歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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これまで常識だと信じて疑いもしなかった事柄に疑問を呈されると、驚くものである。些細なことかもしれないが、表題の件がそれだった。

いささか旧聞に属するが、『歴史読本』8月号の戦国特集で、島津義弘の合戦を担当した山口研一氏の論考を読み返していて、はたと気づいた。島津忠恒にルビが振ってあって、

ただひさ

となっていた。私はこれまで

ただつね

だと疑いもしなかったから、意表を衝かれた。
山口氏が「ただひさ」とする根拠は何なのかはよくわからない。きっと何か典拠があるのだと思うが……。

ちなみに、山口研一氏は薩摩島津氏について、いくつか優れた論文を書いている。とくに、次の論文は、伊作島津家の本宗家家督獲得についての通説に疑問を呈し、ライバルの薩州島津家の実久が一時守護職を相続したことを明らかにしている。

「戦国期島津氏の家督相続と老中制」(『青山学院大学文学部紀要』28号、1987年)

薩州島津家については、私も少しまとめたいと思っている。
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【2007/08/24 13:57】 | 戦国島津
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読みについては
ばんない
「ただかつ」
というのもありました。これは『島津義弘の賭け』だったと思います(記憶あいまい)。

昔の人名の読み方は素直じゃないので難しいです。しかもほとんどの史料で当然の如くルビふってませんし(涙)。宮之城島津家の島津忠長も「ただなが」じゃなくて別の読み方らしいんですが…。

島津忠長
桐野
ばんないさん、こんばんは。

「ただかつ」とも読みますか。びっくりです。
山本博文氏が言っているのならば、これも何か根拠があるんでしょうね。

島津忠長については「ただたけ」と読むと思います。
これは『本藩人物誌』の当人の項にルビが振ってありました。ルビが振ってあるのは珍しいですね。

島津義弘の前名、義珍もふつう読めません(笑)。


島津忠恒
板倉丈浩
こんばんは。
最近記憶力に自信がない(涙)板倉です。
(別エントリで御教示いただいた『新選組史料集』の「富山正利」の部分、読んだはずなのに全く忘れていました・・・)

さて、島津忠恒ですが、とりあえず『寛永諸家系図伝』『寛政重修諸家譜』をあたってみましたが、いずれも「たゞつね」とルビが振ってあります。
『島津義弘の賭け』もめくってみましたが、忠恒の読みにかんする記述はないようです。
ひょっとしたら忠恒のことを「忠久」とか「忠寿」などと当て字している史料があるのかもしれませんが、全く思い当たりません・・・。

自信はありませんが(汗)、今回の「ただひさ」については、単なる誤植じゃないかと思っています。


結局のところ
市川
桐野先生、こんばんは。
結局のところ、昔の人名はよくわからないものなんですよね。これが正しいと思っていても、実際は違ったりと……。
奥州の最上義光は、自分の名前をひらがなで書いていたと聞きました。もし本当なら、実にありがたいものです。

ちなみに私は島津日新斎のことを「にっしんさい」と覚えていました。友達の話だと、コーエーのゲームでも「にっしんさい」だったという話です。う~む、やはり人名は分かりづらい。


松裕堂
実名(諱)は資料や人によって、ホント読み方がさまざまで、ドレを信頼していいものか、私の場合しょっちゅう不安になります(笑)。

国語辞書なんかだと漢字ごとに「名乗り」項を設けて、読み方が書かれていたりしますけど、だいたいの字が複数の読みをもってますんで、”特定”するとなると殆どお手上げの状態。

あと「実名の○○は●●●●と読むのがただしい」ってだけの説明だけだと何か不安。

誤植?
桐野
板倉さん、こんにちは。

寛永伝・寛政譜は「ただつね」でしたか。だったら、まず間違いないでしょうね。両書とも、一応大名家提出の家譜を元にしていますから。

誤植の可能性というより、筆者が付けたルビではなく、編集部が付けたルビの可能性もありますね。


人名は難しい
桐野
市川さん、松裕堂さん、こんにちは。

たしかに人名は難しいですね。
公家とか大名クラスなら、何とかなりますが、身分が低い人はとても難しいです。

とはいえ、ここでは日新斎や忠恒という大名クラスが俎上に上がっているわけですが(笑)。
日新斎などは「じっしんさい」と読める人のほうがむしろ少ないと思います。

そういえば、「織田」も「おた」か「おだ」かという議論もありましたね。


御教示ありがとうございます
ばんない
板倉様、『島津義弘の賭け』も精査して下さったようでありがとうございます。うーむ、なんと人任せな自分(^^;)。それには載ってなかったですか。ただ「忠恒=ただかつ」というのは間違いなく見た記憶だけははっきりしているので、追々と探してみたいと思います。

「織田」の読みの話も出てきましたが、信長の母と言われる「土田御前」も私は長い間「つちだごぜん」と読むと思っていたのですが「どたごぜん」というのが今では正しいとされているようですね。「どたごぜん」と読むとどうも落ち着きのない女性のような印象を受けてしまうのは私だけなんでしょうか(汗)

「義珍」は「よしまさ」でしたっけ。文字通りの珍名だと思います(爆)「義」は足利義昭からの偏諱ですが「珍」はどこから持ってきたのでしょうか?


桐野
ばんないさん、こんばんは。

義珍の「珍」はどこから持ってきたのでしょうね。わたしもわかりません。歴代の島津家の人間で、この字を諱に持っている人はおそらくいないのではないかと思いますが。
この偏諱をもらったのは、義久が秀吉から義昭寄りに政治的スタンスを移した時期ですね。天正12年だったかな。この判断が間違いだったと思いますが……。
上井覚兼によれば、「由緒なき仁」だというのが理由でしたが。うちは成り上がりの秀吉と違って、右大将家の鎌倉以来の名家だというわけですが、考えてみれば、もともと伊作島津家ですから、それほど威張れたものじゃないですけどね。

もっとも、「珍」の字、通称ならいますね。幕末に重富家の珍彦がいます。
久光の三男ですけど、これは「うずひこ」と読んだと思います。実名は忠鑑、国名は備後だったかな?


薩州島津家
かじやちょう
かじやちょうです。

勝久から貴久に守護職が移る頃の情勢には大変興味があります。勝者側の都合で書かれた史料は多くありますが、本当にそうなのか???と今ひとつ納得がいきません。薩州島津家についてまとめられたら、是非拝見させてください。楽しみにしています。

山口論文
桐野
かじやちょうさん、こんにちは。

紹介した山口論文はご覧になったでしょうか? 薩州家の実久のことがかなり詳しく書かれています。実久が守護職を一時得たことは確実だと思われます。日新斎・貴久はそれを実力で奪ったということでしょうね。

山口氏の論文
かじやちょう
ご紹介いただいた論文は、福島金治氏の著書『戦国大名島津氏の領国形成』の中でも、参考文献として挙げられています。この時期の政治的動向が詳しく書かれていると書かれていましたので、ずっと気になってはいるのですが、忙しさにかまけてまだ入手していません(^-^;。機会があったら読んでみようと思います。ありがとうございました。

論文拝受
かじやちょう
本日、山口氏の論文のコピーを拝受しました。
わざわざ送っていただきありがとうございます。
早速斜め読みしてみましたが、私にとって本当におもしろい内容でした。時間のある時にゆっくりと楽しみながら読ませていただきます。まずはお礼までに。

薩州島津家
桐野
かじやちょうさん、こんばんは。

届いたようで何よりです。
じつは、南日本新聞の連載、明日から薩州島津家を取りあげます。明日のは島津実久です。これを書くのに山口論文を参照させていただきました。
義虎と忠辰のことも書く予定です。

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コメント
この記事へのコメント
読みについては
「ただかつ」
というのもありました。これは『島津義弘の賭け』だったと思います(記憶あいまい)。

昔の人名の読み方は素直じゃないので難しいです。しかもほとんどの史料で当然の如くルビふってませんし(涙)。宮之城島津家の島津忠長も「ただなが」じゃなくて別の読み方らしいんですが…。
2007/08/24(Fri) 16:53 | URL  | ばんない #kyBjvhlc[ 編集]
島津忠長
ばんないさん、こんばんは。

「ただかつ」とも読みますか。びっくりです。
山本博文氏が言っているのならば、これも何か根拠があるんでしょうね。

島津忠長については「ただたけ」と読むと思います。
これは『本藩人物誌』の当人の項にルビが振ってありました。ルビが振ってあるのは珍しいですね。

島津義弘の前名、義珍もふつう読めません(笑)。
2007/08/24(Fri) 18:42 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
島津忠恒
こんばんは。
最近記憶力に自信がない(涙)板倉です。
(別エントリで御教示いただいた『新選組史料集』の「富山正利」の部分、読んだはずなのに全く忘れていました・・・)

さて、島津忠恒ですが、とりあえず『寛永諸家系図伝』『寛政重修諸家譜』をあたってみましたが、いずれも「たゞつね」とルビが振ってあります。
『島津義弘の賭け』もめくってみましたが、忠恒の読みにかんする記述はないようです。
ひょっとしたら忠恒のことを「忠久」とか「忠寿」などと当て字している史料があるのかもしれませんが、全く思い当たりません・・・。

自信はありませんが(汗)、今回の「ただひさ」については、単なる誤植じゃないかと思っています。
2007/08/24(Fri) 22:34 | URL  | 板倉丈浩 #/2jzPtOA[ 編集]
結局のところ
桐野先生、こんばんは。
結局のところ、昔の人名はよくわからないものなんですよね。これが正しいと思っていても、実際は違ったりと……。
奥州の最上義光は、自分の名前をひらがなで書いていたと聞きました。もし本当なら、実にありがたいものです。

ちなみに私は島津日新斎のことを「にっしんさい」と覚えていました。友達の話だと、コーエーのゲームでも「にっしんさい」だったという話です。う~む、やはり人名は分かりづらい。
2007/08/24(Fri) 22:34 | URL  | 市川 #-[ 編集]
実名(諱)は資料や人によって、ホント読み方がさまざまで、ドレを信頼していいものか、私の場合しょっちゅう不安になります(笑)。

国語辞書なんかだと漢字ごとに「名乗り」項を設けて、読み方が書かれていたりしますけど、だいたいの字が複数の読みをもってますんで、”特定”するとなると殆どお手上げの状態。

あと「実名の○○は●●●●と読むのがただしい」ってだけの説明だけだと何か不安。
2007/08/25(Sat) 08:57 | URL  | 松裕堂 #6eUroIng[ 編集]
誤植?
板倉さん、こんにちは。

寛永伝・寛政譜は「ただつね」でしたか。だったら、まず間違いないでしょうね。両書とも、一応大名家提出の家譜を元にしていますから。

誤植の可能性というより、筆者が付けたルビではなく、編集部が付けたルビの可能性もありますね。
2007/08/25(Sat) 12:27 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
人名は難しい
市川さん、松裕堂さん、こんにちは。

たしかに人名は難しいですね。
公家とか大名クラスなら、何とかなりますが、身分が低い人はとても難しいです。

とはいえ、ここでは日新斎や忠恒という大名クラスが俎上に上がっているわけですが(笑)。
日新斎などは「じっしんさい」と読める人のほうがむしろ少ないと思います。

そういえば、「織田」も「おた」か「おだ」かという議論もありましたね。
2007/08/25(Sat) 12:31 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
御教示ありがとうございます
板倉様、『島津義弘の賭け』も精査して下さったようでありがとうございます。うーむ、なんと人任せな自分(^^;)。それには載ってなかったですか。ただ「忠恒=ただかつ」というのは間違いなく見た記憶だけははっきりしているので、追々と探してみたいと思います。

「織田」の読みの話も出てきましたが、信長の母と言われる「土田御前」も私は長い間「つちだごぜん」と読むと思っていたのですが「どたごぜん」というのが今では正しいとされているようですね。「どたごぜん」と読むとどうも落ち着きのない女性のような印象を受けてしまうのは私だけなんでしょうか(汗)

「義珍」は「よしまさ」でしたっけ。文字通りの珍名だと思います(爆)「義」は足利義昭からの偏諱ですが「珍」はどこから持ってきたのでしょうか?
2007/08/25(Sat) 20:36 | URL  | ばんない #kyBjvhlc[ 編集]
ばんないさん、こんばんは。

義珍の「珍」はどこから持ってきたのでしょうね。わたしもわかりません。歴代の島津家の人間で、この字を諱に持っている人はおそらくいないのではないかと思いますが。
この偏諱をもらったのは、義久が秀吉から義昭寄りに政治的スタンスを移した時期ですね。天正12年だったかな。この判断が間違いだったと思いますが……。
上井覚兼によれば、「由緒なき仁」だというのが理由でしたが。うちは成り上がりの秀吉と違って、右大将家の鎌倉以来の名家だというわけですが、考えてみれば、もともと伊作島津家ですから、それほど威張れたものじゃないですけどね。

もっとも、「珍」の字、通称ならいますね。幕末に重富家の珍彦がいます。
久光の三男ですけど、これは「うずひこ」と読んだと思います。実名は忠鑑、国名は備後だったかな?
2007/08/25(Sat) 21:33 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
薩州島津家
かじやちょうです。

勝久から貴久に守護職が移る頃の情勢には大変興味があります。勝者側の都合で書かれた史料は多くありますが、本当にそうなのか???と今ひとつ納得がいきません。薩州島津家についてまとめられたら、是非拝見させてください。楽しみにしています。
2007/08/26(Sun) 10:25 | URL  | かじやちょう #-[ 編集]
山口論文
かじやちょうさん、こんにちは。

紹介した山口論文はご覧になったでしょうか? 薩州家の実久のことがかなり詳しく書かれています。実久が守護職を一時得たことは確実だと思われます。日新斎・貴久はそれを実力で奪ったということでしょうね。
2007/08/26(Sun) 10:57 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
山口氏の論文
ご紹介いただいた論文は、福島金治氏の著書『戦国大名島津氏の領国形成』の中でも、参考文献として挙げられています。この時期の政治的動向が詳しく書かれていると書かれていましたので、ずっと気になってはいるのですが、忙しさにかまけてまだ入手していません(^-^;。機会があったら読んでみようと思います。ありがとうございました。
2007/08/26(Sun) 11:56 | URL  | かじやちょう #-[ 編集]
論文拝受
本日、山口氏の論文のコピーを拝受しました。
わざわざ送っていただきありがとうございます。
早速斜め読みしてみましたが、私にとって本当におもしろい内容でした。時間のある時にゆっくりと楽しみながら読ませていただきます。まずはお礼までに。
2007/09/07(Fri) 21:46 | URL  | かじやちょう #-[ 編集]
薩州島津家
かじやちょうさん、こんばんは。

届いたようで何よりです。
じつは、南日本新聞の連載、明日から薩州島津家を取りあげます。明日のは島津実久です。これを書くのに山口論文を参照させていただきました。
義虎と忠辰のことも書く予定です。
2007/09/07(Fri) 23:38 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
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