
癒し系のひこにゃんは桐野さんの心をくすぐるのかなぁ。。。
いしだみつにゃんに関しては、いよいよ三成まで猫になったか・・・って感じです。
ちなみに大谷にゃんぶ(刑部)とか、こににゃん(小西行長)とかもいるみたいです。
板倉さん、びわこさん、こんばんは。
しまさこにゃん、いしだみつにゃんの紹介有難うございます。
私はひこにゃんよりも、ちょっと斜にかまえているしまさこにゃんのほうがいいですね。
彦根が生んだキャラクター、なんかもう全国版ですね。
みなさまこんにちは。
なんかこちらの深読みのせいでいろいろとご心労をおかけしたようで申し訳ありませんでした<(_ _)>
しまさこにゃん…「島左近」がモデルなんでしょうか。ご紹介リンク先のピンバッチではますます目線がガンをとば…じゃない、「眼光鋭く」(汗)こわーくなってますね。びわこさんは「さこにゃん」の中の人をされてるんですね。これからの季節はかなりきつくなってきますね。URLは彦根城に登城するひこにゃん(たぶん春頃)の映像ですが、中身の人にとってはかなりきつかったんじゃないかと。
これから登場の大谷にゃんぶはおそらくかぶり物キャラ、小西行にゃんは首から十字架、というデザインじゃないかと予想しておきます(^^;)
でも小西なんか三成つながりと言うだけで、彦根城はおろか近江国ともほとんど縁がないような…。
石田三成は島津と因縁のある人物ですが、小西も島津とは曰く付きの人物でしたっけ、と無理矢理歴史ネタにふっておきます(汗)
ご無沙汰しています。また、改装おつかれさまでした。
ところでURL欄にもありますが、9/1〜15の短期間プロジェクトで表題のイベントをされているようです。
ベニヤにペンキ塗りなのはともかくとして、見た目が姫路城な点については皆様の評が分かれるところかと思います。
ところで実際の佐和山城には天守あったんでしょうか?現存の彦根城佐和山櫓が旧佐和山城天守、という説は修理の結果否定されたようですが。
ひこにゃんイベントいきたいんですが、兵庫県からではJR高くて…割引切符も出てないようですし。思案中です。
ばんないさん、こんにちは。
彦根は盛り上がっているようですね。
もし行かれたら、様子教えて下さい。
佐和山城天守は存在したようです。
元禄期の佐和山城古絵図にも書かれていますが、これは信用できないとのこと。
『彦根市史』通史編によれば、関ヶ原合戦に関する結城秀康の書状に「さを山(佐和山)へ山中より取かけ、(中略)てんしゆ(天守)に日(火)をかけ申し候」という一節があり、天守が存在したのはたしかなようですね。
おそらく三重の天守ではないかと推定されているようです。
そうそう、ばんないさんのサイト、非常に面白いので、リンクさせていただいてよろしいでしょうか?
コメントありがとうございます。
佐和山城には天守はあったんですね。しかし、焼けてしまったとなると、移築の可能性も限りなく低くなりますね。三重となれば…彦根城佐和山櫓=元佐和山城天守 という伝説が出来るのも分かるような気がします。
彦根城天守閣=元大津城天守閣という説もありました(こちらは先年の修理の結果、完全否定までには至ってなかったような)。時代劇でよく使われる天秤櫓は小谷城から持ってきたという伝説がありますし、彦根城は伝説では寄せ集めで造った城になってしまいますね(苦笑)
リンクの件ですが、こちらこそ宜しくお願いします。こちらの方からも「膏肓記」をリンクさせていただきたく思ってますが、如何でしょうか。
ばんさいさん
リンクの件、有難うございます。
ばんないさんのお申し出も異存ありません。よろしくお願いします。