歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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昨夜、ある薩摩な会の忘年会があった。参加者の方から表題の新聞記事をいただいた。そして帰宅してみると、京都在住の友人からも同じ記事がFAXで送られてきていた。有難い限りである。御礼申し上げます。

さて、これだけでは何の記事かわからない。これは京都在住の気鋭の研究者、中村武生氏(仏教大学講師)が週刊紙『京都民報』に「京都の江戸時代を歩く」というタイトルで連載している記事のひとつである。なかなか好評だと聞いている。
表題は、そのなかの12月10日付の記事の題名である。副題が「龍馬暗殺①」となっているから、続きもあるようで楽しみだ。

なお、中村氏のブログ「歴史と地理な日々」はリンクさせていただいている。興味のある方はどうぞ。とにかくエネルギッシュな研究者で、その姿勢にいつも刺激を受けている。

坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺された近江屋事件は旧暦だと慶応3年11月15日だが、新暦だと1867年12月10日にあたる。昨日が139年目の命日だったことになる。

中村氏は記事のなかで、薩摩藩が長州藩だけでなく土佐藩とも盟約を結んでいたし、近江屋事件当日、西郷は京都におらず、大久保は病気の小松帯刀の代理として入京したばかりであり、暗殺協議などできようはずもないこと。またこの緊迫した政局のなかで、土佐藩の重要人物である龍馬を薩摩藩が殺害したら、両藩の円満な関係が破壊されるからありえないと強調している。

薩摩藩黒幕説の論拠は『改訂肥後藩国事史料』にある「坂本を害し候も薩人なるべく候」という一節である。
中村氏はこの史料の取り扱いについて史料批判の重要性を改めて提起している。これは重要な指摘だといえよう。
史料そのものへの検討がなおざりにされたまま、この一節だけが一人歩きした感がある。これに対して、中村氏は、近江屋事件の場合、刺客が誰であろうが、まず土佐藩関係史料が重要で、もし薩摩藩が関係するなら、薩摩藩関係史料がその次に重要になると指摘する。

一方で、その両者とも関係がない肥後熊本藩の史料を扱う場合、同藩がこの情報をどのようにして得たかを明らかにしていない以上、これだけの情報では信用するに足るかどうかわからないと指摘する。つまり、上記の一節は真偽不確かで信用するに値しないという結論である。そして、薩摩藩黒幕説を唱える人に、史料批判の技術を習得するよう呼びかけている。

まことに筋道の通った妥当な指摘である。しかも、『歴史読本』誌に三回連載した拙稿まで参考文献にあげていただいている。光栄なことだ(ただ、題名に少し誤りが)。
友人の中村氏に改めて御礼申し上げたい。

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【2006/12/11 10:07】 | 幕末維新
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中村武生
 中村武生です。
 汗顔の至りです。
 ほとんど桐野さんのご成果の紹介にすぎませんのに。
なのにタイトルの誤り(変換ミス)、本当に申し訳ありませんでした。
 ②「うたがわれた新選組」、③「供述した刺客」へとつづきますので、どうかよろしくお願いいたします。
 取り急ぎ感謝とお詫び申し上げます。


桐野
中村武生さん

どうも。ようこそです。
史料批判の必要というのは仰せのとおりで、龍馬関係はえてして忘れられがちですね。自戒したいものです。

連載記事、私の京都の友人も楽しみに読んでるみたいです。龍馬暗殺だけで3回続くんですね。
ご健筆お祈りします。

黒幕は大久保だと思います。
吉田松陰大好き
史料無しで推測により、申し訳有りませんが『京都時代マップ:幕末,維新編』光村推古書院を参考にしますと、大政奉還は10月15日、竜馬暗殺まで1ヶ月あり、薩土同盟を結んだとしても、暗殺協議に発展したのでは?と思います。信憑性に欠けますが、大河ドラマの新撰組では暗殺を企む者にメモを簡粗に渡し(薩摩藩とハッキリしてませんが)、企む者が実行した感じでした。西郷と大久保は竹馬の友で、大久保は西郷に幼い頃より大変世話になっていたから、自分が汚れてもいいと思ったのでは…。西郷の性格では黒幕にはならないと思います。

大久保に動機なし
桐野
史料無しの推測では、なかなか難しいでしょうね。
大久保が鹿児島から入京したのは、龍馬が殺された当日です。西郷に至っては、西国の船上にいました。
仮に大久保だったとしても動機がありませんね。大久保は入京する前に土佐に寄って、山内容堂や後藤象二郎と王政復古のための兵力動員を打ち合わせています。つまり、土佐にも一緒にやろうと呼びかけていたわけですから、土佐藩と敵対する理由がまったくありません。ましてや龍馬を殺害しなければならない理由はありません。
もし大久保や西郷が土佐藩の存在が邪魔で、大政奉還が許せなかったと思ったら、龍馬を殺害しても何の効果もありません。龍馬は土佐の藩論を左右できる立場にないからです。どうしてもというなら、後藤象二郎を殺害しないことには何の実効もありません。

ご覧になった大河ドラマはおそらく「新選組」ですね。史実を重視しようとお考えなら、あまり信用しない方がいいと思います。これで「否定」になったでしょうか(笑)。

否定になりました!
吉田松陰大好き
納得致しました。【黒幕は大久保】と言いながら、自分と同じ姓なので嫌だな~と思っていましたが、スッキリ爽快でルンルン気分となりました。ありがとうございます!

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この記事へのコメント
 中村武生です。
 汗顔の至りです。
 ほとんど桐野さんのご成果の紹介にすぎませんのに。
なのにタイトルの誤り(変換ミス)、本当に申し訳ありませんでした。
 ②「うたがわれた新選組」、③「供述した刺客」へとつづきますので、どうかよろしくお願いいたします。
 取り急ぎ感謝とお詫び申し上げます。
2006/12/11(Mon) 23:04 | URL  | 中村武生 #-[ 編集]
中村武生さん

どうも。ようこそです。
史料批判の必要というのは仰せのとおりで、龍馬関係はえてして忘れられがちですね。自戒したいものです。

連載記事、私の京都の友人も楽しみに読んでるみたいです。龍馬暗殺だけで3回続くんですね。
ご健筆お祈りします。
2006/12/12(Tue) 00:12 | URL  | 桐野 #-[ 編集]
黒幕は大久保だと思います。
史料無しで推測により、申し訳有りませんが『京都時代マップ:幕末,維新編』光村推古書院を参考にしますと、大政奉還は10月15日、竜馬暗殺まで1ヶ月あり、薩土同盟を結んだとしても、暗殺協議に発展したのでは?と思います。信憑性に欠けますが、大河ドラマの新撰組では暗殺を企む者にメモを簡粗に渡し(薩摩藩とハッキリしてませんが)、企む者が実行した感じでした。西郷と大久保は竹馬の友で、大久保は西郷に幼い頃より大変世話になっていたから、自分が汚れてもいいと思ったのでは…。西郷の性格では黒幕にはならないと思います。
2007/02/01(Thu) 21:24 | URL  | 吉田松陰大好き #-[ 編集]
大久保に動機なし
史料無しの推測では、なかなか難しいでしょうね。
大久保が鹿児島から入京したのは、龍馬が殺された当日です。西郷に至っては、西国の船上にいました。
仮に大久保だったとしても動機がありませんね。大久保は入京する前に土佐に寄って、山内容堂や後藤象二郎と王政復古のための兵力動員を打ち合わせています。つまり、土佐にも一緒にやろうと呼びかけていたわけですから、土佐藩と敵対する理由がまったくありません。ましてや龍馬を殺害しなければならない理由はありません。
もし大久保や西郷が土佐藩の存在が邪魔で、大政奉還が許せなかったと思ったら、龍馬を殺害しても何の効果もありません。龍馬は土佐の藩論を左右できる立場にないからです。どうしてもというなら、後藤象二郎を殺害しないことには何の実効もありません。

ご覧になった大河ドラマはおそらく「新選組」ですね。史実を重視しようとお考えなら、あまり信用しない方がいいと思います。これで「否定」になったでしょうか(笑)。
2007/02/03(Sat) 14:06 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
否定になりました!
納得致しました。【黒幕は大久保】と言いながら、自分と同じ姓なので嫌だな~と思っていましたが、スッキリ爽快でルンルン気分となりました。ありがとうございます!
2007/02/04(Sun) 00:14 | URL  | 吉田松陰大好き #-[ 編集]
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