歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第37回
―義弘食ったぼっけもん―

小生の連載が更新になりました。
左側のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすれば、ご覧になれます。

前回まで、幕末の”ぼっけもん”桐野利秋でしたが、今回は戦国の”ぼっけもん”といえる中馬大蔵です。
ご存じの方もおいでかもしれません。
よく知られた逸話を中心にまとめました。じつは、関ヶ原以外のことも書いたのですが、分量オーバーのため、削除せざるをえませんでした。
以前に撮影していた中馬の墓の写真も活用できた。この墓を探すのに苦労した覚えがある。

余談ながら、小生の縁者に中馬の子孫がいる。
古文書や系図などがあるらしい。一度、拝見したいものである。

次回は、親子して薩摩に下向した近衛前久・信尹の逸話か、あるいは幕末に設置された薩摩藩の開成所のどちらを取り上げようかと迷っている。


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【2007/12/15 11:54】 | さつま人国誌
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ぼっけもん新聞
ようやく、我が家の故郷小漉のぼっけもんのお出ましですね。
嬉しいです。
もちろん、私の個人新聞の題は、少しでも彼のような「ぼっけもん」に近づければと思い名づけました。
 中馬の逸話を拝見するたびに、薩摩隼人を体現しているように思えて私の内に火がつきます。
 
 質問です。
鹿児島の歴史は、縄文、弥生、熊襲、隼人から突然島津に飛んでいるように思えるのですが・・・
鹿児島を島津が統一する前の歴史が知りたいのですが、何か良い書籍をご存知ではないでしょうか?
ご返答頂ければ幸いです。


『鹿児島県の歴史』
桐野作人
ぼっけもん新聞さん、おはようございます。

中馬大蔵の墓のあるあたりは小漉というんですか?
もう少し別の地名だったような記憶もあるのですが、よく思い出せません……。

お尋ねの件ですが、山川出版社が刊行している県史シリーズのうちの『鹿児島県の歴史』が概説書としてはいいのではないでしょうか。バランスのとれた記述ですし、値段もお手頃(1.900円)です。
島津時代以前のことも詳しく書かれていますよ。


ぼっけもん新聞
中馬の墓は、脇本ですよね。
すいません。
山平家が代々住んでいる場所が、脇本小漉です。
勘違いしました。
 
書籍の件、ありがとうございます。
早速、入手いたします。
また、調べ物に困ったらお尋ねします。
毎回、丁寧な返答、感謝しています。

瀬之浦か
桐野作人
ぼっけもん新聞さん、こんばんは。

ちょっと地図を調べてみたら、中馬大蔵の墓は脇本の瀬之浦だったような気がします。

小漉は、長島に面した海側の方なんですね。
うちの実家から笠山が見えるのですが、その反対側にあたるようですね。
お互い、意外と近いところに住んでいたんですね。
ちなみに、脇本の近くに桐野という地名があります。
小生の名字はその地名にちなんでいるんじゃないかと思っていますが……。

近いですね。
ぼっけもん新聞
 私の家は、壇ノ浦の戦いで落ち延びた平家の落人の末裔と聞いています。
小漉部落を開拓して暮らしていました。
ここの部落には山平の姓が多いです。
また、島津統治時には、名頭として勤めてたそうです。
山平という姓について様々な書籍で調べたのですが、未だにあまり分かりません。
何かご存知ではないでしょうか?


山平氏?
桐野作人
ぼっけもん新聞さん、こんにちは。

山平という名字はあまり聞きませんね。
私が知っているのは、鹿児島の人名を集めた『鹿児島県姓氏家系大辞典』(角川書店)です。おそらく鹿児島の名字のほとんどを網羅しているのではないかと思いますが、山平氏は立項されていませんでした。
平家の落人という特殊性のゆえでしょうか。またそのため、あまり外に向かって出ていかず、集落内に留まることが多かったためでしょうか。
山平の「平」は平家を暗示しているのでしょうかね。


ぼっけもん新聞
「平」は平家を暗示しているそうです。
GHQに獲られる以前は、落人時代から受け継がれていた家宝の刀があったそうです。
山平は、小漉で名頭として「阿久根脇本小学校100年史」だったと思いますが、これにしか記載されていません。
 不思議な家柄です。

名頭
桐野作人
ぼっけもん新聞さん、こんばんは。

ご先祖が小漉で名頭だったとのこと。
名頭は「みょうとう」と読み、薩摩藩独特の村落支配制度である「門割制度」における「門」の代表ですね。「門」は数戸の百姓の家で構成されています。
身分的には百姓であり、武士ではありません。となると、前近代には名字を持たなかった可能性が高いですね。
そうであれば、山平名字は明治以降に新たに作られたのかもしれません。各種の人名辞典に掲載されていない理由とも合致します。


勉強になります。
ぼっけもん新聞
名頭が百姓だったとは、知りませんでした。
門を支配する立場ということは、知っていましたが、農民なのか武士なのか、疑問に思っていました。
明治以降に新たに作られた戸籍という可能性が高いですね。
私も様々な人名辞典で調べましたが、ありませんでした。
薩摩では「生かさず殺さず」の農民ですね。
ご先祖の苦労が偲ばれます。
 母方の祖母は、角野といい正確には忘れましたが、江戸時代は違う苗字だったようです。
ちなみに、祖母の父(私の曾祖父)までは代々、医師だったそうです。
患者に渡す薬袋に○に十の家紋が入っているのが不思議ですが・・・ちなみに墓石にも同じ家紋が入っています。
島津家以外にも使用できたのでしょうか。

管理人のみ閲覧できます
-


7年前に気付いていれば…
ひよこ
山平(やまひら)の名字は現在の兵庫県にて、源義経により授けられた名字です。義経が鵯越の戦いへ向かう際、地主であった先祖が家に泊めた事が切欠で、その昔は山平村と呼ばれる地域がある程だったと巻物に書かれていました。 

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コメント
この記事へのコメント
ようやく、我が家の故郷小漉のぼっけもんのお出ましですね。
嬉しいです。
もちろん、私の個人新聞の題は、少しでも彼のような「ぼっけもん」に近づければと思い名づけました。
 中馬の逸話を拝見するたびに、薩摩隼人を体現しているように思えて私の内に火がつきます。
 
 質問です。
鹿児島の歴史は、縄文、弥生、熊襲、隼人から突然島津に飛んでいるように思えるのですが・・・
鹿児島を島津が統一する前の歴史が知りたいのですが、何か良い書籍をご存知ではないでしょうか?
ご返答頂ければ幸いです。
2007/12/15(Sat) 21:26 | URL  | ぼっけもん新聞 #-[ 編集]
『鹿児島県の歴史』
ぼっけもん新聞さん、おはようございます。

中馬大蔵の墓のあるあたりは小漉というんですか?
もう少し別の地名だったような記憶もあるのですが、よく思い出せません……。

お尋ねの件ですが、山川出版社が刊行している県史シリーズのうちの『鹿児島県の歴史』が概説書としてはいいのではないでしょうか。バランスのとれた記述ですし、値段もお手頃(1.900円)です。
島津時代以前のことも詳しく書かれていますよ。
2007/12/16(Sun) 09:35 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
中馬の墓は、脇本ですよね。
すいません。
山平家が代々住んでいる場所が、脇本小漉です。
勘違いしました。
 
書籍の件、ありがとうございます。
早速、入手いたします。
また、調べ物に困ったらお尋ねします。
毎回、丁寧な返答、感謝しています。
2007/12/16(Sun) 20:06 | URL  | ぼっけもん新聞 #-[ 編集]
瀬之浦か
ぼっけもん新聞さん、こんばんは。

ちょっと地図を調べてみたら、中馬大蔵の墓は脇本の瀬之浦だったような気がします。

小漉は、長島に面した海側の方なんですね。
うちの実家から笠山が見えるのですが、その反対側にあたるようですね。
お互い、意外と近いところに住んでいたんですね。
ちなみに、脇本の近くに桐野という地名があります。
小生の名字はその地名にちなんでいるんじゃないかと思っていますが……。
2007/12/16(Sun) 22:20 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
近いですね。
 私の家は、壇ノ浦の戦いで落ち延びた平家の落人の末裔と聞いています。
小漉部落を開拓して暮らしていました。
ここの部落には山平の姓が多いです。
また、島津統治時には、名頭として勤めてたそうです。
山平という姓について様々な書籍で調べたのですが、未だにあまり分かりません。
何かご存知ではないでしょうか?
2007/12/17(Mon) 21:31 | URL  | ぼっけもん新聞 #-[ 編集]
山平氏?
ぼっけもん新聞さん、こんにちは。

山平という名字はあまり聞きませんね。
私が知っているのは、鹿児島の人名を集めた『鹿児島県姓氏家系大辞典』(角川書店)です。おそらく鹿児島の名字のほとんどを網羅しているのではないかと思いますが、山平氏は立項されていませんでした。
平家の落人という特殊性のゆえでしょうか。またそのため、あまり外に向かって出ていかず、集落内に留まることが多かったためでしょうか。
山平の「平」は平家を暗示しているのでしょうかね。
2007/12/19(Wed) 09:39 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
「平」は平家を暗示しているそうです。
GHQに獲られる以前は、落人時代から受け継がれていた家宝の刀があったそうです。
山平は、小漉で名頭として「阿久根脇本小学校100年史」だったと思いますが、これにしか記載されていません。
 不思議な家柄です。
2007/12/19(Wed) 20:45 | URL  | ぼっけもん新聞 #-[ 編集]
名頭
ぼっけもん新聞さん、こんばんは。

ご先祖が小漉で名頭だったとのこと。
名頭は「みょうとう」と読み、薩摩藩独特の村落支配制度である「門割制度」における「門」の代表ですね。「門」は数戸の百姓の家で構成されています。
身分的には百姓であり、武士ではありません。となると、前近代には名字を持たなかった可能性が高いですね。
そうであれば、山平名字は明治以降に新たに作られたのかもしれません。各種の人名辞典に掲載されていない理由とも合致します。
2007/12/19(Wed) 23:57 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
勉強になります。
名頭が百姓だったとは、知りませんでした。
門を支配する立場ということは、知っていましたが、農民なのか武士なのか、疑問に思っていました。
明治以降に新たに作られた戸籍という可能性が高いですね。
私も様々な人名辞典で調べましたが、ありませんでした。
薩摩では「生かさず殺さず」の農民ですね。
ご先祖の苦労が偲ばれます。
 母方の祖母は、角野といい正確には忘れましたが、江戸時代は違う苗字だったようです。
ちなみに、祖母の父(私の曾祖父)までは代々、医師だったそうです。
患者に渡す薬袋に○に十の家紋が入っているのが不思議ですが・・・ちなみに墓石にも同じ家紋が入っています。
島津家以外にも使用できたのでしょうか。
2007/12/20(Thu) 00:24 | URL  | ぼっけもん新聞 #-[ 編集]
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このコメントは管理人のみ閲覧できます
2009/08/07(Fri) 20:48 |   |  #[ 編集]
7年前に気付いていれば…
山平(やまひら)の名字は現在の兵庫県にて、源義経により授けられた名字です。義経が鵯越の戦いへ向かう際、地主であった先祖が家に泊めた事が切欠で、その昔は山平村と呼ばれる地域がある程だったと巻物に書かれていました。 
2014/05/18(Sun) 02:16 | URL  | ひよこ #-[ 編集]
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