歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第53回
―狆が好き、でも猫飼う―

連載が更新になりました。
左のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすれば、ご覧になれます。

今回は篤姫とペットというテーマです。
この逸話はだいぶ知られるようになったかもしれません。
三田村鳶魚「御殿女中」に収録された篤姫付のもと中臈、大岡ませ子の談話から採録しました。
篤姫のペット、サト姫のことが面白おかしく描かれています。

ただ、それだけでは面白くないので、篤姫が好きだったという狆(ちん)について、島津斉彬と水戸斉昭の間でのやりとりを付け加えました。
狆は江戸時代、上流階級や富裕な商人層の間で好まれた愛玩動物です。
昨今のペットブームと相通じるところがあるかもしれませんね。

その狆をどうやら薩摩でも飼育していたようです。
いわば、島津家は狆のブリーダーだったと思われます。

膝元にまとわりついて離れない黒狆に、攘夷のご本家、気難しそうな烈公水戸斉昭が「うい奴じゃ」とばかりに目を細めている光景は思わず吹き出しそうです。

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【2008/04/12 20:26】 | さつま人国誌
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ばんない
こんにちは。

以前にも一度狆ネタがあったような記憶があるのですが、2回目になりますね。確かその時のネタは江戸にあった薩摩藩菩提寺の中に人間様の中にまじってお犬様のお墓があったとかどうとか、じゃなかったでしたっけ?
それにしても豚肉だけじゃなくて狆まで進上させていたとは、水戸家はなかなかわがままいってますね(苦笑)でも確かに狆はなかなか飼育の難しい犬種ではあるようです。伝聞情報ですが奇形が出やすいと言う話があります。おそらく、限定された層に飼われた犬なので、近親交配が多かったことが原因なのではないかと考えていますが…。一般的には遣唐使がつれてきた犬とされていますが、平安時代には貴族層に愛玩されていた記録がないなど、謎な犬ですね。

サト姫の話は大奥マニアならかなり知られている話だと思いますが、一つ疑問があるのは、先代が「ミチ姫」次が「サト姫」ということは、男子禁制の大奥では猫も女じゃないと駄目だったんでしょうか。

サト姫
桐野作人
ばんないさん、こんにちは。

2回目の話題というのは、私がそうだということでしょうか?
狆については、初めて書いたような気がしますが、ほかに書いていたかな? 記憶が定かではなりません。

斉彬は狆を斉昭に贈ったとき、豚肉も贈っていますね。斉昭も食したのでしょうね。

狆の伝来や犬種形成の過程はよくわかりません。
遣唐使が持ち帰ったのなら、中国か西域が原産でしょうか。
現在のシーズーと先祖が一緒なんでしょうかね?

狆のご先祖
ばんない
狆ネタ、この記事のコメントで出てきてました
http://dangodazo.blog83.fc2.com/blog-entry-205.html
あのあと、なにかの本(『大江戸の姫さま』(角川選書)だったか、失念)を呼んだときに、そこには「江戸時代の日本に置いて狆と犬とは別の物という概念だった」と言うような話が出ていた記憶があります。犬は食い物(涙)、狆はお金持ちが愛でる物、というところでしょうか。

狆の原産、西域説を出されてましたがさすが鋭いですね。
こちら
http://www.dogfan.jp/zukan/japanese/chin/index.html
に狆の起源についての今のところの通説が出ています。狆の親戚に当たるペキニーズは不肖私の実家でかつて飼っておりました。さすが中国の宮廷で飼われていた犬、全然犬らしくない性格で大変でしたが(爆)狆もそういう感じだったんでしょうかねぇ、人を人と思わず、どちらかというと猫に近い性格という…。

サト姫
桐野作人
ばんないさん、こんにちは。

狆ネタ、前も書いていたんですね。すっかり忘れておりました(笑)。

たしか、薩摩藩の芝屋敷があった近くの港郷土資料館の展示で観たものでした。偶然ですが、一昨日も同館に行きました。たまたま長州屋敷展をやっておりました。長州藩の江戸藩邸は薩摩のそれよりずっと数が多いですね。抱屋敷や町屋敷が圧倒的に多いですけど。

狆と親戚なのはペキニーズなんですね。知りませんでした。
うちは猫派なもので、お許し下さい。
ネットで見てみましたが、ペキニーズは狆そっくりですね。
見た感じ、デリケートで癇がつよそうです。家定みたい(爆)。

前回のばんないさんのコメントで、サト姫など猫に女性名を付けているのはなぜかという疑問があったのを失念しておりました。
私も他の事例を知らないので、ミチ姫、サト姫がよくある命名法なのか、特殊なものなのかよく知りません。

ひとつは、メス猫だったかもしれず、篤姫のペットですから、呼び捨てにはできなかったのかもしれません。

あるいは、将軍家定を憚ってといいますか、男性名を付けると嫉妬されるかもしれないとか(爆)。

そういえば、上記の港郷土資料館の図録「江戸動物図鑑」にペットの墓の拓本が載っております。
それによれば、薩摩藩の芝屋敷大奥で飼われていた狆は「染」という名前ですね。天保6年(1835)に亡くなっています。
同年の藩主は斉興ですから、「染」の飼い主はその関係者ではないでしょうか。斉彬の実母である斉興夫人はすでに他界していますから、お由羅の方が飼っていた可能性もありますね。

ほかにも高輪屋敷で飼われていたのは「白」という名前の狆です。

やはり、大奥の「~姫」は格別のようですね。


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コメント
この記事へのコメント
こんにちは。

以前にも一度狆ネタがあったような記憶があるのですが、2回目になりますね。確かその時のネタは江戸にあった薩摩藩菩提寺の中に人間様の中にまじってお犬様のお墓があったとかどうとか、じゃなかったでしたっけ?
それにしても豚肉だけじゃなくて狆まで進上させていたとは、水戸家はなかなかわがままいってますね(苦笑)でも確かに狆はなかなか飼育の難しい犬種ではあるようです。伝聞情報ですが奇形が出やすいと言う話があります。おそらく、限定された層に飼われた犬なので、近親交配が多かったことが原因なのではないかと考えていますが…。一般的には遣唐使がつれてきた犬とされていますが、平安時代には貴族層に愛玩されていた記録がないなど、謎な犬ですね。

サト姫の話は大奥マニアならかなり知られている話だと思いますが、一つ疑問があるのは、先代が「ミチ姫」次が「サト姫」ということは、男子禁制の大奥では猫も女じゃないと駄目だったんでしょうか。
2008/04/13(Sun) 16:50 | URL  | ばんない #kyBjvhlc[ 編集]
サト姫
ばんないさん、こんにちは。

2回目の話題というのは、私がそうだということでしょうか?
狆については、初めて書いたような気がしますが、ほかに書いていたかな? 記憶が定かではなりません。

斉彬は狆を斉昭に贈ったとき、豚肉も贈っていますね。斉昭も食したのでしょうね。

狆の伝来や犬種形成の過程はよくわかりません。
遣唐使が持ち帰ったのなら、中国か西域が原産でしょうか。
現在のシーズーと先祖が一緒なんでしょうかね?
2008/04/14(Mon) 13:07 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
狆のご先祖
狆ネタ、この記事のコメントで出てきてました
http://dangodazo.blog83.fc2.com/blog-entry-205.html
あのあと、なにかの本(『大江戸の姫さま』(角川選書)だったか、失念)を呼んだときに、そこには「江戸時代の日本に置いて狆と犬とは別の物という概念だった」と言うような話が出ていた記憶があります。犬は食い物(涙)、狆はお金持ちが愛でる物、というところでしょうか。

狆の原産、西域説を出されてましたがさすが鋭いですね。
こちら
http://www.dogfan.jp/zukan/japanese/chin/index.html
に狆の起源についての今のところの通説が出ています。狆の親戚に当たるペキニーズは不肖私の実家でかつて飼っておりました。さすが中国の宮廷で飼われていた犬、全然犬らしくない性格で大変でしたが(爆)狆もそういう感じだったんでしょうかねぇ、人を人と思わず、どちらかというと猫に近い性格という…。
2008/04/15(Tue) 00:50 | URL  | ばんない #kyBjvhlc[ 編集]
サト姫
ばんないさん、こんにちは。

狆ネタ、前も書いていたんですね。すっかり忘れておりました(笑)。

たしか、薩摩藩の芝屋敷があった近くの港郷土資料館の展示で観たものでした。偶然ですが、一昨日も同館に行きました。たまたま長州屋敷展をやっておりました。長州藩の江戸藩邸は薩摩のそれよりずっと数が多いですね。抱屋敷や町屋敷が圧倒的に多いですけど。

狆と親戚なのはペキニーズなんですね。知りませんでした。
うちは猫派なもので、お許し下さい。
ネットで見てみましたが、ペキニーズは狆そっくりですね。
見た感じ、デリケートで癇がつよそうです。家定みたい(爆)。

前回のばんないさんのコメントで、サト姫など猫に女性名を付けているのはなぜかという疑問があったのを失念しておりました。
私も他の事例を知らないので、ミチ姫、サト姫がよくある命名法なのか、特殊なものなのかよく知りません。

ひとつは、メス猫だったかもしれず、篤姫のペットですから、呼び捨てにはできなかったのかもしれません。

あるいは、将軍家定を憚ってといいますか、男性名を付けると嫉妬されるかもしれないとか(爆)。

そういえば、上記の港郷土資料館の図録「江戸動物図鑑」にペットの墓の拓本が載っております。
それによれば、薩摩藩の芝屋敷大奥で飼われていた狆は「染」という名前ですね。天保6年(1835)に亡くなっています。
同年の藩主は斉興ですから、「染」の飼い主はその関係者ではないでしょうか。斉彬の実母である斉興夫人はすでに他界していますから、お由羅の方が飼っていた可能性もありますね。

ほかにも高輪屋敷で飼われていたのは「白」という名前の狆です。

やはり、大奥の「~姫」は格別のようですね。
2008/04/15(Tue) 12:46 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
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