歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第42回、「石河確太郎と英国留学生」というタイトルで書きました。ここです。

また、それについての当ブログで、その記事の告知と若干の補足を述べました。ここです。

そのなかで、英国留学生に選ばれた一人である町田猛彦が出港前、串木野の羽島で「変死」したと書きました。
これは、見知らぬ異文化と向かい合わねばならぬ英国留学生たちの不安と苦悩の極端な一例を示すものとして取り上げました。ある新書の記事をもとにして書きましたが、「変死」の出典が明記されておらず、英国留学生研究では権威ある著者を信用して、出典の裏づけをとる作業を怠ってしまいました。

また、町田猛彦なる人物はどのような出自なのか。留学生仲間の同姓である町田三兄弟(民部・申四郎・清蔵)と縁者なのか否かという別の疑問も提示しておきました。

それらの疑問を一気に解決してくれそうな史料がありました。
友人のM川さんからご教示を受けたものです。

「財部実行回顧談」 『新修 森有礼全集』第4巻所収 文泉堂書店 1999年

という史料です。
財部実行は、留学した町田兄弟の一人、町田清蔵のことで、養子になったので名字が変わっています。
この回顧談に当然、英国留学の思い出が述べられているのですが、次のような記述がありました。

「一行十七人(内一人に民部の三弟は羽島と云ふ所にて罹病し渡英を免ぜらる)」

町田兄弟は、上から民部、申四郎、清蔵という順です。
「三弟」といえば、清蔵になりますが、清蔵こと財部実行は回顧談の主で渡英していますから、該当しません。それなら誰かということになります。

同姓の町田猛彦だと考えるほかないのではないかと思います。

もしそうなら、当初渡英する予定の町田兄弟は四兄弟だったことになります。

そして、町田猛彦は病気にはなったけど、「変死」していなかったことになります。
直前に病気のせいで渡航できなかったことを恥として、死んだことにしたのでしょうか?

なお、M川さんによれば、別の史料(長崎にある名簿)の慶応2年(1866)条に、町田猛彦の名前があるとのこと。猛彦は英国渡航ならず、その後、長崎に行ったのかもしれません。

貴重なご教示をいただいたM川さんに謹んで御礼申し上げます。

【お願い】
なお、この連載で取り上げた蘭学者・石河確太郎について、管理者しか見られないコメントをいただきました。九州方面の研究者で、永年、石河を追っている方です。非常に貴重な情報をいただいたのですが、メールアドレスがなくて、御礼のしようがありません。
もし、この書き込みをご覧になったら、左下のメールフォームからもう一度、空メールでもいただければ有難いです。御礼とともにお尋ねしたいこともありますので、お手数ですが、ご検討下さい。

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【2008/02/07 00:46】 | さつま人国誌
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2008/02/10(Sun) 01:54 |   |  #[ 編集]
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2008/02/26(Tue) 12:27 |   |  #[ 編集]
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2015/06/23(Tue) 00:58 |   |  #[ 編集]
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