歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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宮崎駿の有名なアニメ。
黒柳徹子によく似た湯婆婆が「千尋」の名前を「」に変えてしまう場面。
実名の剥奪は人格の消失へとつながるという呪術的な観念をよく表している。

で、中近世の史料では、この実名(じつみょう)を避けて官名や通称(仮名<けみょう>)で呼ばれたり、書かれたりすることが多い。いわゆる「実名敬避俗」という風習である。
「実名」は、他人が勝手に使用できない、げに大切なものだった。

時代劇や歴史小説で、よく実名を使うが、これは上記の「実名敬避俗」の原則に抵触しているわけで、時代考証からすれば、禁じ手である。
とはいっても、実名を使わないと、なじみのない官名や通称では人物を特定したり、認識できないといううらみもあるから、痛し痒しである。

前置きが長くなった。
何がいいたいかというと、たとえば、信長や秀吉をはじめ大名たちの書状や判物には実名の署名(その下に花押や印判)があるのを、「実名敬避俗」の立場からどう考えたらいいのかという点。
本来隠しておくべき実名を自ら明らかにし、相手に呼び捨てにされてもよいとする行為を、私は相手・宛所に対する誠意や謙譲の表現なのかと思っていたが、どうもそうではないらしい。
考えてみれば、誇り高い信長が家臣に対して謙譲の態度をとるはずがないではないか。

そんな素朴な疑問に対する回答があった。
歴史をよむ』(東京大学出版会)に収録された

高橋修「実名―呼び捨ての習慣はいつ終わったか」

という一文を読んで、目からウロコだった。

そうか。信長や秀吉が書状などに実名を署名するのは、自分の存在や武功を広く世に知らしめるため、名誉を求めるためだったのか。戦場での名乗りと同様に、自らの実力を誇示する行為だったというのだ。

そのことで連想したのが、『信長公記』で、太田牛一が最初、「信長」と呼び捨てにし、途中(天正5年あたり)から「信長公」と呼び方を変えている点。
これについて、信長の大臣(内大臣)任官を境として、それ以前は呼び捨てで、以後は尊称にしたと考えていた。

どうも違うらしい。「信長」という、一見呼び捨てに見える表記も、じつは尊敬表現だと、高橋氏はいう。
高橋氏は家康の家臣である松平家忠の日記『家忠日記』の「家康」表記の事例を調べている。
それによれば、天正5年(1577)から同14年まで、ほとんど「家康」で、同13、14年あたりから「家康様」「殿様」「大納言様」という表記に変わっていく。

「家康」という表記が呼び捨てで無礼な表現かといえばそうではない。家忠は同輩たち、たとえば石川数正を「石川伯耆」、井伊直政を「井兵部輔」と仮名(通称官名)で呼び、ときには「~殿」さえ付けている。
家忠は、同輩たちには敬意を示して、主君たる家康を呼び捨てにしていると考えるのはおかしいだろうと、高橋氏は指摘する。
つまり、「家康」表記は呼び捨てではなく、敬意表現と考えないと理解できないというわけだ。

それが変化するようになるのは、家康が豊臣政権に包摂されて官位を得てからである。
つまり、それまで実力の表象としての敬意表現だった「家康」が、官位制原理に基づく「家康様」「大納言様」に取って代わられる。
下剋上的な実力主義よりも、秩序維持のための儀礼制が重んじられる平和な時代になったことが、表記の変化の背景にあるというのだ。

う~ん、勉強になるな。
表面的な理解ではいけないことを痛感させられた。

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【2008/03/31 19:05】 | 雑記
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