歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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お知らせ
昨日、ひとつ書き忘れておりました。新しい大河ドラマが始まったので、新たに【篤姫】のカテゴリーを設けました。よろしくお願いします。

ついでながら、昨日書けなかったモリソン号について若干補足しておきます。

『旧記雑録追録』などに、このときの一件が収録されていないか確認しましたところ、鹿児島県史料シリーズの『島津斉宣・斉興公史料』のなかに、

333号「天保八年山川港ニ英艦渡来ノ事実」

という史料がありましたので、少しご紹介しておきます。
なお、モリソン号を「英艦」としていますが、おそらくアメリカ船籍だろうと思います。

浦賀で砲撃を受けて退去したモリソン号が薩摩の山川港に立ち寄ったのは、漂流民が琉球なら帰国できそうだと考え、琉球の宗主藩である薩摩に寄港したということらしいです。
寄港は天保8年(1837)7月10日。山川郷児ヶ水村の沖だとしています。

「此時、渡来かつ難民護送の報、藩に達するや、同十一日御城代兼御家老島津但馬[久風、薩摩国日置郡日置郷六千五百六十余石を領す]、一隊の兵を卒ひて出軍し、同十二日難民は宜しく和蘭人に依嘱すべきを示し、而て国法に依りて放撃すべきを示唆す」

ドラマで薩摩藩代表が乗組員と会見している場面がありました。配役に「島津久風」とあったのに気づいていましたが、どこで登場したのかわかりませんでした。このときの薩摩藩の代表である城代家老だったわけですね。
島津久風といえば、日置島津家の当主で、桂久武や赤山靱負などの父にあたります。
「国法」というのは、文政8年(1825)のいわゆる異国船打払令(無二念打払令)のことです。浦賀で幕府側が砲撃したのもこの法に従ったものです。

当然、薩摩藩も「国法」に従った行動をとります。

「難民など百方哀願すと雖も、素より国法の允さざる処なるが故、食料薪水を与へて慰諭し、而して後放発すること数刻[皆空放なりしと云]、英艦は迅速に抜錨し去れり」

ドラマでもあったように、薩摩藩も砲撃を加えました。
もっとも、空砲だったようです。それでも、「数刻」というからには、かなり長い時間砲撃したことになりますね。

モリソン号は諦めて去ります。
日本人の漂流民は備前や肥後の漁師だったようです。「天竺国ノ内英国領ノ地ニ漂着」とあります。まさかインドではないでしょうね。東南アジアあたりに流れ着いたものでしょうか。

以上、昨日分の補足でした。

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【2008/01/07 21:27】 | 篤姫
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2008/01/08(Tue) 20:24:07 |  Newsエンタメ/デジタル,【補足】モリソン号の山川寄港
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