歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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真木和泉墓

(↑天王山にある真木和泉の墓標)

先日、天王山に登って十七烈士の墓を詣でたせいか、史料を見ていて真木和泉の詠草が目に止まった。しかも、真木が薩摩に入ったときのものである。

時期は文久2年(1862)2月から3月にかけてである。この時期の入薩者としては筑前藩士の平野国臣がいる。そして平野が詠んだ次の和歌はあまりに有名である。

 我が胸の燃ゆる思いにくらぶれば 煙は薄し桜島山

これは島津久光の率兵上京計画に伴い、尊攘派の一大決起を目論んでいた平野の入説に対して、大久保一蔵らが賛同しなかったため、平野が落胆した心情を詠ったものである。薩摩藩尊攘派には、我らのような燃えさかる熱意がないという失望感が桜島の薄い噴煙に譬えられている。

なお、平野は安政5年(1858)、僧月照を護衛して入薩しているから、このときが2回目である。月照とともに入水した西郷を蘇生させたのは平野の働きが大きかった。

一方、真木のほうだが、真木が平野らと決起計画を語らっていたのはたしかである。真木も平野と同時期に入薩していたとなると、一緒に行動していた可能性が高い。平野の入薩は知っていたが、真木のそれは不勉強で知らなかった。

「真木和泉入薩中ノ詩歌」と題した史料に和歌6首、漢詩5篇が収録されている(『鹿児島県史料 玉里島津家史料一』146号)。
そのなかから、二、三紹介する。

 【阿久根にて】  *【 】は詞書(ことばがき)
 旅衣なくさめかねてさつまかた 阿久根の浦にたふてをそひらふ

肥後方面から薩摩領に入る場合、陸路なら北薩出水の野間関を通過するか、海路なら出水の米ノ津か、少し南の阿久根に上陸する場合が多い。この和歌とその詞書を詠むかぎり、真木は阿久根に上陸したのではないかと思われる。
ちなみに、小生の実家は阿久根の北にあります。

 国沿南冥山岳崇 人資忠義貴英雄
 封彊一百二城裡 認得 天孫創業風


勇壮な七言絶句である。
「南冥山岳」は桜島か高千穂峰か、どちらだろうか。「天孫創業風」と関連があるなら後者か。
面白いのは、第四句の「天孫」に闕字(けつじ)が用いられていること。「天孫」は記紀にある、いわゆる天孫降臨だから、天皇家の先祖という意味である。散文(書簡や建白書の類)では朝廷や天皇に対して闕字をよく使うが、漢詩の表記でも闕字を使うのを初めて見た。これはやはり幕末期特有の表現ではないだろうか。当時の時代状況、また真木の勤王心が察せられる。

【桜島をめくりて福山の湊にあかり、通山といふ所まて行けるに又立かへりて】
 春なれハことわりなれと幾日へし かすむさくらのしまめくりして

真木はどうやら鹿児島城下から桜島に渡り、裏側の福山まで行ったことがわかる。藩領でもかなり奥深い場所だが、薩摩藩は真木に行動の自由を与えたらしい。
(↓福山から見た桜島の夕景色)
福山から桜島


「かすむさくらのしま」(霞む桜の島)の解釈だが、単に桜島の春の情景を詠んでいるのか、それとも、平野の感慨である「煙は薄し桜島山」と相通じるものがあるのだろうか。

 旅衣おもはぬかたに日数へて いそく心そまつ迷ひける

 琴の糸の心ほそさにすかゝきも かつかきまよふ旅衣哉

この2首には、やはり薩摩藩側との交渉がはかばかしくなく、交渉を早く切り上げて上京すべきか、それとも、もう少し粘るべきか、迷っているような真木の心境が察せられる。

ほかにも「擬家懐大島某」という詞書が付された七言律詩がある。内容が難しくてよくわからないが、詞書の「大島某」はもしかして大島吉之助こと西郷を指すか。
西郷はこの年(文久2年)2月初旬に流刑先の奄美大島から鹿児島に帰ってきていた。真木の詠草の日付は3月28日となっているから、西郷と会った可能性はありそうだ。

真木和泉はこのとき50歳である。諸藩や浪士の活動家は20、30代が圧倒的に多いなかで、老志士といえる。老年まで革命精神を持続できた原動力は何だったのか。その彼に桜島はどのように映じたのであろうか。

結局、入薩した真木や平野の入説は実らなかった。それは単に時局観や戦術のわずかな相違にとどまらず、最終的には西郷・大久保らとの対立という形になり、真木と平野は禁門の変に殉じることになる。
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【2006/12/04 01:32】 | 幕末維新
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通山はどこか
桐野
自己レスです。

真木和泉の和歌の詞書に「通山」という地名が出てくる。
真木が遊覧したコースは、

桜島→福山→通山

となる。
地図サイトで検索してみると、鹿児島県内の通山の候補地は2カ所。

1,志布志市有明町通山 (旧:曽於郡有明町)
2,霧島市牧園町上中津川通山 (旧:姶良郡牧園町)

1の通山のほうが大きな地名である。志布志湾に面しているから、風光明媚な場所であろう。福山から日州街道で行くのも不自然ではない。

でも、2ではないかという気がする。福山から霧島方面というのはやや遠回りにも見えるが、桜島を一回りしたあとだから、船便で福山に着くというのはそれほど不自然でもない。
何より、真木はやはり霧島の高千穂峰をめざしたのではないか。尊王派にとって、天孫降臨伝説に彩られた高千穂峰は憧れの地のはず。
登山はかなわなくても、その姿を遙拝できる場所まで行きたかったのではないか。
別の漢詩に「天孫創業風」という神武東征を思わせる一節がそれを裏づけているのではないか。

藩外の人間で高千穂峰をめざしたのは龍馬だけではなかったのかもしれない。

はじめまして
ゆぅちゃん
ブログでは。
以前、真木和泉を追って久留米と幽囚されていた家も拝見してまいりました。真木も多くの日記、史料を残している点で、その忍耐力には驚かされるものがありました。
簡単に語るには難しい人物ですが、清河八郎でさえ、和泉の素養に心打たれ、九州行きを決めるほど、その才能を買われていたのでしょう。和泉も幽囚期間が長いにも関わらず、その情報収集集、分析、方向、ともに卓越したものと、感心しております。
 そして、その幽囚が解かれた際、爆発的に各地の遊説を行います。薩摩もそのひとつなのでしょう。
 永い幽囚期間において聞いた薩摩~それがこの奥まで知悉しての行動だったのではないかと、素人考えを起こします。
 正月に買ってきた桜島小みかんを食しながら。 


桐野
ゆぅちゃんさん、初めまして。

真木和泉の郷里、久留米に行かれたのですね。
真木和泉はたしかに文久年間の尊攘派の首魁であり、藩の枠を越えて衆望を集めていたのは事実でしょうね。
惜しむらくは、やはり急ぎすぎたかという感じです。

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この記事へのコメント
通山はどこか
自己レスです。

真木和泉の和歌の詞書に「通山」という地名が出てくる。
真木が遊覧したコースは、

桜島→福山→通山

となる。
地図サイトで検索してみると、鹿児島県内の通山の候補地は2カ所。

1,志布志市有明町通山 (旧:曽於郡有明町)
2,霧島市牧園町上中津川通山 (旧:姶良郡牧園町)

1の通山のほうが大きな地名である。志布志湾に面しているから、風光明媚な場所であろう。福山から日州街道で行くのも不自然ではない。

でも、2ではないかという気がする。福山から霧島方面というのはやや遠回りにも見えるが、桜島を一回りしたあとだから、船便で福山に着くというのはそれほど不自然でもない。
何より、真木はやはり霧島の高千穂峰をめざしたのではないか。尊王派にとって、天孫降臨伝説に彩られた高千穂峰は憧れの地のはず。
登山はかなわなくても、その姿を遙拝できる場所まで行きたかったのではないか。
別の漢詩に「天孫創業風」という神武東征を思わせる一節がそれを裏づけているのではないか。

藩外の人間で高千穂峰をめざしたのは龍馬だけではなかったのかもしれない。
2006/12/04(Mon) 11:29 | URL  | 桐野 #-[ 編集]
はじめまして
ブログでは。
以前、真木和泉を追って久留米と幽囚されていた家も拝見してまいりました。真木も多くの日記、史料を残している点で、その忍耐力には驚かされるものがありました。
簡単に語るには難しい人物ですが、清河八郎でさえ、和泉の素養に心打たれ、九州行きを決めるほど、その才能を買われていたのでしょう。和泉も幽囚期間が長いにも関わらず、その情報収集集、分析、方向、ともに卓越したものと、感心しております。
 そして、その幽囚が解かれた際、爆発的に各地の遊説を行います。薩摩もそのひとつなのでしょう。
 永い幽囚期間において聞いた薩摩~それがこの奥まで知悉しての行動だったのではないかと、素人考えを起こします。
 正月に買ってきた桜島小みかんを食しながら。 
2007/01/22(Mon) 10:17 | URL  | ゆぅちゃん #Azz1qEqw[ 編集]
ゆぅちゃんさん、初めまして。

真木和泉の郷里、久留米に行かれたのですね。
真木和泉はたしかに文久年間の尊攘派の首魁であり、藩の枠を越えて衆望を集めていたのは事実でしょうね。
惜しむらくは、やはり急ぎすぎたかという感じです。
2007/01/23(Tue) 07:31 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
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