歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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植野美術館

今回の目的は、信長史料の調査。
丹波地方の盆地である。考えてみれば、明智光秀の所領だったところである。
所蔵先は博物館や文書館ではなく美術館。写真のようにオシャレで堅牢な建物だった。

信長文書が2点あった。どちらもあまり知られていないもので、奥野高廣著『織田信長文書の研究』にも収録されていない。

永禄11年(1568)、信長上洛時の「左京大夫」宛て書状(花押)。
天正2年(1574)か3年のもので、長島か越前の一向一揆攻めの頃の信長黒印状。宛所は切れてなかった。

あと、朝鮮陣での加藤清正の織田常真(信雄)宛ての、長~い長~い書状もあった。「咸鏡道」とか「兀良哈」(オランカイ)と出てきたから、文禄元年(1592)のものだろうと思った。
加藤清正は豪快なイメージとうらはらに、性格的に細かい人ではないかと思った。そうでなければ、50万石の大名にはなれないだろう。

ほかにも『信長公記』『総見記』の写本などもあった。これらも片っ端から撮影。

今回の調査で楽しみにしていたのは、某機関の専門家の史料撮影の様子をじっくり見学させてもらうことだった。
プロの撮影は大変だと思った。ライトのせいで何より暑い。途中で、撮影のために和綴じの冊子の頁めくりを手伝ったが、1巻めくっただけで腰が痛くなった。情けなや。
指先で紙がうまくつかめないで撮影ペースが遅かった私にくらべて、プロの速いこと速いこと。もっとも、近世の専門家は手が映るくらい速いそうな。

2次会では、中世や織豊期の研究者ばかりだったから、いろいろな情報が聞けて楽しかった。
もっとも、年長だったためか、古い大河ドラマの話ばかりして、みなを呆れさせていたのは私です(爆)。

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【2007/09/20 23:25】 | 信長
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加藤清正
ばんない
熊本県では未だに絶大な人気があるそうですね>清正

精神的に細かい人だったのではないかというのは、トイレに高下駄で入ったという逸話ですべて証明していると思います(爆)

島津義久の隠居所だった富隈城の石垣の石を贈呈した人と伝わっているそうですが、どこで義久とつながりが出来たのか謎です。

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コメント
この記事へのコメント
加藤清正
熊本県では未だに絶大な人気があるそうですね>清正

精神的に細かい人だったのではないかというのは、トイレに高下駄で入ったという逸話ですべて証明していると思います(爆)

島津義久の隠居所だった富隈城の石垣の石を贈呈した人と伝わっているそうですが、どこで義久とつながりが出来たのか謎です。
2007/09/23(Sun) 22:42 | URL  | ばんない #kyBjvhlc[ 編集]
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