歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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今日のは、タイトルと内容が乖離していましたね。
タイトルからは、お由羅騒動(高崎崩れ)がある程度克明に描かれるのかと想像してしまいますが、豈図らんや。やや拍子抜けの内容でした。
主役が女性だから、男世界の血なまぐさい政争は巧妙にスルーするということでしょうな。それにしても、一門家の姫が下級城下士・御小姓与の、しかも罪を得た家に気楽に出入りする設定は安易すぎるのでは……。

そもそも、篤姫と小松の交流はむろんのこと、西郷や大久保など下級城下士との交流など、どだい無理筋なんですが、それがないと、鹿児島時代を描けないですしね。それに、のちの展開のためにも、小松・西郷・大久保との因縁を動機づけしておくストーリー展開上の要請もあるんでしょうが……。

「小松帯刀日記」安政2年、3年分を読んでも、小松が付き合っているのは藩主斉彬側近か、門閥層ばかりで、下級城下士などまず出てきません。もっとも、今日の部分はこれに3、4年先立つ嘉永3年、4年あたりでしたから、小松の日記はありません。だから、小松が誰と付き合ったかわからないわけですが……。

それと、篤姫が大久保の家まで気軽に出かけていたけど、鹿児島市内でも大竜町(今和泉家)と加治屋町(大久保家)の間は3,4キロは離れていそうな気がするが……。

まあ、そのような穿鑿じたい野暮でしょうからやめましょう。

閑話休題
番組最後の「篤姫紀行」、驚きました。
何と、わが郷里出水でしたねえ。
島津家発祥の地とナレーションしていたけど、いいのかな? 誤解を招きそう。実際は初期島津氏が薩摩国の中心に入部できずに、北薩の出水止まりだっただけなんですが。

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【2008/01/20 21:25】 | 篤姫
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島津家発祥の地
ばんない
うーむ。こんな程度かと…いや、予想以上でしたが(苦笑)。

最後の「紀行」ですが、都城市からクレーム来るんじゃないかと思いました。


武藤 臼
うーーーん
なんでだろう。
3話目で早ドラマを見る集中力がまったく保てません(^^;

島津荘
桐野作人
ばんないさん、こんばんは。

島津家発祥の地というなら、やまり日向国島津荘のある都城あたりにしないと、正確さを欠きますね。
薩州島津家発祥(正確には本貫か)の地ならそれほど間違いじゃないですが。



ぬるい
桐野作人
武藤臼さん、こんばんは。

お気持よくわかります。
前回は平幹二郎の存在感で辛うじてレベルを保っていましたが、今回はとくにガクッと落ちましたね。

一言でいって、篤姫とそのお友達の交流がぬるすぎます。当時の身分差を考えればありえないことですから、どうしてもリアリティのない話に流れてしまいますよね。

一応、入輿までに篤姫の成長物語をこさえないといけないわけで、でも、そのための史料もネタもない。よって、あんな風な、ぬるいお友達ドラマになってしまいますね。あまり大人の鑑賞に耐えられるものではありません。
同時並行して、20年前の「翔ぶが如く」を見ているだけに、なおさらその落差が際立ちます。

それと、今回のキャストはCMイメージの強すぎる人が多いですね。樋口可南子を見たら、北大路欣也の犬の声を想像してしまいますし、夫の長塚京三を見ると、薩摩にはいたくないと、「そうだ、京都に行こう」と行ってしまいそうな。
宮崎あおいも、これから動物とのからみが出てくるはず。アヒルとか、狆とか、ネコとか。でも、どうしてもアフラックと声が出てしまいそうで(笑)。

斉彬の入京
町田明広
桐野さん、こんにちは。
私の感想というか、疑問というか、気になったことですが、斉彬のお国入りの時点では、既に篤姫の入輿は阿部からも打診があり、また、近衛からも助言があったと思うのですが、かなり重要と思われるその事実を飛ばして、なんか違った意味で展開にドキドキしています(笑)
それと、斉彬の入京について、前から疑問でありながら、横着して調べていないのですが、なぜ藩主が簡単に入京して近衛に会えたのでしょうか。朝廷と諸侯の接触は、一般的には不可と思うのですが。

斉彬入京
桐野作人
町田明広さん、こんばんは。

徳川家祥(のち家定)の継室問題(3番目の夫人)は斉彬が世子のうちから始まっていますね。
ドラマでの入京時点で、斉彬の胸中には、継室問題に積極的に関与する心づもりがあったはずで、近衛忠熈との会見もそのあたりが話し合われたと考えてもおかしくありません。

ご指摘のように、諸侯と朝廷の交際は原則禁止ですが、親戚関係なら左にあらずだったと思います。近衛忠熈の正室は、島津斉興養女(斉宣の娘)ですから、忠煕と斉彬は義理の兄弟になります。親戚訪問なら、入京も大丈夫だったと思います。

「伊地知季安記事抄」(『斉彬公史料』一、171号)によれば、嘉永4年(1851)4月23日、斉彬は伏見邸に到着し、3日間滞在しています。その間に入京して、所司代に挨拶し、近衛殿を訪問しています。近衛殿では忠煕・忠房父子や三条実万と対面しています。このとき、「密ニ天旨ヲ伝ヘラレタリト」と書かれており、天皇から何らかの勅旨が伝えられたようですが、その内容は「秘隠」で斉彬しか知らなかったようです。

という具合で、斉彬の入京は一応史実を踏まえているということになりそうです。

都城市、動く?!
ばんない
やはり、都城市がクレームを付けたようです。詳細はURL(西日本新聞記事)ご参照下さい。

記事からの抜粋になりますが
「発祥地論争について鹿児島県歴史資料センター黎明館は「名前の由来を発祥とするならば都城市。統率者である守護としての実質的支配を考慮すれば出水市。要は解釈の問題」としている。」
黎明館につっこみ入れる形になってしまいますが、守護としても、実際に下向したのは3代目からと言われていませんでしたっけ。現在最も有力な学説を採れば、島津氏の発祥の地は京都ですよね(爆)

ところで、篤姫のお膝元では今どんな状態なのか分からないのですが、大河バブルに乗るのもなかなか大変ですね…。市町村によってはかなり無理にこじつけているところもあるようです。

都城
桐野作人
ばんないさん、こんにちは。

私は別の新聞で、同じ記事を読みました。
おそらく共同の配信でしょう。

発祥の地といえば、忠久が生まれたところだといえないこともありませんね。
都城の島津荘にも、出水の木牟礼城にも、忠久は赴任していないはずですから。

観光振興
武藤 臼
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/entertainment/television/122612/

私はやっと今日しりました。予想的中で笑ってしまいましたが。都城ってお金あるんですね。

こういう問題に行政の意見書というのもどうかとも思いますが・・・

忠久の島津荘下向?
桐野作人
武藤 臼さん、こんばんは。

ご紹介の記事見ましたが、不正確ですね。
忠久が都城にあった島津荘に赴任したように書かれています。
これが都城市の公式見解だとしたら、どうなんでしょうかね。むしろ、新たな問題が派生するように思いますが……。

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この記事へのコメント
島津家発祥の地
うーむ。こんな程度かと…いや、予想以上でしたが(苦笑)。

最後の「紀行」ですが、都城市からクレーム来るんじゃないかと思いました。
2008/01/20(Sun) 23:05 | URL  | ばんない #kyBjvhlc[ 編集]
うーーーん
なんでだろう。
3話目で早ドラマを見る集中力がまったく保てません(^^;
2008/01/20(Sun) 23:40 | URL  | 武藤 臼 #-[ 編集]
島津荘
ばんないさん、こんばんは。

島津家発祥の地というなら、やまり日向国島津荘のある都城あたりにしないと、正確さを欠きますね。
薩州島津家発祥(正確には本貫か)の地ならそれほど間違いじゃないですが。

2008/01/20(Sun) 23:53 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
ぬるい
武藤臼さん、こんばんは。

お気持よくわかります。
前回は平幹二郎の存在感で辛うじてレベルを保っていましたが、今回はとくにガクッと落ちましたね。

一言でいって、篤姫とそのお友達の交流がぬるすぎます。当時の身分差を考えればありえないことですから、どうしてもリアリティのない話に流れてしまいますよね。

一応、入輿までに篤姫の成長物語をこさえないといけないわけで、でも、そのための史料もネタもない。よって、あんな風な、ぬるいお友達ドラマになってしまいますね。あまり大人の鑑賞に耐えられるものではありません。
同時並行して、20年前の「翔ぶが如く」を見ているだけに、なおさらその落差が際立ちます。

それと、今回のキャストはCMイメージの強すぎる人が多いですね。樋口可南子を見たら、北大路欣也の犬の声を想像してしまいますし、夫の長塚京三を見ると、薩摩にはいたくないと、「そうだ、京都に行こう」と行ってしまいそうな。
宮崎あおいも、これから動物とのからみが出てくるはず。アヒルとか、狆とか、ネコとか。でも、どうしてもアフラックと声が出てしまいそうで(笑)。
2008/01/21(Mon) 00:01 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
斉彬の入京
桐野さん、こんにちは。
私の感想というか、疑問というか、気になったことですが、斉彬のお国入りの時点では、既に篤姫の入輿は阿部からも打診があり、また、近衛からも助言があったと思うのですが、かなり重要と思われるその事実を飛ばして、なんか違った意味で展開にドキドキしています(笑)
それと、斉彬の入京について、前から疑問でありながら、横着して調べていないのですが、なぜ藩主が簡単に入京して近衛に会えたのでしょうか。朝廷と諸侯の接触は、一般的には不可と思うのですが。
2008/01/22(Tue) 12:11 | URL  | 町田明広 #-[ 編集]
斉彬入京
町田明広さん、こんばんは。

徳川家祥(のち家定)の継室問題(3番目の夫人)は斉彬が世子のうちから始まっていますね。
ドラマでの入京時点で、斉彬の胸中には、継室問題に積極的に関与する心づもりがあったはずで、近衛忠熈との会見もそのあたりが話し合われたと考えてもおかしくありません。

ご指摘のように、諸侯と朝廷の交際は原則禁止ですが、親戚関係なら左にあらずだったと思います。近衛忠熈の正室は、島津斉興養女(斉宣の娘)ですから、忠煕と斉彬は義理の兄弟になります。親戚訪問なら、入京も大丈夫だったと思います。

「伊地知季安記事抄」(『斉彬公史料』一、171号)によれば、嘉永4年(1851)4月23日、斉彬は伏見邸に到着し、3日間滞在しています。その間に入京して、所司代に挨拶し、近衛殿を訪問しています。近衛殿では忠煕・忠房父子や三条実万と対面しています。このとき、「密ニ天旨ヲ伝ヘラレタリト」と書かれており、天皇から何らかの勅旨が伝えられたようですが、その内容は「秘隠」で斉彬しか知らなかったようです。

という具合で、斉彬の入京は一応史実を踏まえているということになりそうです。
2008/01/22(Tue) 22:56 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
都城市、動く?!
やはり、都城市がクレームを付けたようです。詳細はURL(西日本新聞記事)ご参照下さい。

記事からの抜粋になりますが
「発祥地論争について鹿児島県歴史資料センター黎明館は「名前の由来を発祥とするならば都城市。統率者である守護としての実質的支配を考慮すれば出水市。要は解釈の問題」としている。」
黎明館につっこみ入れる形になってしまいますが、守護としても、実際に下向したのは3代目からと言われていませんでしたっけ。現在最も有力な学説を採れば、島津氏の発祥の地は京都ですよね(爆)

ところで、篤姫のお膝元では今どんな状態なのか分からないのですが、大河バブルに乗るのもなかなか大変ですね…。市町村によってはかなり無理にこじつけているところもあるようです。
2008/02/08(Fri) 22:41 | URL  | ばんない #kyBjvhlc[ 編集]
都城
ばんないさん、こんにちは。

私は別の新聞で、同じ記事を読みました。
おそらく共同の配信でしょう。

発祥の地といえば、忠久が生まれたところだといえないこともありませんね。
都城の島津荘にも、出水の木牟礼城にも、忠久は赴任していないはずですから。
2008/02/09(Sat) 12:39 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
観光振興
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/entertainment/television/122612/

私はやっと今日しりました。予想的中で笑ってしまいましたが。都城ってお金あるんですね。

こういう問題に行政の意見書というのもどうかとも思いますが・・・
2008/02/14(Thu) 21:54 | URL  | 武藤 臼 #-[ 編集]
忠久の島津荘下向?
武藤 臼さん、こんばんは。

ご紹介の記事見ましたが、不正確ですね。
忠久が都城にあった島津荘に赴任したように書かれています。
これが都城市の公式見解だとしたら、どうなんでしょうかね。むしろ、新たな問題が派生するように思いますが……。
2008/02/14(Thu) 23:38 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
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