港区立郷土資料館で開催された展示会は、大変おもしろかったですね。展示されていた獣骨は、犬や猫に及んでいて、特に犬は愛玩用ではなく、食用であったと解説されていたように記憶しています。案外、四つ足のものを食べていたのですね(笑)
かじやちょうさん、こんにちは。
たくさんコメント有難うございます。
あのときの展示を拝観と購入した図録がだいぶ役に立っています。今回の掲載にあたって写真掲載の許可もいただきました。
図録を見ると、一方で、発掘されたなかには狆の墓もあって、どうみてもこれはペットですね。富裕な商家の娘が愛玩していたのではないかと思われます。
コラムでも紹介した佐藤信淵の『経済要録』には食犬のことも書かれています。
「食犬は多毛或は長毛の犬にして、俗に「ムクイヌ」と呼べる者なり、多毛犬は身体能く肥て肉最厚く、食料と為して甚だ美なるを以て名くる処なり」
愛犬家は卒倒しそうですね(爆)。
こんにちは。慶喜の「豚一様」の話はwikipediaの当該項目でも紹介されてますので結構知っている人は多いでしょうね。水戸藩は光圀の「ラーメン」の件といい、”げてもの食い”が多かったようで(爆)。斉昭の娘が伊達家に嫁いでいますが、「牛乳が体にいいから」と言うことで斉昭は雌牛一頭ごと伊達家に進呈していますね。困ってしまったのは伊達家の方で、「牛になるのは嫌じゃ」と毒味役を辞退する女中が相次いだとか言う話を聞いたことがあります。当時は牛乳を飲むと角が生えるという迷信があったようですね。タイトルにした獣肉料理専門店も江戸時代の後期になると存在していたようですが、やはり肉食(魚扱いの鯨除く)は一般には馴染みがなかった物のようですね。
犬を食べる習慣は弥生時代に日本に伝わったようで、縄文時代にはなかったようです。奈良時代以降、仏教の興隆から廃れたようですが、薩摩藩のいかもの食い(^^;)はそういう影響を受けずに残った物なんでしょうか。それとも琉球経由で後から新たに伝わった物なんでしょうか。
ご紹介の『経済要録』に出てくる食用犬は明らかにチャウチャウ(中国の食用犬)に似ていますね。あと朝鮮半島には今も犬を食べる習慣が残っていますが、その犬はどうもチャウチャウとは違うようです(検索したらいろいろ出てきますが、グロテスクな画像もありましたので、リンクはやめときます…)。
鹿児島の黒豚については、400年ほど前に島津家久の琉球出兵でもって帰った物が起源とするのが公式見解なようですが、
http://www.krp1.com/kurobuta/http://www.kurokatutei.net/butaken.htmlそれなら薩摩藩邸で食べていた豚が白豚なのはどういうことなんでしょう?
ところで、
よその大名家から、薩摩藩主の正室になった女性やお付きの女中達はビックリしたでしょうね>食用の諸々(^^;)
ばんないさん、こんばんは。
黒豚は、やはり家久の琉球侵略のときの副産物でしたか。
江戸の薩摩藩邸で飼われていたのは白豚だけじゃなかったかもしれないですけど、黒と白とではやはり味がちがうんでしょうね。「経済要録」は上品な味だと書いています。黒豚は脂が乗っているという違いでしょうかね。
斉彬の奥方は一橋家から来ていますから、藩邸内で豚を飼っていたのには驚いたことでしょう。
それもそうですが、周囲は臭いが大変だったのではと想像しますが……。
チャウチャウは食料だったんですね。知りませんでした。
明治末年〜大正ごろのあるひとの日記に、犬の鍋が旨かったという記事があり、びっくりしたことを覚えています。
東京に遊学している薩摩人の日記でした。
ちなみに、わたしの子供時代の剣道の師匠です・・・
秘剣さん、おはようございます。
このところ、多忙と歯痛のため返事が遅くなりました。
犬に対する見方はわずか半世紀ほどで様変わりですね。
そういう豪傑な先生がおいででしたか。
そういえば、焼酎の新銘柄「桐野」はなかなか入手しにくいそうですが。個人的にはぴったりでして(笑)。