歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第15回
―小松帯刀への厚い信頼―

右下のリンク欄から入れます。

坂本龍馬の入薩シリーズ3回のうちの2回目です。
小松帯刀との交流を取りあげました。小松と龍馬の関係はあまり知られていないのではないかと思います。
次回は龍馬と大久保利通について書く予定です。

龍馬と薩摩藩の人脈は広いです。具体的な人物をあげただけでも、

吉井幸輔・大山彦八・渋谷彦助

などが思いつく。
彼らも紹介したいが、スペースが足りない。
とくに、吉井は龍馬を西郷に引き合わせた人だし、龍馬の身上を親身になって心配していたと思うんだけど。
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【2007/07/14 12:54】 | さつま人国誌
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拝読しました
パルティアホースカラー
興味深く読ませていただきました。
確かに、龍馬が薩摩藩の人物として西郷と小松を紹介する書簡を郷里に出している割に、西郷と龍馬の関係ばかりが特筆されがちですね。

吉井は早い時期から龍馬と交流していたようですし、かなり親しい様子が窺えますよね。次回も楽しみにしております。

吉井幸輔
桐野
パルティアホースカラーさん、こんにちは。

吉井幸輔は西郷・大久保の陰に隠れがちですが、ご指摘のように、もっと知られてよい人物だと思います。

龍馬と知り合ったのも、勝海舟との縁だったでしょうか? 龍馬のほかにも、伊牟田尚平・益満休之助など(相楽総三もか)とも関係があり、情報収集関係の仕事をしていた可能性もありますね。
慶応年間、吉井の役職について、京都留守居役だったとか、用人だったとか、あるいは海軍掛だったという史料もあります。
吉井に限りませんが、実際の活動にそうした役職がどれほどの裏付けになっているのか興味があるところです。

なお、吉井は『吉井友実三峰日記』を書いていますが、私が知るかぎりでは、明治になってからのものがあります。幕末期のものがあったら、それこそ一級史料だと思いますけれども……。


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この記事へのコメント
拝読しました
興味深く読ませていただきました。
確かに、龍馬が薩摩藩の人物として西郷と小松を紹介する書簡を郷里に出している割に、西郷と龍馬の関係ばかりが特筆されがちですね。

吉井は早い時期から龍馬と交流していたようですし、かなり親しい様子が窺えますよね。次回も楽しみにしております。
2007/07/14(Sat) 15:19 | URL  | パルティアホースカラー #-[ 編集]
吉井幸輔
パルティアホースカラーさん、こんにちは。

吉井幸輔は西郷・大久保の陰に隠れがちですが、ご指摘のように、もっと知られてよい人物だと思います。

龍馬と知り合ったのも、勝海舟との縁だったでしょうか? 龍馬のほかにも、伊牟田尚平・益満休之助など(相楽総三もか)とも関係があり、情報収集関係の仕事をしていた可能性もありますね。
慶応年間、吉井の役職について、京都留守居役だったとか、用人だったとか、あるいは海軍掛だったという史料もあります。
吉井に限りませんが、実際の活動にそうした役職がどれほどの裏付けになっているのか興味があるところです。

なお、吉井は『吉井友実三峰日記』を書いていますが、私が知るかぎりでは、明治になってからのものがあります。幕末期のものがあったら、それこそ一級史料だと思いますけれども……。
2007/07/14(Sat) 18:06 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
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坂本龍馬撮影)坂本龍馬(さかもと りょうま、天保6年11月15日 (旧暦)|11月15日(1836年1月3日) - 慶応3年11月15日 (旧暦)|11月15日(1867年12月10日))は幕末の日本の政治家・実業家。土佐藩脱藩後、貿易会社と政治組織を兼ねた亀山社中・海援隊の結成
2007/10/17(Wed) 10:57:46 |  ゆづきの記録
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