歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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昨日の大河ドラマ「篤姫」、じつは見逃しました。

昨日は幕末江戸史跡探訪のガイドを朝から夕方までつとめ、そのあと、明治維新史学会帰りの研究者たちと一献傾けたため帰宅が遅くなりました。
それでも、22:00のBS放映には間に合ったのですが、疲れのためか、不覚にもそのまま眠り込んでしまい、起きてみたら放映は終わっておりました(泣)。

そんなわけで、感想を書けません。土曜日の再放送を見て書きたいと思います。
たくさんのアクセスをいただいたのに申しわけありません。


その代わりといっては何ですが、関連する話題を少し書きます。
先日12日にアップした「鹿児島をゆく」の記事(これです)についての補足です。

ツアーのなかで、島津家の菩提寺、福昌寺跡墓所を訪れました。
そのとき、島津斉興の墓も拝観したのですが、斉興の墓の右手前に山川石でできた宝篋印塔が鎮座しておりました。以下の写真です。
お由羅の墓


参加者から、この墓の主は誰なのだと尋ねられて、私ははっきりと答えることができず、「おそらく正室賢章院(斉彬生母、鳥取藩主松平斉邦妹)か、お由羅の方ではないかと思う。ただ、お由羅の方は側室なので、正室扱いしたこの建て方と位置はどうかと思う」と答えるにとどまりました。

墓には戒名が刻んでありました。上の写真の戒名部分を拡大したのが以下の写真です。
お由羅戒名


戒名は「妙浄覚忍大禅定尼」と刻んであります。
お由羅の方の戒名をよく知らなかったため、この墓の主がお由羅の方なのかどうか、宿題にさせてもらいました。
最近、この一件を思い出して、少し調べてみましたが、お由羅の方の史料が少なく、戒名の書かれている史料をまだ探せ出せておりません。
なお、一説によれば、「妙深忍大弾定尼」というそうですが、上記写真の戒名とは異なりますね。

さて、島津修久著『島津歴代略記』(島津顕彰会)の末尾に福昌寺跡墓所の見取図と解説が載っています。
それによれば、この墓の主はお由羅の方だとはっきり書いてあります。
さらに注目すべきは「斉興後夫人」と注記されていることです。島津家では、お由羅の方を斉興の側室ではなく、後夫人(いわゆる後妻です)と位置づけているようです。おそらく何らかの根拠があるのでしょう。
後夫人であれば、あの位置にお由羅の方の墓があっても決しておかしくありません。

それで、一応問題は解決しましたが、もうひとつ別の疑問が出てきました。
斉興の最初の夫人である賢章院の墓はどこにあるんでしょうね。賢章院はおそらく江戸で他界したはずですから、江戸の菩提寺である大円寺(現在は杉並区和泉にある)に葬られたのでしょうか。ただ、このお寺には位牌は置くけれど、墓は建てないというならわしがあったようですから、やはり鹿児島につくられた可能性が高いと思われます。
斉興の墓の左横に、いくつか小さな墓が並んでいましたが、そのなかにあるのでしょうか? だとしたら、お由羅の方の墓とくらべて扱いが不当な気もします。やはり、どこか別の所にあるのでしょうか?

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【2008/06/16 15:49】 | 篤姫
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「後夫人」
ばんない
こんにちは。

『島津歴代略記』の「後夫人」についてですが、島津忠義側室の山崎寿満子のように明らかに側室と分かる人にも「後夫人」の敬称をつけているのであてになりません。
島津家久(元「忠恒」)の正室は2人しかいないはずなのに、くだんの本によると福昌寺跡の墓所に家久後夫人の墓は4つか5つぐらいあったはずです。

ただ、斉興正室の池田周子の墓が福昌寺に見あたらないのは気になります。同じく島津修久氏紹介の「御祭祀提要」(『尚古集成館紀要』5)によると、当初大円寺に葬られ、後に鹿児島に改葬されたはずなのですが…。

後夫人?
桐野作人
ばんないさん、こんばんは。

やはり、お由羅の方が後夫人というのは怪しいですか。
考えてみれば、例のお由羅の方の墓は立派ではあるのですけど、斉彬夫妻のように、夫婦墓になっておらず別々ですね。そのあたりも引っかかります。

斉興正室の池田氏の墓はどこにあるんでしょうね?
大円寺には、池田氏こと賢章院の名前も刻んだ寺側の宝篋印塔が立ってはいますが……。

賢章院のお墓
ばんない
こんばんは。

本日『島津歴代略記』を改めて読み直すと、「斉興夫人」の記述がありました。島津継豊の墓の隣に島津斉彬の夭折した息子(菊三郎と虎寿丸)の合葬墓があるようなのですが、そこに更に合葬されているようです。…地図を見ると夫・斉興墓や息子・斉彬墓とは別区画にあるようです。
これではそう簡単に見つからないはずですね。

では失礼します。

斉興夫人
桐野作人
ばんないさん、こんばんは。

同書をよく見たら、たしかに斉興夫人がありました。
こちらの見落としでした。

それにしても、斉彬の早世した子どもである菊三郎や虎寿丸と合祀されているというのが何とも。
たしかに孫ではありますが、ちょっと変な組み合わせですね。

あるいは、廃仏毀釈後に適当にまとめられたのでしょうか?

元・福昌寺の墓群は場所取りゲームで早者勝ち?
ばんない
こんばんは。

『島津歴代略記』に載っている地図、別の頁に載っている分かりにくい(失礼!)人物対応表とページをめくりながらにらめっこして考えていたのですが、江戸の大円寺から移された人は、適当にまとめられた印象が否めません。広い墓地とはいえ、江戸から移してきた墓全部それぞれに新たにスペースをさく余裕はなかったのでないかと私は考えています。
ちなみに斉興のそばで単独でどどんと墓を作ってもらっているお由羅は慶長2年でしたか、鹿児島で死んでますね。

ところで、斉興夫人・池田周子は斉興と不仲だったと書いてあるサイトをどこかで見たことがありますが、桐野さんはそういったエピソードはご存じですか?

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この記事へのコメント
「後夫人」
こんにちは。

『島津歴代略記』の「後夫人」についてですが、島津忠義側室の山崎寿満子のように明らかに側室と分かる人にも「後夫人」の敬称をつけているのであてになりません。
島津家久(元「忠恒」)の正室は2人しかいないはずなのに、くだんの本によると福昌寺跡の墓所に家久後夫人の墓は4つか5つぐらいあったはずです。

ただ、斉興正室の池田周子の墓が福昌寺に見あたらないのは気になります。同じく島津修久氏紹介の「御祭祀提要」(『尚古集成館紀要』5)によると、当初大円寺に葬られ、後に鹿児島に改葬されたはずなのですが…。
2008/06/17(Tue) 00:55 | URL  | ばんない #kyBjvhlc[ 編集]
後夫人?
ばんないさん、こんばんは。

やはり、お由羅の方が後夫人というのは怪しいですか。
考えてみれば、例のお由羅の方の墓は立派ではあるのですけど、斉彬夫妻のように、夫婦墓になっておらず別々ですね。そのあたりも引っかかります。

斉興正室の池田氏の墓はどこにあるんでしょうね?
大円寺には、池田氏こと賢章院の名前も刻んだ寺側の宝篋印塔が立ってはいますが……。
2008/06/19(Thu) 00:45 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
賢章院のお墓
こんばんは。

本日『島津歴代略記』を改めて読み直すと、「斉興夫人」の記述がありました。島津継豊の墓の隣に島津斉彬の夭折した息子(菊三郎と虎寿丸)の合葬墓があるようなのですが、そこに更に合葬されているようです。…地図を見ると夫・斉興墓や息子・斉彬墓とは別区画にあるようです。
これではそう簡単に見つからないはずですね。

では失礼します。
2008/06/20(Fri) 00:38 | URL  | ばんない #kyBjvhlc[ 編集]
斉興夫人
ばんないさん、こんばんは。

同書をよく見たら、たしかに斉興夫人がありました。
こちらの見落としでした。

それにしても、斉彬の早世した子どもである菊三郎や虎寿丸と合祀されているというのが何とも。
たしかに孫ではありますが、ちょっと変な組み合わせですね。

あるいは、廃仏毀釈後に適当にまとめられたのでしょうか?
2008/06/20(Fri) 23:28 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
元・福昌寺の墓群は場所取りゲームで早者勝ち?
こんばんは。

『島津歴代略記』に載っている地図、別の頁に載っている分かりにくい(失礼!)人物対応表とページをめくりながらにらめっこして考えていたのですが、江戸の大円寺から移された人は、適当にまとめられた印象が否めません。広い墓地とはいえ、江戸から移してきた墓全部それぞれに新たにスペースをさく余裕はなかったのでないかと私は考えています。
ちなみに斉興のそばで単独でどどんと墓を作ってもらっているお由羅は慶長2年でしたか、鹿児島で死んでますね。

ところで、斉興夫人・池田周子は斉興と不仲だったと書いてあるサイトをどこかで見たことがありますが、桐野さんはそういったエピソードはご存じですか?
2008/06/21(Sat) 00:48 | URL  | ばんない #kyBjvhlc[ 編集]
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