膏肓記

歴史作家桐野作人のブログ  織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記

 
信濃郷土叢書

古書で表題の本↑を廉価で購入した。
信濃郷土叢書の一冊で、1930年(昭和5)刊行の本である。
75年以上前の本の割には美本だった。

松尾多勢子(1811-94)は信州伊那の出身で、幕末期、女性歌人で国学者、尊王攘夷主義者としても知られる。西の野村望東尼(高杉晋作と交流があった人)と並び称される人である。

50歳を過ぎてから幕末の世相騒然たる京都に上り、尊攘派の浪士や公家の岩倉具視らと交流し、足利将軍木像梟首事件の下手人を匿うなど、幕末政局にも関わった女傑である。
「女傑」のイメージが強い人だけど、残された写真↓はこんなに可愛い人である。
松尾多勢子

彼女はまた、赤報隊で有名な相楽総三と交流のあった人で、相楽も何度か多勢子のところに立ち寄っている。相楽の数少ない関連史料のうち、松尾家に少なくとも二点残っている。

慶応二年(1866)、相楽が多勢子の子、誠に宛てた書簡
慶応四年(1868)正月、相楽が同じく誠に宛てた書簡


個人的に相楽総三に関心があって、その事績を調べているが、慶応年間の相楽の足跡に史料不足もあって不明な点が多い。
このうち、上記慶応二年の相楽書簡はその空白を埋める貴重な史料だといえる。

この書簡が知りたくて、以前、図書館でそれの収録されている本から一部複写したことがある。以下のリストのE(復刻本)にあたる。
コピーだけでは物足りなかったので、今回上記古書を購入したわけだが、じつははずれだった。この古書は下記Dにあたり、Eよりも内容がずっと簡略化されていて、相楽総三の部分の記述が存在しないのだ。

以下のリストは、国会図書館のデータベースから引用したもので、すべて伊那の史家、市村咸人の編著になるものである。でも、彼は同じ書名で内容が異なるものを何点も刊行しているので、非常に迷惑している(笑)。Eは復刻版だが、その原本はA〜Cのどれかなんだろうか? 序文や解題を複写しなかったので事情がよくわからない。

A.市村咸人全集 第5巻/市村咸人全集刊行会 下伊那教育会 1980.8
B.松尾多勢子/市村咸人 文星堂 大正6
C.松尾多勢子/市村咸人 山村書院 昭15
D.松尾多勢子/市村咸人 信濃郷土文化普及会 昭和5 (信濃郷土叢書第17編)
E.松尾多勢子/市村咸人 大空社 1989.1 (伝記叢書59)

ところで、松尾多勢子は明治末年、その国事奔走の功績を賞せられて正五位を贈られた。
古代からの贈位者2000人以上をリストアップした『贈位諸賢伝』には、女性はわずか7人しか載っていない。そのうち、幕末関係は4人。うち2人が多勢子と野村望東尼である。
維新前になくなった坂本龍馬や高杉晋作も贈正四位だから、多勢子の贈位も大したものである。

歌人としての多勢子も面白い。
文久三年(1863)、足利将軍木像梟首事件ののち、京の長州藩邸には尊攘派浪士であふれており、多勢子もそのなかにいた。多勢子が長州藩主毛利敬親に贈った和歌。

 吹風になびく男花もかれはてゝ 淋しくもあるかむさしのゝ原

「男花(おばな)も枯れ果てて」というあたり、多勢子の自負が感じられる。「むさしのゝ原」とは関東、つまり幕府を意味するのであろうか。

明治になってから、多勢子の勤王事績は賞賛されたが、一方で女性なのに家の勤めを放棄して国学歌道に熱中し、挙句国事に奔走したのはけしからんという批判者もいた。いかにも男権主義の明治らしい。彼らが多勢子に奉った批判の和歌。

 女房のあまり歌読みいかぬもの 亭主を尻に敷島の道

まあ、こうした風潮があればこそ、贈位者に女性が少ないのもよくわかる。ほんの100年前の日本の姿である。
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::この記事へのコメント::
大空社の復刻版は、C.松尾多勢子/市村咸人 山村書院 昭15 を復刻したものです。それに加えて、巻末に、高木俊輔氏の解説6ページが付いて居ます。
2006/12/10(日) 01:46:04 | URL | まいたけ君 #BKdQhP/Q[ 編集]
ありがとうございます
まいたけ君さん

原典はCでしたか。有難うございます。
まいたけ君さんはもしかして、全部お持ちなんですか?
2006/12/10(日) 09:33:37 | URL | 桐野 #-[ 編集]

 『松尾多勢子』は、今夏の古本市で買い求めました。大空社のこの復刻のシリーズはとてもいいのですが高いので、数冊持っているだけです。他には、『曽我祐準翁自叙伝』『おばあちゃんの一生ー岡上菊栄伝』を持っています。
2006/12/10(日) 11:00:47 | URL | まいたけ君 #BKdQhP/Q[ 編集]
大空社
先日、図書館で大空社の復刻シリーズが本棚にたくさん並んでいるのを見ました。200点以上あったような気がします。
昔のいい本はどんどん復刻してほしいですね。
2006/12/10(日) 13:43:42 | URL | 桐野 #-[ 編集]
我が母親は長野出身で、名は『多世子』です。松尾多勢子の名をつけてもらったそうで、母の家ではヒーロー的存在であったようですが、一部ではマイナスに捉えられていたとは知りませんでした。時代背景で見れば納得します。私も母から『世』の字を受け継いでおりますが、本名を明かすと正体がバレそうなので控えさせて頂きます。(ゴンザ露薩語クイズで馬鹿丸出しな為)松尾多勢子の詳細内容、感謝致します。
2007/01/24(水) 22:17:35 | URL | 吉田松陰大好き #-[ 編集]
多勢子と忠敬
吉田松陰大好きさん

お名前に「世」が付いておられるのですか。昔、某パソ通にその字の付く方がおいででしたが……。

松尾多勢子はもっと評価されていい人だと思います。
明治になって、女だてら(古っ)に国事に奔走するとはけしからん、家庭を顧みよ、なる見当はずれの非難を浴びせられたのは何とも。

多勢子が50歳を過ぎてから国事に関わりだしたのは単なる偶然ではないと思います。おそらく子育てもおわり、母親としての役目を終えたから、余生は自分が好きに生きたいと考えたのではないでしょうか?

一方、佐原の商人、伊能忠敬も50歳で家業から引退し、余生を地図作りに捧げました。その人生のあり方は各方面から賞賛されています。

多勢子だって、伊能忠敬と同じ生き方だと思うのですけど、性別の違いだけで評価が対照的ですね。おかしな話です。

ゴンザクイズ、吉田松陰大好きさんのユニークで笑える解答をお待ちしております。
2007/01/24(水) 22:34:05 | URL | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
「女伊達ら…古っ」と一人コントですか。先生もユニークな方ですよね〜。おっしゃる通り、母の話及び長野県新聞では育児など一段落してから幕末志士の援護に当たったとあるので、表面しか見てない者の悪評も残されているとは、いつの時代も浅はかな人間がいて嫌に思います。が、逆に『なりたくない人間』のモデルとなるので少々嫌みっぽいですが、いてくれるとありがたいです。
2007/01/24(水) 23:51:37 | URL | 吉田松陰大好き #-[ 編集]
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