NHK大河ドラマ「
篤姫」第22回「将軍の秘密」
ドラマ進行時点は、安政4年(1857)2月頃から6月頃。
島津斉彬が一橋慶喜に初めて会ったのが3月27日。
老中阿部正弘の死が6月17日です。
篤姫と将軍家定との仲がいよいよ佳境に入ってきました。
篤姫が家定と腹を割って話すうちに、じつは家定が「英邁」だったという、篤姫の言葉さえ飛び出しましたが、さすがにそれは過大評価ではないかと思いますが……。
個人的には、亡くなった老中阿部正弘を演じた草刈正雄が印象深いですね。
かつての二枚目スターがすっかり演技派になって……。
咳のしかたや脂汗を拭う仕草など秀逸です。
草刈正雄とNHKといえば、水曜時代劇「真田太平記」での幸村役が思い出されます。
果たして、バタ臭い(もう死語?)彼に幸村という大役がつとまるのかと心配しながら見はじめたのですが、大坂の両陣での鬼気迫る演技は素晴らしかったです。
以来、大河ドラマにも出演するようになって、とくに1997年、「毛利元就」で桂広澄を演じ、その死に方が素晴らしかったですね。考えてみれば、このドラマで、松坂慶子がカムバックし、中村梅雀や榎木孝明も出ていましたね。
で、今回は一橋慶喜が初めて本格的に登場しました。
調所広郷を演じた平幹二郎の息子ですが、お父さんによく似ていますね。
画面も逆光気味で暗くして表情があまり見えないようにしてありました。
ドラマでの、その後の慶喜のポジションを暗示しているのでしょう。
慶喜と斉彬の初会見ですが、斉彬が松平春嶽に宛てた書簡に、3月27日に会ったと書いています。
おそらく一橋邸でしょう。ドラマでは老中阿部も同行していましたが、書簡にはとくに書いてありません。おそらく同行しなかったのではないかと思いますが……。
斉彬書簡は『昨夢紀事』二(日本史籍協会叢書)に収録されています。4月2日夜付です。
書簡によれば、斉彬は人払いしてもらって、慶喜と膝詰めで話したようです。
その感想として、「
実に早く西城(西の丸=将軍世子のこと)と仰ぎ奉るり候御人物」とし、将軍継嗣にふさわしい人物だという見立てです。
でも、そのあとに「
しかし、御慢心の処を折角御つゝしみ御坐候様仰せ上げられ候て然るべしと存じ奉り候」と、注文を付けることも忘れていません。
ときに慶喜21歳。
幼少から英邁をうたわれ、水戸斉昭に英才教育を施された人物ですから、齢相応の生意気というか自負心が顕れたのでしょう。
慶喜の自信過剰を指摘していたのは斉彬だけではありません。
後期水戸学の泰斗、藤田東湖もそうです。
東湖は斉彬より3年早い安政元年(1854)3月、主君斉昭に宛てた書簡のなかで、幕臣川路聖謨から聞いた慶喜の言動を伝えています。それは次のような話です。
「一橋家の用人が木綿の服で慶喜の前に出たところ、慶喜がそれは何と申すものかと尋ねたので、綿服だと答えると、綿服にて出仕するほどなら、娘は踊りの稽古はもうやめたろうなと、慶喜がからかったので、用人は赤面して引き下がった」東湖は慶喜のこのような態度を君主として「
御為に宜しからず」「
その気象をば先々おつつみ(お包み)、只々有難き御方様とのみ評判仕り候様に仕りたし」と、斉昭に伝えています。
期せずして、斉彬と東湖の観察は一致しています。
さて、この慶喜が今後、篤姫とどのようにからむのか楽しみではあります。
なお、慶喜は煙管で煙草を吸っておりました。ドラマではほかに老女滝山も吸っていますね。
慶喜の場合、煙草は必ずしも健康に悪いとは考えていなかったと思います。
水戸斉昭は慶喜に直伝の健康法を伝授しています。
それによると、毎日、黒豆100粒ずつ、牛乳も毎日飲みつづけるように指示しています。
一方、湯茶などの水分は極力摂らないようにして、武芸などの鍛練のあとも、湯茶は一口二口だけにして、烟草で紛らわすように忠告しています(大庭邦彦『父より慶喜殿へ』集英社)。
現代医学の観点から見ると、いささか首をかしげたくなりますが、斉昭は大真面目で説いており、慶喜もそれを守っていたのかもしれません。
とりあえず、今日はこれくらいにて。
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