私ごとですが、今、宮崎におります。
先ほど宮崎駅まで南日本新聞を買いに行ってきました。
「さつま人国誌」は、いつもネットで見ていましたが、ようやく現物に出会えました。
掲載場所は文化面ということで、今日は、坊津の製氷工場跡の記事や、南方熊楠の記事などもあります。
以上、現場?よりご報告でした。
遅ればせながら、連載延長おめでとうございます。
是非、村田新八を6回くらいでお願いいたしたく…(切望)。
いのまたさん、おはようございます。
いま宮崎ですか。現場からのご報告有難うございます。
宮崎駅でもちゃんと南日本新聞を売っているのですね。わざわざお買い求めいただき、有難うございます。南方熊楠の記事もあるとか。掲載紙が送られてくるのが楽しみです。
村田新八をやるなら、これまでと違った切り口でやりたいですね。何かいいアイデアや史料がありましたら、ご教示下さいませ。
桐野先生、こんばんは。
日々の更新が早すぎてついていけないですが、今回は中原が登場しますので、一言。嘉永二年からの長崎遊学の件ですが、このとき長崎で蘭学修行のほかに、西洋砲術の修行を行った可能性はないでしょうか。有名な高島秋帆は獄中ですが、長崎にはその息子の浅五郎や高弟の中島名左衛門がいました。中原の後の経歴から見て、早くから砲術の本格的習得に努めていたのではないかと考えるのですが、いかがでしょうか。
崎陽・織田さん、こんにちは。
中原猶介が長崎で西洋砲術の修業をしたのではというご意見。
もっともな推定ですね。私も大いにあり得るのではと思っております。ただ、史料不足でそこまでの裏づけがとれませんが。長崎に中原の足跡は残っていないでしょうかね。
当時、長崎は西洋の科学技術の先進地ですから、そこで学ぶのが一番ですね。
さらに臆測すれば、砲術だけでなく、蒸気船建造や操縦術にも関心があったのではないかと思います。
というのは、中原は島津斉彬が建造したわが国初の蒸気船(といっても雛形ですが)である雲行丸の建造にも関わっているからです。
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