歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第59回
―佐土原藩祖、京都で病没―

昨日、連載が更新になりました。
左のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすればご覧になれます。

今回は大雲院にある島津以久の墓を書きました。
佐土原島津家の藩祖です。

分量の関係で詳しく書けませんでしたが、以久が島津本家とは別ルートから徳川家康と直接交渉しているのが面白いです。
島津分家なのに、なぜそんなことできるのか?
おそらく以久が豊臣政権の「御朱印衆」で大名に準じているからではないかと思われます。
「御朱印衆」とは、秀吉から大名への領地宛行の朱印状のなかで、とくに一カ条を設けて、所領地や領知高を明記された一門・重臣のことです。
文禄検地の際の秀吉朱印状では、島津本家の義久・義弘のほか、伊集院幸侃とともに以久も名前が挙げられています。

以久は佐土原を拝領したことにより、垂水と二カ所の所領を持つことになりますが、これが島津本家の家督問題とも関わって、その相続問題で揺れることになります。

次回は、今熊野観音寺にある島津義久の逆修墓を書く予定です。

よろしければ、下記をクリックして下さい。
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【2008/05/25 09:30】 | さつま人国誌
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