歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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小学館古文書講座「てらこや」特別講座「大河ドラマ『篤姫』の見方」
4回目の講座だった。今回のテーマは表題で、篤姫の生涯でも、いわばクライマックスにあたる時期である。

講義は次の5つの小テーマに沿って進めた。

①篤姫の大奥での生活はどんな様子だったか?
②将軍家定はどんな人だったか?
③いわゆる将軍継嗣問題での篤姫の役割は?
④和宮との関係はどうだったのか?
⑤維新前後の篤姫の動きは?


①②については、将軍家定の小姓をつとめた朝比奈閑水の手記が貴重である。もっともそば近くで仕えただけに、リアルこのうえない。家定が慶喜を嫌う理由が自分より「美麗」だというあたり、凄まじい話である。将軍継嗣問題も最後は感情の問題だったということか。

③については、篤姫が島津斉彬に出したと推定される書簡の写しが松平慶永に送られ、『昨夢紀事』に残っているのを読んだ。篤姫は斉彬から密命を帯びて、夫家定に働きかける機をうかがい、まずは生母の本寿院に話してみて様子をうかがったのがまずかった。誰よりも本寿院が将軍継嗣問題を毛嫌いしていたのである。そうだろう。まだ30歳そこそこの息子に継嗣問題が出ること自体、生母には我慢が出来なかったのである。
篤姫の大奥工作はおそらくこの時点で頓挫したのではあるまいか。

⑤『旧事諮問録』、三田村鳶魚『御殿女中の研究』、勝海舟『海舟余波』『海舟座談』など、オーラルな口述史料を用いた。なかなかリアルな証言が多くて、受講者にも一番関心をもっていただいた部分だろう。とくに、維新後の篤姫が次第に一庶民になっていく過程はほのぼのとしてよかった。

最後に、篤姫が和宮終焉の地である箱根塔ノ沢に立ち寄り、和宮のために手向けた一首を詠みあげて終わる。

君がよはひそめかねたる早川の 水のなかれもうらめしきかな

もっとも、私の解釈は違うのではないかとの受講者からのご意見。和歌はまったく門外漢なので、ご意見を拝聴する。
キーワードは最初の「君がよは」が誰を指すかである。私は明治天皇の治世、明治時代と解したが、受講生からは和宮のことではないかというご指摘だった。
帰宅してからいろいろ考えてみて、「君がよ」は枕詞の一種ではないのかと思った。辞書(日国)で調べてみたら、「君が代に」「君が代の」はたしかに枕詞だったが、「君が代は」は該当しない。
「君がよ(代、世)」には大きく分けて次の2つの意味があるらしい。

①寿命の意味で、あなたの寿命(ただ「君」は男性を指す場合が多い)
②わが君の時代、天皇の治世


私は②で、受講者の方は①で、それぞれ解釈したというわけである。
生命力溢れる早川の水の流れに比して、あなた(和宮)の命のなんと儚いことよ、という意味か?

ともあれ、次回は今次の最終回。
篤姫周辺の人物として、島津斉彬と小松帯刀の史料を取りあげる予定。

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【2007/09/01 17:18】 | てらこや
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ひとつの可能性として
かわい
 その両方を掛けているとは考えられませんか。私は単純に一方とするよりも、深い意味を読み取れるように感じましたが。


まいたけ
 生意気な受講生ですいません(冷汗)

 天璋院の日記に、「塔之沢てふ出湯のあたりをみるに 過し頃 宮之君うせ給ひし高殿とて今も残れるに むねふさがり 懐旧のなみだに 袖をしぼり侍りぬ」と書いてあるという解説のあとの追悼和歌でしたので、「君が代」の「君」は、「宮の君」のことではないかと、安易に考えてしまいましたが、いろいろとお調べいただき、ありがとうございました。

 平成15年、江戸東京博物館で開催された『徳川将軍家展』の図録に収載されている小林明「静寛院宮後日譚ー明治期の親子内親王行実抄ー」の最後にも、この和歌が引用されていますが、読み方が少し違うようでして、

 君かよはひととめかねたる早川の
   水のなかれもうらめしきかな

 こちらは、「君が代」ではなく、「君かよはひ」(齢)と読んでありました。わたしは古文書が読めないので、どちらの読みが正しいのかわからないのですが、本展でも天璋院自筆稿本「熱海箱根湯治日記」は展示されており、その作品解説にも、「塔之澤てふ」以下が紹介されていました。天璋院は、この時、二首読んでいますが、もう一首「消ましゝ君が御たまやいかならん かくあさましき家を見つヽも」も書かれていました。また、「君がよはひ、、」は、「君がよはひ(齢)とゞめかねたる早川の」と、小林氏と同じように読んでました。

 小林明氏や展示解読に従うと、「とどめかねたる早川」とは何であろうかと疑問がわき、ヒントが転がっていないかと、この論考をはじめから読んでみました。『実麗卿記』によれば、和宮の病は脚気であったため、橋本実麗と実梁は、温泉による湯治をすすめ、和宮は塔ノ沢での湯治をはじめたそうです。また、湯治場となった元湯中田家の主人暢平の『塔之澤墜道之記』によれば、和宮は階下を流れる早川の水音に悩まされ、暢平は、里人の多くを集めて石を除け、しがらみを掛けて水音を支えたそうです。和宮はいつしか里人に親しみ、中田家の主人たちとの和歌に興じたりもしていたようです。

 小林明氏や展示解説の解読が正しいならば、天璋院は、和宮が早川の水音に悩んでいたことを宿の主人から聞き、そのことも歌に託したとも考えられる気がします。
 古文書も和歌も難しいですねぇ~ (泣)

今年の「大徳川展」にも、来年の大河を控えているので、この日記は展示されるでしょうから、どんな読みをするのか、楽しみにしたいと思います。

釈文が違う
桐野
かわいさん、まいたけさん

ご意見有難うございます。

まいたけさんのご指摘だと、解釈以前の問題として、釈文が違うようですね。

私が図録『皇女和宮』から引用したのは、

君かよは ひそめかねたる 早川の 
  水のなかれも うらめしきかな

まいたけさんのご紹介された図録『徳川将軍家展』では、

君かよはひ とゝめかねたる 早川の
  水のなかれも うらめしきかな

仮名の読み方と区切り方が異なります。「君かよはひ」だと字余りですが、まあ許容範囲でしょうね。

どちらの釈文が正しいのかよくわかりませんが、さしあたっての手がかりは図録『皇女和宮』に掲載されていた天璋院の旅日記しかなく、その該当部分を思い切り拡大してみました。

よく見てみますと、「よはひ」の「は」が「八」の変体仮名のようですね。
そして、一番肝心なのは「ひそめ」か「とゝめ」の部分。「と」の下の踊り字も合わせて一字だと見れば、「そ」にも見えます。これに字余りの一字のために、見事に2つの読み方が成立してしまうようですね。

どちらが正しいかの判断はなかなか難しいです。
天璋院の旅日記にほかにも「そ」が出てきますが、該当部分の字よりも、最後の屈曲部分が思い切り曲がっていて、少し違うかなという気もします。

どちらかといえば「とゝめかねたる」のほうが妥当かなという気がします。まいたけさんが紹介された、早川の水音がうるさい云々とも合致するような気がします。

「君がよはひ(齢)」だとすれば、「君が代」とはまったく異なる文脈になってしまいますね。
 


和宮没後130年の日
まいたけ

 図録を拡大コピーして、解読・検証していただき、ありがとうございました。
 解読によって、おっしゃるように、違った意味になってしまいますね。う~ん(悩)


 先ほど、気がついたのですが、今日(9月2日)は、和宮様のご命日でした。明治10年(1877)のこと。
 今年は、2007年ですから、没後130年になりますね。
 
 このような日と知らずに、和宮の最期をまとめた「静寛院宮後日譚を読んだり、天璋院の和宮を追悼する和歌について考えたりしていたことに驚きました。

 和宮様がご逝去された塔の沢の「元湯」は、現在は、「元湯 環翠楼」といい。国の有形登録文化財になっている名旅館だそうです。
 来年は、大河もあるので、たくさんのお客様が宿泊するのでしょうね。

今日は和宮の命日
桐野
まいたけさん、こんばんは。

今日は和宮の130回忌でしたか。そんな日に、一所懸命和宮や篤姫の話をするとは、まったくの奇遇ですね。

しかも、和宮への挽歌をあれこれ考えているのですから、なおさらです。これも何かの縁で、講座へのご加護だと思っておきましょう(笑)。

じつは、つい先日、箱根湯本まで行ったのですが、塔ノ沢がすぐ近くなのに、行きそびれました。というか、そのときは和宮の終焉の地だとは知りませんでした(爆)。
次回行く機会があったら、ぜひ訪ねてみたいです。早川の流れもどんな音か聴いてみたいですね。

和歌について
トイレ君
和歌の解釈云々で悩んでおられるようですが、
実物は「徳川記念財団」で保管されている、「熱海、箱根湯治日記」からの抜粋のようですね。それによると確かに「君が齢とどめかねたる早川の水の流れもうらめしきかな」なのだそうです。

余りにも早過ぎる和宮の死を悼み、「早過ぎる」死を「早川」に掛けている訳で、「齢とどめかねたる早川の…」となったようです。或る意味流石の鋭い文学センスだ・・!などと言ってしまったら両者に対し失礼でしょうけど、この短歌には唸ってしまいましたよ。悲しさをこんなにも情緒豊かにして綺麗な文章で表す事の出来る天璋院と言う人は、やはり並じゃない事が良く窺われますよね?

常時公開ではないそうですが、NHKで大河ドラマになっていたりしますので、特別に公開されているやも知れませんよ…。

ご教示多謝
桐野作人
トイレ君さん、こんばんは。

天璋院の和歌について、詳しいご説明有難うございました。
早川の流れを和宮の早すぎる死にかけてあるというのは納得でした。


「天璋院篤姫展」
まいたけ
『天璋院篤姫展』を見て参りました。

このブログで話題になった「熱海箱根湯治日記」が展示されていて、とても懐かしく見てまいりました。
本展の音声ガイドは、松坂慶子が幾島として解説をしていましたが、湯治日記の解説では、この和歌を、松坂慶子が情感をこめて「君がよはひ、とどめかねたる早川の、、、」と、詠んでいました。

「篤姫展」は、細かく展示替えがされるものもありますが、3月16日で大きな展示替えをするようですが、この日記は、全期間展示されるようです。
 

君かよはひ とゝめかねたる
桐野作人
まいたけさん、こんにちは。

さっそく篤姫展に行かれたのですね。
以前、問題になった天璋院の和歌、ちゃんと確認していただき、有難うございました。
松坂慶子のナレーションでしたか。一度聞いてみたいものです。
音声ガイドというのは、あの携帯用の器具のことでしょうか? あれは一度も使ったことがなくて、少し苦手です(笑)。

展示替え以前に行けそうもありません(泣)。



北のまじょ
篤姫(天樟院)の和歌をさがしています。お分かりでしたら是非教えて下さい。

篤姫の和歌
桐野作人
北のまじょさん、はじめまして。

篤姫の和歌については、私もよく知りません。
ただ、今年あった東京国立博物館などで開かれた天璋院篤姫展の図録には2点ほど載っていますね。
また天璋院の歌道入門誓詞もあるようですから、本格的にやっていたのは間違いないと思います。

また、天璋院の晩年(明治14年)の「熱海箱根湯治日記」は本人自筆ですので、折に触れて詠んだのではないかと思います。和宮終焉の地で詠んだ一首は有名ですが、ほかにも詠んでいるのではないでしょうか>ただ、この日記は活字化されていませんから、探すのは大変ですが。

私がわかるのはそれくらいです。



さっそく教えてくださって有難うございます。2首だけは分かっているのですが、他のも是非知りたくて探しています。  今日、篤姫展の図録を問い合わせをしたところ、今はないそうです。色々とありがとうございました。


篤姫展図録
桐野作人
北さま

篤姫展はこの週末から、鹿児島の黎明館で開かれます。
おそらく東博と同じ図録が販売されるはずですから、お問い合せになったら、いかがでしょうか。以下のサイトに詳細があります。

http://www.pref.kagoshima.jp/reimeikan/kouza/event_atsuhime.html



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コメント
この記事へのコメント
ひとつの可能性として
 その両方を掛けているとは考えられませんか。私は単純に一方とするよりも、深い意味を読み取れるように感じましたが。
2007/09/01(Sat) 19:38 | URL  | かわい #b7R9Co7w[ 編集]
 生意気な受講生ですいません(冷汗)

 天璋院の日記に、「塔之沢てふ出湯のあたりをみるに 過し頃 宮之君うせ給ひし高殿とて今も残れるに むねふさがり 懐旧のなみだに 袖をしぼり侍りぬ」と書いてあるという解説のあとの追悼和歌でしたので、「君が代」の「君」は、「宮の君」のことではないかと、安易に考えてしまいましたが、いろいろとお調べいただき、ありがとうございました。

 平成15年、江戸東京博物館で開催された『徳川将軍家展』の図録に収載されている小林明「静寛院宮後日譚ー明治期の親子内親王行実抄ー」の最後にも、この和歌が引用されていますが、読み方が少し違うようでして、

 君かよはひととめかねたる早川の
   水のなかれもうらめしきかな

 こちらは、「君が代」ではなく、「君かよはひ」(齢)と読んでありました。わたしは古文書が読めないので、どちらの読みが正しいのかわからないのですが、本展でも天璋院自筆稿本「熱海箱根湯治日記」は展示されており、その作品解説にも、「塔之澤てふ」以下が紹介されていました。天璋院は、この時、二首読んでいますが、もう一首「消ましゝ君が御たまやいかならん かくあさましき家を見つヽも」も書かれていました。また、「君がよはひ、、」は、「君がよはひ(齢)とゞめかねたる早川の」と、小林氏と同じように読んでました。

 小林明氏や展示解読に従うと、「とどめかねたる早川」とは何であろうかと疑問がわき、ヒントが転がっていないかと、この論考をはじめから読んでみました。『実麗卿記』によれば、和宮の病は脚気であったため、橋本実麗と実梁は、温泉による湯治をすすめ、和宮は塔ノ沢での湯治をはじめたそうです。また、湯治場となった元湯中田家の主人暢平の『塔之澤墜道之記』によれば、和宮は階下を流れる早川の水音に悩まされ、暢平は、里人の多くを集めて石を除け、しがらみを掛けて水音を支えたそうです。和宮はいつしか里人に親しみ、中田家の主人たちとの和歌に興じたりもしていたようです。

 小林明氏や展示解説の解読が正しいならば、天璋院は、和宮が早川の水音に悩んでいたことを宿の主人から聞き、そのことも歌に託したとも考えられる気がします。
 古文書も和歌も難しいですねぇ~ (泣)

今年の「大徳川展」にも、来年の大河を控えているので、この日記は展示されるでしょうから、どんな読みをするのか、楽しみにしたいと思います。
2007/09/02(Sun) 07:39 | URL  | まいたけ #BKdQhP/Q[ 編集]
釈文が違う
かわいさん、まいたけさん

ご意見有難うございます。

まいたけさんのご指摘だと、解釈以前の問題として、釈文が違うようですね。

私が図録『皇女和宮』から引用したのは、

君かよは ひそめかねたる 早川の 
  水のなかれも うらめしきかな

まいたけさんのご紹介された図録『徳川将軍家展』では、

君かよはひ とゝめかねたる 早川の
  水のなかれも うらめしきかな

仮名の読み方と区切り方が異なります。「君かよはひ」だと字余りですが、まあ許容範囲でしょうね。

どちらの釈文が正しいのかよくわかりませんが、さしあたっての手がかりは図録『皇女和宮』に掲載されていた天璋院の旅日記しかなく、その該当部分を思い切り拡大してみました。

よく見てみますと、「よはひ」の「は」が「八」の変体仮名のようですね。
そして、一番肝心なのは「ひそめ」か「とゝめ」の部分。「と」の下の踊り字も合わせて一字だと見れば、「そ」にも見えます。これに字余りの一字のために、見事に2つの読み方が成立してしまうようですね。

どちらが正しいかの判断はなかなか難しいです。
天璋院の旅日記にほかにも「そ」が出てきますが、該当部分の字よりも、最後の屈曲部分が思い切り曲がっていて、少し違うかなという気もします。

どちらかといえば「とゝめかねたる」のほうが妥当かなという気がします。まいたけさんが紹介された、早川の水音がうるさい云々とも合致するような気がします。

「君がよはひ(齢)」だとすれば、「君が代」とはまったく異なる文脈になってしまいますね。
 
2007/09/02(Sun) 13:47 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
和宮没後130年の日

 図録を拡大コピーして、解読・検証していただき、ありがとうございました。
 解読によって、おっしゃるように、違った意味になってしまいますね。う~ん(悩)


 先ほど、気がついたのですが、今日(9月2日)は、和宮様のご命日でした。明治10年(1877)のこと。
 今年は、2007年ですから、没後130年になりますね。
 
 このような日と知らずに、和宮の最期をまとめた「静寛院宮後日譚を読んだり、天璋院の和宮を追悼する和歌について考えたりしていたことに驚きました。

 和宮様がご逝去された塔の沢の「元湯」は、現在は、「元湯 環翠楼」といい。国の有形登録文化財になっている名旅館だそうです。
 来年は、大河もあるので、たくさんのお客様が宿泊するのでしょうね。
2007/09/02(Sun) 17:38 | URL  | まいたけ #BKdQhP/Q[ 編集]
今日は和宮の命日
まいたけさん、こんばんは。

今日は和宮の130回忌でしたか。そんな日に、一所懸命和宮や篤姫の話をするとは、まったくの奇遇ですね。

しかも、和宮への挽歌をあれこれ考えているのですから、なおさらです。これも何かの縁で、講座へのご加護だと思っておきましょう(笑)。

じつは、つい先日、箱根湯本まで行ったのですが、塔ノ沢がすぐ近くなのに、行きそびれました。というか、そのときは和宮の終焉の地だとは知りませんでした(爆)。
次回行く機会があったら、ぜひ訪ねてみたいです。早川の流れもどんな音か聴いてみたいですね。
2007/09/02(Sun) 21:52 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
和歌について
和歌の解釈云々で悩んでおられるようですが、
実物は「徳川記念財団」で保管されている、「熱海、箱根湯治日記」からの抜粋のようですね。それによると確かに「君が齢とどめかねたる早川の水の流れもうらめしきかな」なのだそうです。

余りにも早過ぎる和宮の死を悼み、「早過ぎる」死を「早川」に掛けている訳で、「齢とどめかねたる早川の…」となったようです。或る意味流石の鋭い文学センスだ・・!などと言ってしまったら両者に対し失礼でしょうけど、この短歌には唸ってしまいましたよ。悲しさをこんなにも情緒豊かにして綺麗な文章で表す事の出来る天璋院と言う人は、やはり並じゃない事が良く窺われますよね?

常時公開ではないそうですが、NHKで大河ドラマになっていたりしますので、特別に公開されているやも知れませんよ…。
2008/01/30(Wed) 01:23 | URL  | トイレ君 #tgwohGZ2[ 編集]
ご教示多謝
トイレ君さん、こんばんは。

天璋院の和歌について、詳しいご説明有難うございました。
早川の流れを和宮の早すぎる死にかけてあるというのは納得でした。
2008/01/30(Wed) 20:47 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
「天璋院篤姫展」
『天璋院篤姫展』を見て参りました。

このブログで話題になった「熱海箱根湯治日記」が展示されていて、とても懐かしく見てまいりました。
本展の音声ガイドは、松坂慶子が幾島として解説をしていましたが、湯治日記の解説では、この和歌を、松坂慶子が情感をこめて「君がよはひ、とどめかねたる早川の、、、」と、詠んでいました。

「篤姫展」は、細かく展示替えがされるものもありますが、3月16日で大きな展示替えをするようですが、この日記は、全期間展示されるようです。
 
2008/03/10(Mon) 16:58 | URL  | まいたけ #-[ 編集]
君かよはひ とゝめかねたる
まいたけさん、こんにちは。

さっそく篤姫展に行かれたのですね。
以前、問題になった天璋院の和歌、ちゃんと確認していただき、有難うございました。
松坂慶子のナレーションでしたか。一度聞いてみたいものです。
音声ガイドというのは、あの携帯用の器具のことでしょうか? あれは一度も使ったことがなくて、少し苦手です(笑)。

展示替え以前に行けそうもありません(泣)。
2008/03/10(Mon) 18:24 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
篤姫(天樟院)の和歌をさがしています。お分かりでしたら是非教えて下さい。
2008/09/03(Wed) 17:45 | URL  | 北のまじょ #-[ 編集]
篤姫の和歌
北のまじょさん、はじめまして。

篤姫の和歌については、私もよく知りません。
ただ、今年あった東京国立博物館などで開かれた天璋院篤姫展の図録には2点ほど載っていますね。
また天璋院の歌道入門誓詞もあるようですから、本格的にやっていたのは間違いないと思います。

また、天璋院の晩年(明治14年)の「熱海箱根湯治日記」は本人自筆ですので、折に触れて詠んだのではないかと思います。和宮終焉の地で詠んだ一首は有名ですが、ほかにも詠んでいるのではないでしょうか>ただ、この日記は活字化されていませんから、探すのは大変ですが。

私がわかるのはそれくらいです。
2008/09/04(Thu) 20:33 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
さっそく教えてくださって有難うございます。2首だけは分かっているのですが、他のも是非知りたくて探しています。  今日、篤姫展の図録を問い合わせをしたところ、今はないそうです。色々とありがとうございました。
2008/09/05(Fri) 14:48 | URL  | 北 #-[ 編集]
篤姫展図録
北さま

篤姫展はこの週末から、鹿児島の黎明館で開かれます。
おそらく東博と同じ図録が販売されるはずですから、お問い合せになったら、いかがでしょうか。以下のサイトに詳細があります。

http://www.pref.kagoshima.jp/reimeikan/kouza/event_atsuhime.html

2008/09/05(Fri) 18:23 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
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