歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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小学館古文書講座てらこや特別講座「天璋院篤姫と小松帯刀」第3回

昨日、出講する。

前回に引きつづいて、『大久保利通関係文書』所収の小松帯刀文書を読む。
表題のとおり、文久3年をまだうろうろしている。

さっそく年次比定で引っかかる。
「御贈官之口 宣」とあるのが、誰への贈官なのか。久光か、茂久か、あるいは故・斉彬か。
一応、編者は文久3年に比定していた。
文書中で、久光を「三郎様」と呼んでいる。
無位無官だった久光は元治元年正月13日に従四位下・左近衛権少将に叙任されている。それ以降、「少将様」とか「大隅守様」と呼ばれる。だから、文久3年というわけだろう。
ただ、小松が在国しているなら、京都からの知らせと実際の口宣案到着が3カ月遅れたとして、元治元年の可能性もあることになるが、あいにく小松は在京している。
それでは、茂久かというと、彼も斉彬死後の襲封直後の安政6年に従四位下・左近衛権少将に叙任しているから該当しない。
それで、文久2年11月12日、故・斉彬へ従三位・権中納言が追贈されているから、その口宣案ではないかということに落ち着いた。

さらに、年次不明文書で、同日付の大久保宛て小松書簡があった。上記書簡と同日だが、『忠義公史料』では、文久3年に比定していた。
しかし、同日に大久保宛てに2通書くのか。仮に書いたとしても、後便のほうに前便云々の文言があってもおかしくないが、それがない。しかも、同日に書いた割には書簡の雰囲気がどうも違うし、常套的な文言も異なる。
結局、結論が出なかった。

あとで、受講者の方から、同年同日のものでよいのではないかというメールをいただいた。その理由が説得的なので、私も検討してみたい。

というわけで、年次比定ですっかりつまずいてしまった。

姉小路事件についての小松の布達などもなかなか興味深い。
田中新兵衛の出自について、やや詳しく説明。
でも、興味をもってもらえたかは不明。
薩英戦争の解説も時間不足でしり切れトンボで終わってしまった。
事前の準備不足で、時間配分などがうまくいかなかった。
反省することしかりである。

次回は禁門の変になるだろう。
ようやく小松像がある程度の輪郭をもって姿を現すと思う。

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【2008/02/13 23:18】 | てらこや
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