歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

南日本新聞連載「さつま人国誌」第41回
―遷都と奇夢が結ぶ因縁―

連載が更新になりました。
左のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすればご覧になれます。

今回は前回に引き続き、前島密について書きました。
前島と大久保利通がともに遷都論を提唱したのはよく知られています。
大久保の遷都論は一応、大坂が目標でした。
諸外国の公使館があることや通商貿易に適しているというのがその立地上の理由でしたが、大久保にとっての本質問題は場所ではなく、天皇を京都から引き離すことにあった気がします。
それは幕末の周旋活動において、公家衆にさまざまな理由で天皇との交流を遮られたのがきっかけだったのも間違いなく、大久保は遷都の建白書のなかで、京都の公家社会を次のように切り捨てています。

「数百年来一塊したる因循の腐臭」

そのような惨状の京都から天皇を救い出し、「公家のための天皇」ではなく、「国民のための天皇」という姿こそが理想で、大久保は「一天の主」(天皇)と「下蒼生」(人民)の「国内同心合体」を実現しようと考えました。

前島密の東京遷都論は、戊辰戦争への対応、関東以東の人心安定という面に重点が置かれているように思います。

それにしても、大久保の奇夢の話を紀尾井町事件の直前に聞かされていた前島のショックは相当なものでしょう。事件当日、前島はいち早く現場に駆けつけた一人です。
「夢なら醒めよ」と念じた前島の気持ちはよくわかります。

よろしければ、下記をクリックして下さい。
人気ブログランキング

スポンサーサイト

【2008/01/19 10:21】 | さつま人国誌
トラックバック(0) |


ばんない
周回遅れのコメントですが、前回の時に話題にした「東京遷都」ネタが出てきましたね。この「東京遷都」ネタは何年か前にNHKの『その時歴史が動いた』でも取り上げていた事を思い出しました。遷都費用として大阪の商人から寄付させていたお金がどうなったのか、番組でも言わずじまいでした。寄付金は東京遷都に使われて、踏み倒されたんでしょうね。たぶん。

近代国家としては、京都からどこぞに天皇を移すのは不可分の問題だったとは思いますが、東京遷都で京都の経済地盤が崩壊し、その後復興にかなりの時間を費やしたことを知っている身の私としては、余り愉快な話ではないですね。

ところで、大久保の「天皇論」ですが、お話を見た限りでは欧米列強の王家のように天皇を位置づけようとしたのでしょうか?

遷都費用?
桐野作人
ばんないさん、こんばんは。

ご紹介の話、私は不勉強でよく知らないのですが、鳥羽伏見の戦いのあと、薩長政府が大坂の鴻池などに軍資金の提供を要請したこととは別の話でしょうか? 意外と短期間で集まったと聞いていますが……。

大久保の「天皇論」は、誤解を恐れずにいえば、イギリス流の立憲君主制をめざすものだったのではないかと思います。
戊辰戦争のときまではそこまで明瞭ではなかったと思いますが、岩倉使節団から帰国後は、かなりはっきりした輪郭をもったのではないかと思います。大久保も憲法をそのうち導入しようと考えていたみたいです。伊藤博文のプロシア式よりも、もう少し開明的というか自由主義的だったかもしれません。

「遷都」の費用
ばんない
こんばんは。

遷都の費用を大阪商人から寄付させた話ですが、『その時歴史は動いた』2003年5月放送分に載っています。「遷都」というのはちょっと言い過ぎでした。「大阪行幸の費用」という名目で寄付させていたようです。失礼いたしました。

大久保の国家構想って余り教科書などでは見た記憶がないですね。一般書でも内務卿としての辣腕ぶりばかりが強調されている傾向が有るように見受けられます。


大坂行幸
桐野作人
ばんないさん、こんばんは。

大坂行幸のときの話でしたか。
これは大久保が建白した大坂遷都に対して、守旧派の公家衆が反対しために頓挫し、妥協的に行幸という形でお茶を濁したのですが、そのような資金を調達しているとは知りませんでした。
むしろ、戊辰戦争の戦費に流用されたということはないのでしょうか?

コメントを閉じる▲
コメント
この記事へのコメント
周回遅れのコメントですが、前回の時に話題にした「東京遷都」ネタが出てきましたね。この「東京遷都」ネタは何年か前にNHKの『その時歴史が動いた』でも取り上げていた事を思い出しました。遷都費用として大阪の商人から寄付させていたお金がどうなったのか、番組でも言わずじまいでした。寄付金は東京遷都に使われて、踏み倒されたんでしょうね。たぶん。

近代国家としては、京都からどこぞに天皇を移すのは不可分の問題だったとは思いますが、東京遷都で京都の経済地盤が崩壊し、その後復興にかなりの時間を費やしたことを知っている身の私としては、余り愉快な話ではないですね。

ところで、大久保の「天皇論」ですが、お話を見た限りでは欧米列強の王家のように天皇を位置づけようとしたのでしょうか?
2008/01/26(Sat) 18:15 | URL  | ばんない #kyBjvhlc[ 編集]
遷都費用?
ばんないさん、こんばんは。

ご紹介の話、私は不勉強でよく知らないのですが、鳥羽伏見の戦いのあと、薩長政府が大坂の鴻池などに軍資金の提供を要請したこととは別の話でしょうか? 意外と短期間で集まったと聞いていますが……。

大久保の「天皇論」は、誤解を恐れずにいえば、イギリス流の立憲君主制をめざすものだったのではないかと思います。
戊辰戦争のときまではそこまで明瞭ではなかったと思いますが、岩倉使節団から帰国後は、かなりはっきりした輪郭をもったのではないかと思います。大久保も憲法をそのうち導入しようと考えていたみたいです。伊藤博文のプロシア式よりも、もう少し開明的というか自由主義的だったかもしれません。
2008/01/26(Sat) 22:06 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
「遷都」の費用
こんばんは。

遷都の費用を大阪商人から寄付させた話ですが、『その時歴史は動いた』2003年5月放送分に載っています。「遷都」というのはちょっと言い過ぎでした。「大阪行幸の費用」という名目で寄付させていたようです。失礼いたしました。

大久保の国家構想って余り教科書などでは見た記憶がないですね。一般書でも内務卿としての辣腕ぶりばかりが強調されている傾向が有るように見受けられます。
2008/01/26(Sat) 23:14 | URL  | ばんない #kyBjvhlc[ 編集]
大坂行幸
ばんないさん、こんばんは。

大坂行幸のときの話でしたか。
これは大久保が建白した大坂遷都に対して、守旧派の公家衆が反対しために頓挫し、妥協的に行幸という形でお茶を濁したのですが、そのような資金を調達しているとは知りませんでした。
むしろ、戊辰戦争の戦費に流用されたということはないのでしょうか?
2008/01/27(Sun) 19:06 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
コメントを投稿
URL:

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。