歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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十七烈士

そうだ、京都へ行こうと思い立って、昨29日から一泊で出かけた。

知り合いの大山崎町の学芸員氏から展示会の招待を受けたのも動機のひとつである。もっとも、学芸員氏は留守で会えなかった。こちらが事前に連絡せずに行ったのでしかたがない。その代わり、展示はしっかり見てきました。

大山崎惣中に関わる戦国・織豊期の文書がたくさん展示されていた。とくに徳川家康が関ヶ原合戦直後に出した禁制は大高檀紙の立派なものだっだ。

せっかく大山崎まで行ったので、天王山と男山八幡(石清水八幡宮)を制覇しようと思い、まず天王山から登る。
天王山は周知のように、山崎の合戦の舞台にもなり、山頂には羽柴秀吉が築いた山崎城址があるし、中腹には禁門の変で敗れた真木和泉ら十七烈士の墓がある。

標高は270メートル程度なので、すぐ行けるかと思ったが、これが予想外の急勾配と悪路で思いのほか時間を費やしてしまった。

十七烈士の墓は竹林のなかにあった。真木和泉らがなぜここに登って自刃したのかよく知らないが、もしかして最後に天皇のいる京都を遙拝するためでもあったか。

さらに登り、山崎合戦の碑のある展望台までたどり着く。ここからは明智方の陣所方面がよく見える。折からの好天でとても眺望がよかった。また山崎の隘路も実感できた。

天王山山頂

修復工事中の酒解神社の脇を通り抜けると山頂である。山崎城の本丸、あるいは天守跡とおぼしき曲輪がある。曲輪の段になった部分にはわずかだが、積み石が残っていて、往時の痕跡を偲ばせてくれた。
本丸の下には二の曲輪、三の曲輪とおぼしき削平地があった。

山を下りると、すっかり疲れ果ててしまったのと、夕暮れ近くなったために、男山八幡は断念した。次回を期すしかない。


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【2006/11/30 23:41】 | 雑記
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