歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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このところの徒然を。

11日(金)
歴群誌の原稿締切だが、他の仕事が気になってなかなか終わらない。
仕事に集中できないときの通弊だが、ついほかのテーマに気を取られてしまう。
たまたま、芳即正氏のある論文を探す必要に迫られた。寺田屋事件後、有馬新七らに加担した激派が国許に海路送還されたが、そのとき、島津久光が田中河内介父子など浪士を船上でひそかに殺害してもよいと命じたことを明らかにした論文である。
すでにコピーをもっていたはずだが、その所在やタイトルがわからず、本棚を探しまくるも、結局、見つからず、苛立つ。
その代わり、論文の材料となった久光の島津茂久宛て書簡は『玉里島津家史料補遺』のなかからようやく見つけた。

その過程で、『玉里島津家史料』を見ていたら、目移りするくらい関心のある記事や書簡がたくさん出ているのに気づく。
まず、小松帯刀が肝付尚五郎から改名して小松家を継いだ直後に黒田清綱(黒田清輝の養父)から宛てられた書簡と思われるものを見つける。おそらく小松の受給文書の初出だろう。
ほかにも、小松の発給・受給文書が何点か出てくる。小松文書は意外とたくさん遺っている。ちゃんと数えたわけではないが、西郷文書より多いかもしれない。にもかかわらず、ほとんど研究されていないのはもったいない。やるっきゃないだろうと思う。

さらに、調所広郷と天保の改革の功績を書き上げた文書を見つける。
調所が成しえた仕事がてんこ盛りに書かれている。すごい。これだけの仕事をした人の業績を抹殺することなどできはしないだろう。

ほかにも、非常に気になる文書を見つけた。
近衛家の御花畑の場所(のちの小松帯刀邸)を書いた記事だ。悩ましい書き方をしてある。しかも、安政期以前、つまり、小松が居住する前である。
小松邸がどこにあったか、一応推定地を公表しているが、当たっているのかどうか、ますますわからなくなってきた。

12日(土)この間、ネットで注文していた古書が続々届く。

『周布政之助伝』上・下
『薩藩戦史考証』全
『鹿児島県郷土史大系』(全8巻のうち、持っていなかった分)
その他いろいろ。

友人のM川さんから、絵葉書などを専門にしている古書店に、小松帯刀と大久保利通の組み合わせの絵葉書があることを教えてもらった。たしかに珍しい組み合わせだと思う。
ネットで探してみたら、あるわあるわ、面白そうな絵葉書がたくさんある。
結局、買ったのは紹介してもらったものではなく、霧島の栄之尾温泉の絵葉書。
明治から昭和初期くらいの温泉宿の写真である。

坂本龍馬とお龍の新婚旅行は霧島で、塩浸温泉に宿泊したことはよく知られている。じつはそのとき、小松帯刀も霧島で療養している。それが栄之尾温泉である。ここには、龍馬も小松を訪ねて遊びに来ている。
そんなこんなで、面白そうだと思って買ってみた。1点だけだけど、けっこう高いのだ、これが。
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【2008/01/13 15:12】 | 日次記
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