歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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南日本新聞「さつま人国誌」第21回
―「豚一殿」の催促に困惑―

連載コラムが更新になりました。右下リンク欄からご覧になれます。

今回は一部ではよく知られていた話です。
だいぶ前、港区立郷土資料館で、三田の薩摩藩邸跡の発掘調査の出土品が展示されていて、山のように積んであった豚・猪の骨に驚いた覚えがあります。それと小松帯刀書翰を結びつけて書いてみました。

小松は豚肉だけでなく、牛肉も食べていたようです。今から見ると、なかなかの美食家ですね。
佐藤信淵は薩摩藩邸で買われている豚を「白毛豕(豚)」だとしています。黒豚ではなかったみたいです(笑)。
黒豚はいつ頃から飼われるようになったのでしょうね。
「豚一殿」には、いちにさんの黒豚しゃぶしゃぶを食べさせてあげたいくらいです(笑)。

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【2007/08/25 16:01】 | さつま人国誌
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肉食
かじやちょう
港区立郷土資料館で開催された展示会は、大変おもしろかったですね。展示されていた獣骨は、犬や猫に及んでいて、特に犬は愛玩用ではなく、食用であったと解説されていたように記憶しています。案外、四つ足のものを食べていたのですね(笑)

ペットと食用
桐野
かじやちょうさん、こんにちは。

たくさんコメント有難うございます。

あのときの展示を拝観と購入した図録がだいぶ役に立っています。今回の掲載にあたって写真掲載の許可もいただきました。

図録を見ると、一方で、発掘されたなかには狆の墓もあって、どうみてもこれはペットですね。富裕な商家の娘が愛玩していたのではないかと思われます。

コラムでも紹介した佐藤信淵の『経済要録』には食犬のことも書かれています。

「食犬は多毛或は長毛の犬にして、俗に「ムクイヌ」と呼べる者なり、多毛犬は身体能く肥て肉最厚く、食料と為して甚だ美なるを以て名くる処なり」

愛犬家は卒倒しそうですね(爆)。


ももんじや
ばんない
こんにちは。慶喜の「豚一様」の話はwikipediaの当該項目でも紹介されてますので結構知っている人は多いでしょうね。水戸藩は光圀の「ラーメン」の件といい、”げてもの食い”が多かったようで(爆)。斉昭の娘が伊達家に嫁いでいますが、「牛乳が体にいいから」と言うことで斉昭は雌牛一頭ごと伊達家に進呈していますね。困ってしまったのは伊達家の方で、「牛になるのは嫌じゃ」と毒味役を辞退する女中が相次いだとか言う話を聞いたことがあります。当時は牛乳を飲むと角が生えるという迷信があったようですね。タイトルにした獣肉料理専門店も江戸時代の後期になると存在していたようですが、やはり肉食(魚扱いの鯨除く)は一般には馴染みがなかった物のようですね。

犬を食べる習慣は弥生時代に日本に伝わったようで、縄文時代にはなかったようです。奈良時代以降、仏教の興隆から廃れたようですが、薩摩藩のいかもの食い(^^;)はそういう影響を受けずに残った物なんでしょうか。それとも琉球経由で後から新たに伝わった物なんでしょうか。
ご紹介の『経済要録』に出てくる食用犬は明らかにチャウチャウ(中国の食用犬)に似ていますね。あと朝鮮半島には今も犬を食べる習慣が残っていますが、その犬はどうもチャウチャウとは違うようです(検索したらいろいろ出てきますが、グロテスクな画像もありましたので、リンクはやめときます…)。

鹿児島の黒豚については、400年ほど前に島津家久の琉球出兵でもって帰った物が起源とするのが公式見解なようですが、
http://www.krp1.com/kurobuta/
http://www.kurokatutei.net/butaken.html
それなら薩摩藩邸で食べていた豚が白豚なのはどういうことなんでしょう?

ところで、
よその大名家から、薩摩藩主の正室になった女性やお付きの女中達はビックリしたでしょうね>食用の諸々(^^;)

黒豚と白豚
桐野
ばんないさん、こんばんは。

黒豚は、やはり家久の琉球侵略のときの副産物でしたか。
江戸の薩摩藩邸で飼われていたのは白豚だけじゃなかったかもしれないですけど、黒と白とではやはり味がちがうんでしょうね。「経済要録」は上品な味だと書いています。黒豚は脂が乗っているという違いでしょうかね。

斉彬の奥方は一橋家から来ていますから、藩邸内で豚を飼っていたのには驚いたことでしょう。
それもそうですが、周囲は臭いが大変だったのではと想像しますが……。

チャウチャウは食料だったんですね。知りませんでした。


秘剣
明治末年~大正ごろのあるひとの日記に、犬の鍋が旨かったという記事があり、びっくりしたことを覚えています。
東京に遊学している薩摩人の日記でした。
ちなみに、わたしの子供時代の剣道の師匠です・・・

焼酎「桐野」
桐野
秘剣さん、おはようございます。

このところ、多忙と歯痛のため返事が遅くなりました。

犬に対する見方はわずか半世紀ほどで様変わりですね。
そういう豪傑な先生がおいででしたか。

そういえば、焼酎の新銘柄「桐野」はなかなか入手しにくいそうですが。個人的にはぴったりでして(笑)。

黒豚と白豚
白黒はっきり
はじめまして。
大変楽しく拝見させてもらっています。

私は畜産を学んでいるのですが、藩邸で飼育していたものが黒豚ではなく白い豚であるというのに興味を引かれて書きこみさせていただきました。
薩摩藩がバークシャー種の黒豚を飼育していたのは畜産の側からも事実とされてますが、品種不明の白い豚を飼っていたとなるとちょっと新しい事実が浮かんでくることになります。

まず、この白い豚についてですが、日本古来の品種であった可能性もありますが、ぶちなどの模様もない完全に白い豚であるならば、ヨーロッパ原産のものだと思われます。
豚の品種自体に黒豚や白黒マダラの豚が多く、特に中国系の豚はそのほとんどが色や模様があり、世界的に主流な「白い」豚はヨークシャー種、ランドレース種などヨーロッパ由来の品種であるからです。

ですが、これらの白豚が薩摩(日本)にもたらされたという記録は私の知る限りでは畜産史にはなく、日本に始めて入ってきたのは横浜開港後のこととされています。(出島は除く)
ですので、本当にこれが白い豚だとするならば日本における畜産の歴史において「新しい品種が持ち込まれて日本人の手で飼育されていた」時代が早まるのでちょっとした発見になります。

いずれにせよ本当にどこから入手して、そして何故明治の頃には薩摩藩本土には黒豚しか残っていなかったのか、ちょっとミステリーですね。

案外密貿易とかかもしれませんが、これは門外漢である私には想像することしか出来ません。

まあ骨が残っているので、それを獣医学解剖学が専門の方が調べれば、一発で何種なのかは分かるような気もしますが...


補足 品種について
さつま黒豚はバークシャー種という黒い豚の品種に属しており、この種は肉の味は良いものの体格が小さく、産児数も少ないため、生産性が他の品種より劣ります。
そのため、味を考慮せず単純に肉を得たいというのであれば、中型から大型のヨークシャー種、ランドレース種の方が勝ります。
(事実、この生産性の差のためさつま黒豚の飼育頭数は一時期激減していた時代もあります。)

どうやって薩摩藩がこの白豚を手に入れたのかは分かりませんが、
黒より白を藩邸で飼育することにした理由は、以上の様な産肉性の効率によるものと思われます。
あるいは、そもそも鹿児島から江戸屋敷まで豚を生きたまま持ち込むという事自体が通常の方法では考えにくいので、その入手方法上白豚しか調達できなかったか。
本当に、黒にせよ白にせよどうやって豚を藩邸まで連れてきたんでしょうか。

白毛豕
桐野作人
白黒はっきりさん

コメント有難うございます。
畜産の専門家のご意見大変参考になりました。
幕末にはまだ白毛豚は国内にいなかった可能性が高いのですね。
とっていも、私は佐藤信淵の本から引用しただけで、その真偽のほどはよくわかりません。
ほかの史料に記事あればいいですね。
豚を藩邸にどうやって運んだかですが、おそらく生まれてまもない幼豚なら持ち込みは簡単ではないでしょうか。ペット感覚かも。



DNA
桐野作人
白黒はっきりさん

補足です。
東京都港区教育委員会が豚骨を大量に保管していますから、ぜひ畜産の専門家に調査してもらいたいですね。


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コメント
この記事へのコメント
肉食
港区立郷土資料館で開催された展示会は、大変おもしろかったですね。展示されていた獣骨は、犬や猫に及んでいて、特に犬は愛玩用ではなく、食用であったと解説されていたように記憶しています。案外、四つ足のものを食べていたのですね(笑)
2007/08/26(Sun) 10:32 | URL  | かじやちょう #-[ 編集]
ペットと食用
かじやちょうさん、こんにちは。

たくさんコメント有難うございます。

あのときの展示を拝観と購入した図録がだいぶ役に立っています。今回の掲載にあたって写真掲載の許可もいただきました。

図録を見ると、一方で、発掘されたなかには狆の墓もあって、どうみてもこれはペットですね。富裕な商家の娘が愛玩していたのではないかと思われます。

コラムでも紹介した佐藤信淵の『経済要録』には食犬のことも書かれています。

「食犬は多毛或は長毛の犬にして、俗に「ムクイヌ」と呼べる者なり、多毛犬は身体能く肥て肉最厚く、食料と為して甚だ美なるを以て名くる処なり」

愛犬家は卒倒しそうですね(爆)。
2007/08/26(Sun) 10:54 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
ももんじや
こんにちは。慶喜の「豚一様」の話はwikipediaの当該項目でも紹介されてますので結構知っている人は多いでしょうね。水戸藩は光圀の「ラーメン」の件といい、”げてもの食い”が多かったようで(爆)。斉昭の娘が伊達家に嫁いでいますが、「牛乳が体にいいから」と言うことで斉昭は雌牛一頭ごと伊達家に進呈していますね。困ってしまったのは伊達家の方で、「牛になるのは嫌じゃ」と毒味役を辞退する女中が相次いだとか言う話を聞いたことがあります。当時は牛乳を飲むと角が生えるという迷信があったようですね。タイトルにした獣肉料理専門店も江戸時代の後期になると存在していたようですが、やはり肉食(魚扱いの鯨除く)は一般には馴染みがなかった物のようですね。

犬を食べる習慣は弥生時代に日本に伝わったようで、縄文時代にはなかったようです。奈良時代以降、仏教の興隆から廃れたようですが、薩摩藩のいかもの食い(^^;)はそういう影響を受けずに残った物なんでしょうか。それとも琉球経由で後から新たに伝わった物なんでしょうか。
ご紹介の『経済要録』に出てくる食用犬は明らかにチャウチャウ(中国の食用犬)に似ていますね。あと朝鮮半島には今も犬を食べる習慣が残っていますが、その犬はどうもチャウチャウとは違うようです(検索したらいろいろ出てきますが、グロテスクな画像もありましたので、リンクはやめときます…)。

鹿児島の黒豚については、400年ほど前に島津家久の琉球出兵でもって帰った物が起源とするのが公式見解なようですが、
http://www.krp1.com/kurobuta/
http://www.kurokatutei.net/butaken.html
それなら薩摩藩邸で食べていた豚が白豚なのはどういうことなんでしょう?

ところで、
よその大名家から、薩摩藩主の正室になった女性やお付きの女中達はビックリしたでしょうね>食用の諸々(^^;)
2007/08/26(Sun) 16:35 | URL  | ばんない #kyBjvhlc[ 編集]
黒豚と白豚
ばんないさん、こんばんは。

黒豚は、やはり家久の琉球侵略のときの副産物でしたか。
江戸の薩摩藩邸で飼われていたのは白豚だけじゃなかったかもしれないですけど、黒と白とではやはり味がちがうんでしょうね。「経済要録」は上品な味だと書いています。黒豚は脂が乗っているという違いでしょうかね。

斉彬の奥方は一橋家から来ていますから、藩邸内で豚を飼っていたのには驚いたことでしょう。
それもそうですが、周囲は臭いが大変だったのではと想像しますが……。

チャウチャウは食料だったんですね。知りませんでした。
2007/08/27(Mon) 22:41 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
明治末年~大正ごろのあるひとの日記に、犬の鍋が旨かったという記事があり、びっくりしたことを覚えています。
東京に遊学している薩摩人の日記でした。
ちなみに、わたしの子供時代の剣道の師匠です・・・
2007/08/30(Thu) 12:49 | URL  | 秘剣 #EBUSheBA[ 編集]
焼酎「桐野」
秘剣さん、おはようございます。

このところ、多忙と歯痛のため返事が遅くなりました。

犬に対する見方はわずか半世紀ほどで様変わりですね。
そういう豪傑な先生がおいででしたか。

そういえば、焼酎の新銘柄「桐野」はなかなか入手しにくいそうですが。個人的にはぴったりでして(笑)。
2007/09/01(Sat) 06:14 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
黒豚と白豚
はじめまして。
大変楽しく拝見させてもらっています。

私は畜産を学んでいるのですが、藩邸で飼育していたものが黒豚ではなく白い豚であるというのに興味を引かれて書きこみさせていただきました。
薩摩藩がバークシャー種の黒豚を飼育していたのは畜産の側からも事実とされてますが、品種不明の白い豚を飼っていたとなるとちょっと新しい事実が浮かんでくることになります。

まず、この白い豚についてですが、日本古来の品種であった可能性もありますが、ぶちなどの模様もない完全に白い豚であるならば、ヨーロッパ原産のものだと思われます。
豚の品種自体に黒豚や白黒マダラの豚が多く、特に中国系の豚はそのほとんどが色や模様があり、世界的に主流な「白い」豚はヨークシャー種、ランドレース種などヨーロッパ由来の品種であるからです。

ですが、これらの白豚が薩摩(日本)にもたらされたという記録は私の知る限りでは畜産史にはなく、日本に始めて入ってきたのは横浜開港後のこととされています。(出島は除く)
ですので、本当にこれが白い豚だとするならば日本における畜産の歴史において「新しい品種が持ち込まれて日本人の手で飼育されていた」時代が早まるのでちょっとした発見になります。

いずれにせよ本当にどこから入手して、そして何故明治の頃には薩摩藩本土には黒豚しか残っていなかったのか、ちょっとミステリーですね。

案外密貿易とかかもしれませんが、これは門外漢である私には想像することしか出来ません。

まあ骨が残っているので、それを獣医学解剖学が専門の方が調べれば、一発で何種なのかは分かるような気もしますが...


補足 品種について
さつま黒豚はバークシャー種という黒い豚の品種に属しており、この種は肉の味は良いものの体格が小さく、産児数も少ないため、生産性が他の品種より劣ります。
そのため、味を考慮せず単純に肉を得たいというのであれば、中型から大型のヨークシャー種、ランドレース種の方が勝ります。
(事実、この生産性の差のためさつま黒豚の飼育頭数は一時期激減していた時代もあります。)

どうやって薩摩藩がこの白豚を手に入れたのかは分かりませんが、
黒より白を藩邸で飼育することにした理由は、以上の様な産肉性の効率によるものと思われます。
あるいは、そもそも鹿児島から江戸屋敷まで豚を生きたまま持ち込むという事自体が通常の方法では考えにくいので、その入手方法上白豚しか調達できなかったか。
本当に、黒にせよ白にせよどうやって豚を藩邸まで連れてきたんでしょうか。
2012/08/23(Thu) 06:47 | URL  | 白黒はっきり #oPiqAFzQ[ 編集]
白毛豕
白黒はっきりさん

コメント有難うございます。
畜産の専門家のご意見大変参考になりました。
幕末にはまだ白毛豚は国内にいなかった可能性が高いのですね。
とっていも、私は佐藤信淵の本から引用しただけで、その真偽のほどはよくわかりません。
ほかの史料に記事あればいいですね。
豚を藩邸にどうやって運んだかですが、おそらく生まれてまもない幼豚なら持ち込みは簡単ではないでしょうか。ペット感覚かも。

2012/08/24(Fri) 00:46 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
DNA
白黒はっきりさん

補足です。
東京都港区教育委員会が豚骨を大量に保管していますから、ぜひ畜産の専門家に調査してもらいたいですね。
2012/08/24(Fri) 00:48 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
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