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こんにちは。富山在住の先生のファンなので、思わず書き込みしてしまいました。どのようなことについて調査をされたのか気になります。信長関連ででしょうか?越中は織田・上杉の攻防最前線で、魚津城の戦い、月岡野の戦いなどが興味深いところですが、史料的制約もあってよくわからないことが多いです。本能寺の変直前に光秀の密使が魚津篭城の上杉軍と連絡を取っていたという藤田達生氏の説もありますね。成果を期待しています。
富丸さん、はじめまして。
コメントいただき有難うございます。
富山にお住まいでしたか。魚はおいしくて、いい所ですね。
積雪しているのかと思っていたら、まったく雪はなく、東京と同じくらいの暖かでびっくりでした。重装備で行ったのですが(笑)。
目的は県文書館の所蔵する信長関係の史料調査でした。
前田家分家の富山藩には、「信長記」の筆者太田牛一の子孫が仕えていた関係から、史料が残されています。その調査でした。
特急で富山のひとつ前の駅が魚津でした。
私も柴田勝家らの魚津城攻めを思い出しました。
藤田説に関しては、拙著『だれが信長を殺したのか』(PHP新書)で触れています。よかったら、読んで下さいませ。
今後ともご愛顧下さいませ。
コメントありがとうございます。
地球温暖化の影響でしょうか。最近は暖冬が多いです。北国の住人にとっては助かるのですが・・・
御本は拝読しております。藤田説は書状の日付確定に関して問題があり内容からもおかしいということでしたね。
太田牛一子孫については、おそらくご存知のことと思いますが、何号か失念しましたが『富山史壇』に岡部二郎氏の論考が載っております。谷口先生の「織田信長家臣人名辞典」にも不明とされていた牛一の享年や、最近先生が甫庵本「信長記」の再評価を試みられましたが、牛一の子孫と小瀬甫庵の子孫が養子縁組しているなど意外な事実が載っていて興味深かったです。また「太田」ではなく正しくは「大田」だともありました。ただでさえ牛一の読みが「ぎゅういち」か、「うしかず」かわからないのに(笑)
富丸さん、こんばんは。
はい、その史料を見てきました。情報源はご紹介の岡部氏の論文です。
たしかに、知行安堵状などの宛所が「太田」ではなく「大田」になっていましたね。
牛一の享年も書かれている年譜もありました。
富丸さんは大変お詳しいですね。
もしかして、越中史壇会に属しておられるのでしょうか?
今後、織田・前田・佐々関係の論文や新史料などありましたら、教えて下さいませ(あつかましい)。
富山駅ビル内の書店に拙著をまだ目立つように並べてくれていて、感激でした。
富丸さん、こんばんは。
2つの研究会サイトのご紹介有難うございます。
日本海文化研究所の編纂した本を以前買ったような記憶があります。拙ブログのはじめのほうで紹介したような。
どちらも興味深いですね。
今後、参考にさせていただきます。