歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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江戸城

江戸城天守台跡から本丸御殿方向を見る。手前の芝生周辺が大奥跡

小学館「てらこや」特別講座「大河ドラマ『篤姫』の見方2」第1回
詳しい案内はここにあります。

先週の9日に今次のテーマで開講。このところ、他の話題が多くて触れずじまいだった。
パート1は定員一杯で教室が窮屈だったが、今次は少し減って受講生のみなさんもゆったりして受講できるのではないか。

パート1では、薩摩藩側から見た視点だったが、今回は幕府側からだったり、歴史的な背景を追ったりしてみたいと思っている。
第1回は表題のタイトルの講義。

篤姫の生活空間だった大奥とはどんなところだったのか、大奥というスペースの空間構成、江戸城本丸御殿の3つの区画のなかで、他の表向や中奥との関係などをまず見ていく。

大奥もさらに3つの区画―御殿向(将軍御台所の居所)・広敷向(大奥事務所)・長局向(女性たちの居所)―に分かれている。とくに男性の諸役人も詰めていることを理解してもらう。

また将軍御台所を頂点する大奥女性たちの身分構成、お目見え以上と以下の階層別構成などを見ていく。とくに将軍の側室(御部屋様)になれるのが、御中臈と呼ばれる侍女たちであることを確認する。

次に、江戸城本丸御殿の表向という男性世界もかいま見る。
主に参考にさせてもらったのは次の論文。

松尾美恵子「大名の殿席と家格」(『徳川林政史研究所研究紀要』通号昭和55年度、1981年)

将軍の儀礼の場である白書院・黒書院を中心に、諸大名の控えの間である「殿席」というキーワードによって、幕藩体制の視覚的な縮図ともいえる空間構成を理解してもらう。
大名の殿席が家格の高い順から、

大廊下・溜間・大広間・帝鑑間・柳間・雁間・菊間

という7種からなっており、その特徴や家格との対応関係を見ていった。家格・官位・役職・石高・城地などの違いによって、殿席が異なること、また必ずしも殿席は固定的ではなく、大名のキャリアによって変更される場合があることを確認する。
島津家がその典型例で、従来、外様国持の殿席だった大広間から、御三家と同じ大廊下に移ったのが重豪のとき。その一女茂姫が将軍家斉の御台所となり、将軍家と親戚になったことが殿席移動の理由であることを確認した。

殿席配置の特徴のひとつして、溜間・帝鑑間・雁間・菊間という家門・譜代大名の殿席が白書院・黒書院を囲むように配置され、外様大名の殿席である大広間や柳間より将軍居所との位置関係が相対的に近いことを確認した。

もっとも、松尾氏も留保しているように、たとえば、帝鑑間と雁間に詰める譜代大名の条件・家格の違いがいまひとつ曖昧で、よくわからなかった。

江戸城本丸の平面図(カラーコピーも含めて2点)を見ながら解説したので、ある程度理解してもらえたのではないかと思う。

次回は何にするかまだ決めていない。
幕末史の重要事件で、篤姫や大奥に関わるものを時系列に沿って見ていったほうがいいと思っている。
となると、次は将軍継嗣問題あたりか。

そうそう、次回日程は少し変則的で3週空いて、30日(火)です。お間違えのないように>受講生のみなさん。
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【2007/10/15 20:19】 | てらこや
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