歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第51回
―養子へ「英語より和漢」―

連載が更新になりました。
左のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすれば、ご覧になれます。

小松帯刀を6回にわたって連載してきました。今回が小松の最終回です。
小松の家族について書きました。
おそらく意外なことが書かれていると思われたのではないでしょうか。
話の中心は小松の養子となった町田申四郎への訓戒状です。
英国留学生として渡欧し、西洋文明に接した申四郎に対して、小松が和漢の学の重要性を説いています。
少し舌足らずな書き方だったかもしれませんが、小松が言いたいことはおそらく、英語がダメで和漢が大事というのではなく、英語だけではダメだ、和漢もやらないといけないという趣旨だろうと思います。

藩営の洋学校である開成所の創設に関わり、アーネスト・サトウとも親交のある小松ですから、外国語の重要性は十分認識しているわけで、ただそれだけでは足りないということでしょうね。

ちなみに、申四郎はのちに養子縁組を解消しています。小松に実子安千代がいたからです。
その後の申四郎はどうなったのか、不勉強で知りません。もしご存じの方がおいでなら、ご教示願えたら幸いです。

次回は篤姫関係を少し書きます。
また、寺田屋事件の余波として、日向細島での悲劇についても近いうちに書く予定です。

なお、小松帯刀については、来る5月27日に鹿児島市の宝山ホールで講演を行います。
鹿児島方面で興味のある方は足をお運び下さい。入場無料です。
詳しくは、ここにあります。

よろしければ、下記をクリックして下さい。
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【2008/03/29 12:55】 | さつま人国誌
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バイリンガル
ばんない
町田(当時「小松」)申四郎への訓戒状?ですか、興味深く拝見しました。明治維新後にアメリカに留学した山川兄妹(健次郎と捨松)の間でも似たようなエピソードがありまして、こっちは訓戒状ではなくて、日本語忘れないようにと健次郎が捨松に密かに日本語教育していたという話ですが。最も健次郎の方が先に日本に帰国してしまったので、捨松の日本語を教育をしてくれる人がいなくなり、すっかり日本語書く方が駄目になったようですね。今も昔も長期留学のバイリンガルは難しいようで。

ちなみに、この時捨松ら女子留学生の面倒を見ていたのが、申四郎らと一緒に留学していた森有礼だそうですが、彼が申四郎の弟の留学を妨害して中断させたというのは本当なんですかね。
それと、有礼らがそれなりに活躍したのに対し、申四郎は消息すら不明と言うところに、維新後の下級藩士層と門閥層の対立が影を落としたのではないかという気がしますが…。

話は変わりますが、今回参考にされた「小松帯刀系図」というのは『鹿児島県史料集』の小松関係の本に所収されている物でしょうか?

小松帯刀系図
桐野作人
ばんないさん、こんにちは。

町田申四郎のその後がどうなったのか、私も知りたいのですが、よくわかりません。
会津の山川兄妹の逸話の紹介、有難うございます。
留学もアイデンティティを喪失するかもしれず、なかなか大変ですね。

「小松帯刀系図」に目をつけられたのはさすがです。
これは国会図書館憲政資料室所蔵の「石室秘稿」に収録されていたものです。おそらく市来四郎の手になるものであり、とくに帯刀清廉については同時代だけに、比較的信頼できる系図ではないかと思っています。

「小松帯刀系図」
ばんない
恐縮です。

小松家(禰寝家)の系図は残念ながら寡聞にしてみたことがなく、まして小松家以外でも近世以降の情報が書かれている系図は印刷物にはなってないことが多いので、どこに掲載されていたのか気になりました。『石室秘稿』に所収されている物なのですね…そりゃ知らないはずだ(苦笑)。御教示ありがとうございました。


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バイリンガル
町田(当時「小松」)申四郎への訓戒状?ですか、興味深く拝見しました。明治維新後にアメリカに留学した山川兄妹(健次郎と捨松)の間でも似たようなエピソードがありまして、こっちは訓戒状ではなくて、日本語忘れないようにと健次郎が捨松に密かに日本語教育していたという話ですが。最も健次郎の方が先に日本に帰国してしまったので、捨松の日本語を教育をしてくれる人がいなくなり、すっかり日本語書く方が駄目になったようですね。今も昔も長期留学のバイリンガルは難しいようで。

ちなみに、この時捨松ら女子留学生の面倒を見ていたのが、申四郎らと一緒に留学していた森有礼だそうですが、彼が申四郎の弟の留学を妨害して中断させたというのは本当なんですかね。
それと、有礼らがそれなりに活躍したのに対し、申四郎は消息すら不明と言うところに、維新後の下級藩士層と門閥層の対立が影を落としたのではないかという気がしますが…。

話は変わりますが、今回参考にされた「小松帯刀系図」というのは『鹿児島県史料集』の小松関係の本に所収されている物でしょうか?
2008/04/04(Fri) 12:30 | URL  | ばんない #kyBjvhlc[ 編集]
小松帯刀系図
ばんないさん、こんにちは。

町田申四郎のその後がどうなったのか、私も知りたいのですが、よくわかりません。
会津の山川兄妹の逸話の紹介、有難うございます。
留学もアイデンティティを喪失するかもしれず、なかなか大変ですね。

「小松帯刀系図」に目をつけられたのはさすがです。
これは国会図書館憲政資料室所蔵の「石室秘稿」に収録されていたものです。おそらく市来四郎の手になるものであり、とくに帯刀清廉については同時代だけに、比較的信頼できる系図ではないかと思っています。
2008/04/04(Fri) 14:02 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
「小松帯刀系図」
恐縮です。

小松家(禰寝家)の系図は残念ながら寡聞にしてみたことがなく、まして小松家以外でも近世以降の情報が書かれている系図は印刷物にはなってないことが多いので、どこに掲載されていたのか気になりました。『石室秘稿』に所収されている物なのですね…そりゃ知らないはずだ(苦笑)。御教示ありがとうございました。
2008/04/13(Sun) 17:34 | URL  | ばんない #kyBjvhlc[ 編集]
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