歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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週刊朝日2

週刊朝日11/16号で、週刊司馬遼太郎の特集が「翔ぶが如く」に入り2回目になった。表紙が貫地谷しほりちゃんだ。

今回は大久保利通がメインである。西郷隆盛の体躯の大きさ、目の大きさはアーネスト・サトウの証言でもよく知られているが、じつは大久保利通も西郷とほぼ同じ身長で、目も迫力があったという冒頭のエピソードからなかなか読ませてくれる。
特集タイトル「西南の巨人たち」はこの2人の身体的特徴も含意されているに違いない。

本文に登場するのは、大久保甲東の曾孫、利泰氏。拙ブログでも何度かご紹介したことがある。
大久保没後100年で建立された大久保銅像の除幕式出席のため、初めて鹿児島に行かれたとき、緊張したという述懐がリアルである。
また銅像が傷つけられないように除幕式までぐるぐる巻にしてあったということは初めて知った。

ちなみに、銅像制作者は今年の文化勲章受章者である中村晋也氏である。

なお、次回(東京13日発売号)は小生も登場予定。
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【2007/11/11 11:36】 | 幕末維新
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まいたけ
大久保利通関係文書が重文指定された際、黎明館で大久保利通の企画展が開催されましたが、あのときですら、大久保利通像の原型のブロンズ像はガラスケースに入って展示されてましたね。
またまだ大久保に対する屈折した感情が一部の鹿児島県民には残っているようで、寂しい気がします。

今度の火曜日発売の週刊朝日、購入しま~す。



屈折
桐野
まいたけさん、こんばんは。

大久保への屈折した感情、たしかに鹿児島にはまだ残っていますね。
私は誤解の積み重ねもあると思っています。

まず、征韓論で対立したとはいえ、大久保は西郷を追放するつもりはなかったこと。時期を見ての西郷復帰の可能性も排除していなかったでしょう。
第二に、西郷暗殺計画なるものは存在しなかった可能性が高いと思っています。
第三に、大久保は木戸孝允に突き上げられるほど、鹿児島に気をつかっていたこと。

以上から、西南戦争を起こしたかったのはどちら側だったか、ある程度明らかだと思いますが、これで大久保が恨まれているとしたら、少し可哀相ですね。

火曜日の記事、少し心配ではありますが……。

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大久保利通関係文書が重文指定された際、黎明館で大久保利通の企画展が開催されましたが、あのときですら、大久保利通像の原型のブロンズ像はガラスケースに入って展示されてましたね。
またまだ大久保に対する屈折した感情が一部の鹿児島県民には残っているようで、寂しい気がします。

今度の火曜日発売の週刊朝日、購入しま~す。

2007/11/11(Sun) 13:45 | URL  | まいたけ #BKdQhP/Q[ 編集]
屈折
まいたけさん、こんばんは。

大久保への屈折した感情、たしかに鹿児島にはまだ残っていますね。
私は誤解の積み重ねもあると思っています。

まず、征韓論で対立したとはいえ、大久保は西郷を追放するつもりはなかったこと。時期を見ての西郷復帰の可能性も排除していなかったでしょう。
第二に、西郷暗殺計画なるものは存在しなかった可能性が高いと思っています。
第三に、大久保は木戸孝允に突き上げられるほど、鹿児島に気をつかっていたこと。

以上から、西南戦争を起こしたかったのはどちら側だったか、ある程度明らかだと思いますが、これで大久保が恨まれているとしたら、少し可哀相ですね。

火曜日の記事、少し心配ではありますが……。
2007/11/11(Sun) 23:01 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
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