歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第36回
―野村忍介との因縁話も―

連載が更新になりました。
左のリンク欄「さつま人国誌」にアクセスすればご覧になれます。

今回は桐野利秋編の最終回です。
これまでの連載でもっとも長い5回の連載でした。
それだけ書くことがあるのと、個人的な思い入れもあるからですが、今回は西南戦争で、西郷軍の内部対立、とくに桐野と野村忍介の意見の食い違いについて書きました。

西郷軍の挙兵は、戦略的に見ると、その補給能力からして短期決戦であるべきで、機動力を活かして速やかに九州の外に出て、長州や土佐の反政府士族と合流したり、農民一揆との結合を実現することが勝利への道だったと思いますが、いかんせん、熊本城攻撃と決したことにより、政府軍有利の長期戦へと引きずり込まれてしまいました。
それは、西郷暗殺計画を問責するという挙兵目的(万を超える大軍の挙兵の名分としてはいかがか)に規定されていたともいえましょう。
西郷や桐野は自分たちも参画したがために、明治政府の打倒を呼びかけることができず、それでも挙兵しながら、かつ他の広範な反政府勢力と結合しない(できない)という自己撞着に陥ったようにも思います。

そうした西郷軍の特性(長所・短所)を知り尽くして、短期決戦に活路を見出すという比較的理にかなった戦術眼をもっていたのが野村忍介だったと思います。
野村の献策が実現していたら、西南戦争はもっと違った展開になっていたかもしれません。でも、それは西郷軍の勝利というよりも、さらに泥沼の内戦状態に陥った可能性もあります。
果たして、どちらがよかったのか、歴史の見方に関わる問題かもしれません。

次回は中馬大蔵を書こうかと思っているところです。
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【2007/12/08 16:40】 | さつま人国誌
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中村太郎
桐野様

以前一度、コメントさせていただいた者です。
「さつま人国誌」に桐野利秋を5回も連載していただき、感激しています。
利秋と忍介、まだ不勉強で、司馬氏の『翔ぶが如く』以上のことは知りません。
「野村忍介自叙伝写本」は鹿児島県立図書館でコピーしてきたのに未だに読んでいないといった恥ずかしい状態です。
ところで6・7日と出水市に行ってきました。
出水市へは、30年前に利秋の「京在日記」のことで田島秀隆先生にお会いするためにいちど行ったことがあります。
今回はツルがめあてでしたが、感応寺で忠久公はじめ島津氏五代の墓も見学、歴史民族資料館にも参りました。
新幹線の駅舎がツルを模していたのはさすがでした。(笑)
山々がとてもきれいで、桐野様はステキなところでお育ちになられたのですね。
今度は桜の季節にぜひとも行きたいと考えております。




野村忍介自叙伝写本
桐野作人
中村太郎さん、こんばんは。

ハンドル名は桐野の僕からとられたのでしょうか。
「野村忍介自叙伝写本」ですが、県立図書館のデータベースではヒットしなかったので、所蔵していないと思っていたのですが、ありますか。もしかしてだいぶ前からあるんでしょうかね。だったら、不勉強でした。いつもお世話になっているから、ちゃんと問い合わせすべきだったかもしれません。

出水にも行かれたんですね。
「京在日記」を翻刻された田島先生とは、私も親しくさせていただき、いろいろ励ましてもらいましたが、惜しいことに亡くなられましたね。
30年前に行かれたとは、よほどのベテランでいらっしゃるのですね。

感応寺は私も10年ほど前に行ったことがあります。

鹿児島事情にお詳しいようなので、今後ともよろしく。



中村太郎
こんばんは。

お察しのとおり、ハンドル名は利秋の僕の太郎から勝手にいただきました。
利秋が太郎と命名したと聞きますし・・・。

学生時代、利秋について調べるために鹿児島に行き、維新史料編さん所の先生方にいろいろ親切にしていただきました。
まだその頃は桐野の「京在日記」は今ほど"有名"でなく、田島先生にご連絡したところ、会うとおっしゃってくださいました
のでお伺いしました。
就職などで、ずっと利秋と離れていたのですが、ここ数年時間的余裕ができ、また調べなおしています。
でも、いかに学生時代勉強していなかったと反省しきりです。
それと、いい時代になったと思います。
コピーもそうそう取れなくて「写本」していましたから。
住まいは東京なのですが、国会図書館のコピーは高いので、鹿児島へ行くとなるべく県立図書館でコピーしてきます。(笑)
「野村忍介自叙伝写本」は偶然見つけました。
「西南戦争之記録」第2号(2003年11月 西南戦争を記録する会)に載っていて、会の代表者の高橋信武氏が解説しています。

桐野様のおかげで、堂満幸子先生の「吉田清成関係文書の紹介」の存在を知り、また新たな利秋の書簡を見ることができました。どうもありがとうございました。
ところで、「京在日記」の表紙の「京在日記」等の文字が日記中の利秋の筆跡とは違う感じなので、別人が書き入れたと私は推測しているのですが、桐野様はどう思われますか?

利秋が好きなだけで、鹿児島のことはほとんど無知です。
「さつま人国誌」で初めて聞くお名前の多いこと・・・・。
勉強させていただいております。

「西南戦争之記録」
桐野作人
中村太郎さん、こんにちは。

野村忍介の自叙伝はやはり「西南戦争之記録」所収でしたか。
だったら、よかったです。私もその本から使いましたので。
もしかして、だいぶ前から公表されていたのを、知らないでいたのかと思っていたものですから(笑)。

「京在日記」の表紙と本文の文字ですが、たしかに違うような気もしますが、表紙は楷書に近く、本文はくずし字ですから、同一人かどうか判断するのは難しいですね。
個人的には、本文のほうが達筆だと思います。本文が自筆だとすれば、表紙は後世、別人が付けたものでしょうかね。よくわかりません。

堂満さんの「吉田清成関係文書の紹介」の所収先はわかりましたか?




中村太郎
こんばんは。(と言うには遅い時刻ですが・・・・)

「吉田清成関係文書の紹介」について、ご心配いただき、ありがとうございます。
堂満先生の論文なので「黎明館調査研究報告」にあるかもしれないと検索しましたところ、見つけました。
早速、鹿児島県立図書館に複写サービスをおねがいしました。10日間の特別整理休館が途中にはいってしまいましたが、出水から帰ったら届いていました。
書簡の全てが写真掲載されているわけではないのに、その中に利秋の書簡が写真で掲載されていたのは本当にうれしかったです。
あらためて、桐野様に御礼申し上げます。

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この記事へのコメント
桐野様

以前一度、コメントさせていただいた者です。
「さつま人国誌」に桐野利秋を5回も連載していただき、感激しています。
利秋と忍介、まだ不勉強で、司馬氏の『翔ぶが如く』以上のことは知りません。
「野村忍介自叙伝写本」は鹿児島県立図書館でコピーしてきたのに未だに読んでいないといった恥ずかしい状態です。
ところで6・7日と出水市に行ってきました。
出水市へは、30年前に利秋の「京在日記」のことで田島秀隆先生にお会いするためにいちど行ったことがあります。
今回はツルがめあてでしたが、感応寺で忠久公はじめ島津氏五代の墓も見学、歴史民族資料館にも参りました。
新幹線の駅舎がツルを模していたのはさすがでした。(笑)
山々がとてもきれいで、桐野様はステキなところでお育ちになられたのですね。
今度は桜の季節にぜひとも行きたいと考えております。


2007/12/08(Sat) 22:09 | URL  | 中村太郎 #-[ 編集]
野村忍介自叙伝写本
中村太郎さん、こんばんは。

ハンドル名は桐野の僕からとられたのでしょうか。
「野村忍介自叙伝写本」ですが、県立図書館のデータベースではヒットしなかったので、所蔵していないと思っていたのですが、ありますか。もしかしてだいぶ前からあるんでしょうかね。だったら、不勉強でした。いつもお世話になっているから、ちゃんと問い合わせすべきだったかもしれません。

出水にも行かれたんですね。
「京在日記」を翻刻された田島先生とは、私も親しくさせていただき、いろいろ励ましてもらいましたが、惜しいことに亡くなられましたね。
30年前に行かれたとは、よほどのベテランでいらっしゃるのですね。

感応寺は私も10年ほど前に行ったことがあります。

鹿児島事情にお詳しいようなので、今後ともよろしく。
2007/12/09(Sun) 19:43 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
こんばんは。

お察しのとおり、ハンドル名は利秋の僕の太郎から勝手にいただきました。
利秋が太郎と命名したと聞きますし・・・。

学生時代、利秋について調べるために鹿児島に行き、維新史料編さん所の先生方にいろいろ親切にしていただきました。
まだその頃は桐野の「京在日記」は今ほど"有名"でなく、田島先生にご連絡したところ、会うとおっしゃってくださいました
のでお伺いしました。
就職などで、ずっと利秋と離れていたのですが、ここ数年時間的余裕ができ、また調べなおしています。
でも、いかに学生時代勉強していなかったと反省しきりです。
それと、いい時代になったと思います。
コピーもそうそう取れなくて「写本」していましたから。
住まいは東京なのですが、国会図書館のコピーは高いので、鹿児島へ行くとなるべく県立図書館でコピーしてきます。(笑)
「野村忍介自叙伝写本」は偶然見つけました。
「西南戦争之記録」第2号(2003年11月 西南戦争を記録する会)に載っていて、会の代表者の高橋信武氏が解説しています。

桐野様のおかげで、堂満幸子先生の「吉田清成関係文書の紹介」の存在を知り、また新たな利秋の書簡を見ることができました。どうもありがとうございました。
ところで、「京在日記」の表紙の「京在日記」等の文字が日記中の利秋の筆跡とは違う感じなので、別人が書き入れたと私は推測しているのですが、桐野様はどう思われますか?

利秋が好きなだけで、鹿児島のことはほとんど無知です。
「さつま人国誌」で初めて聞くお名前の多いこと・・・・。
勉強させていただいております。
2007/12/09(Sun) 23:32 | URL  | 中村太郎 #-[ 編集]
「西南戦争之記録」
中村太郎さん、こんにちは。

野村忍介の自叙伝はやはり「西南戦争之記録」所収でしたか。
だったら、よかったです。私もその本から使いましたので。
もしかして、だいぶ前から公表されていたのを、知らないでいたのかと思っていたものですから(笑)。

「京在日記」の表紙と本文の文字ですが、たしかに違うような気もしますが、表紙は楷書に近く、本文はくずし字ですから、同一人かどうか判断するのは難しいですね。
個人的には、本文のほうが達筆だと思います。本文が自筆だとすれば、表紙は後世、別人が付けたものでしょうかね。よくわかりません。

堂満さんの「吉田清成関係文書の紹介」の所収先はわかりましたか?

2007/12/10(Mon) 10:32 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
こんばんは。(と言うには遅い時刻ですが・・・・)

「吉田清成関係文書の紹介」について、ご心配いただき、ありがとうございます。
堂満先生の論文なので「黎明館調査研究報告」にあるかもしれないと検索しましたところ、見つけました。
早速、鹿児島県立図書館に複写サービスをおねがいしました。10日間の特別整理休館が途中にはいってしまいましたが、出水から帰ったら届いていました。
書簡の全てが写真掲載されているわけではないのに、その中に利秋の書簡が写真で掲載されていたのは本当にうれしかったです。
あらためて、桐野様に御礼申し上げます。
2007/12/11(Tue) 00:39 | URL  | 中村太郎 #-[ 編集]
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