歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第63回
―婚家存続へ手携え奔走―

連載が更新になりました。
左のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすれば、ご覧になれます。

今回は篤姫と和宮のことを書きました。
篤姫が明治13年(1880)、熱海旅行の途次、箱根・塔ノ沢にある和宮終焉の地を訪れて、挽歌を詠んだことを紹介したいと思っておりました。

この挽歌については、字句をめぐって異同があることは以前、拙ブログでも紹介したことがあります。ここです。コメント欄に書かれていますので、ご覧下さい。

なお、和宮の死因が脚気衝心だと書きました。
この病気は脚気の症状が心臓を圧迫して、ついには死に至らしめる病で、当時の上流階級に多いです。白米食だったからでしょう。
和宮の夫、将軍家茂も同じ病気で亡くなっています。この夫婦は食生活が似かよっていたのでしょうね。むしろ、仲睦まじさの表れだったかもしれませんが。

これは余談です。
薩摩藩でも、島津久光が脚気に苦しんでいます。
慶応3年(1867)11月、小松・西郷・大久保らは久光にも上京を促しましたが、病気のため断念し、代わりに藩主茂久の上京となりました。久光の病気とは脚気だった可能性が高いと思っています。
もし、このとき、久光が上京していたら、小御所会議がどうなったか、大久保-岩倉と山内容堂の対立はあったかどうか。いろいろ考えさせられます。

次回からまた、小松帯刀のことを書こうと思っています。

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【2008/06/21 12:41】 | さつま人国誌
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