歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第24回
―義虎にも将軍から一字―

連載コラムが更新になりました。
左下のリンク欄からご覧になれます。

前回からの続きで、薩州島津家の6代義虎について書きました。
ポイントは2点あります。
ひとつは、太守義久の長女於平を妻に迎えて、新本宗家との和解を実現したことを評価しました。
次に、ほとんど知られていない5代実久と6代義虎の上洛について書きました。2人の上洛については『言継卿記』に断片的な記事があります。義虎の記事のほうが詳しいです。とくに飛鳥井邸で義虎が蹴鞠の会を興行したことは注目されます。
また、義虎は将軍義輝から一字拝領しています。これは太守義久と同様であり、重要な事実だといえます。

ちなみに義虎の実名の変遷は、『旧記雑録拾遺 諸氏系譜三』によれば、次のようになります。

晴久 陽久 義利(義俊) 義虎

なお、義虎と近衛家との交流も重要です。
上洛した義虎は関白近衛前久との交流を深めました。
その関係は、前久が天正3年(1575)暮れに薩摩に下向し、義虎の出水城に3カ月ほど滞在したことに引き継がれます。

前久の出水滞在は重要な出来事ですが、紙数の関係で、これには触れられませんでした。あとで前久の出水滞在中のことを書く予定にしておりますので、そのときにまた触れたいと思います。

次回は7代忠辰のことを書きます。
彼の非業の最期を中心に、於平の実子だったのかどうかという点などを含めて書く予定です。
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【2007/09/15 11:38】 | さつま人国誌
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ばんない
今回の記事も興味深く拝見させていただきました。

どうも一般向け?の書籍では島津実久が島津日新斎忠良・貴久親子に負けてから、フェードアウトして行方不明になったような書き方をしているものが多いので、実際は今回の記事にもあるように京に遊びに行ってる(汗)し、見ようによっては悠々自適の晩年を送っている事実は興味深いですね。

実久・義虎親子が上洛した話は知っていたのですが、島津家側に残っている史料では詳しく書いた物がないですね。『言継卿記』に載っているとは知りませんでした。機会があれば読んでみたいと思います。

個人的には来週の内容はより待ち遠しいです。今週分の内容を拝見すると、御平と忠辰の関係について実子説を採ってられるようですが、その結論に至られた課程に興味があります。

島津忠辰
桐野
ばんないさん、こんんばんは。

忠辰が於平の実子かどうかに疑問を向けられるとは、さすがに鋭いですね。
私も実子説を当初は疑っていたのですが、史料の解釈や於平の年齢などから、成立するようにも思えます。
むしろ、ばんないさんのご意見をうかがいたいくらいです。


では、後出しじゃんけんと言うことで(汗)
ばんない
わたしも何が何でも「御平と忠辰は実の親子じゃないんだ!」…というのではないのですが、今わたしが知っている限りの情報では不確定の要素が多いと思いまして。

ということで、来週の桐野さんの記事を楽しみにしています。

忠辰の生年はいつか?
桐野
ばんないさん、こんばんは。

後出しジャンケンですか(笑)。

一応、ポイントは忠辰の生年だと思っています。
「薩州氏系図」は天文22年(1553)説
「本藩人物誌」「「島津弥市郎系図」(薩州家庶家)はともに永禄9年(1566)説を採っていますね。
かなり開きがあります。

永禄9年説だと、あくまで年齢的な見地から、於平の実子として辛うじて成立するかもと思っております。むろん、本宗家と薩州家の間で、婚姻年次を示す史料があるのであれば、その限りではありません。

もっとも、忠辰があのような死に方をしたのと、国賊伝に加えられていることから、本宗家が都合の悪いことを消し去った可能性もないとはいえません。

ちなみに、拙著「島津義久」では、非実子説を採りました。



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コメント
この記事へのコメント
今回の記事も興味深く拝見させていただきました。

どうも一般向け?の書籍では島津実久が島津日新斎忠良・貴久親子に負けてから、フェードアウトして行方不明になったような書き方をしているものが多いので、実際は今回の記事にもあるように京に遊びに行ってる(汗)し、見ようによっては悠々自適の晩年を送っている事実は興味深いですね。

実久・義虎親子が上洛した話は知っていたのですが、島津家側に残っている史料では詳しく書いた物がないですね。『言継卿記』に載っているとは知りませんでした。機会があれば読んでみたいと思います。

個人的には来週の内容はより待ち遠しいです。今週分の内容を拝見すると、御平と忠辰の関係について実子説を採ってられるようですが、その結論に至られた課程に興味があります。
2007/09/15(Sat) 16:10 | URL  | ばんない #kyBjvhlc[ 編集]
島津忠辰
ばんないさん、こんんばんは。

忠辰が於平の実子かどうかに疑問を向けられるとは、さすがに鋭いですね。
私も実子説を当初は疑っていたのですが、史料の解釈や於平の年齢などから、成立するようにも思えます。
むしろ、ばんないさんのご意見をうかがいたいくらいです。
2007/09/16(Sun) 00:01 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
では、後出しじゃんけんと言うことで(汗)
わたしも何が何でも「御平と忠辰は実の親子じゃないんだ!」…というのではないのですが、今わたしが知っている限りの情報では不確定の要素が多いと思いまして。

ということで、来週の桐野さんの記事を楽しみにしています。
2007/09/16(Sun) 21:56 | URL  | ばんない #kyBjvhlc[ 編集]
忠辰の生年はいつか?
ばんないさん、こんばんは。

後出しジャンケンですか(笑)。

一応、ポイントは忠辰の生年だと思っています。
「薩州氏系図」は天文22年(1553)説
「本藩人物誌」「「島津弥市郎系図」(薩州家庶家)はともに永禄9年(1566)説を採っていますね。
かなり開きがあります。

永禄9年説だと、あくまで年齢的な見地から、於平の実子として辛うじて成立するかもと思っております。むろん、本宗家と薩州家の間で、婚姻年次を示す史料があるのであれば、その限りではありません。

もっとも、忠辰があのような死に方をしたのと、国賊伝に加えられていることから、本宗家が都合の悪いことを消し去った可能性もないとはいえません。

ちなみに、拙著「島津義久」では、非実子説を採りました。

2007/09/16(Sun) 22:38 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
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