歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第65回
―長崎留学で交流深める―

連載が更新になりました。
左のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすれば、ご覧になれます。

今回から2、3回、再び小松帯刀を書く予定です。
その1回目として、小松の長崎留学の話を少し書きました。
これは小松と同じ門閥で、また同じく弁天波止台場の守備隊長だった北郷久信と同行したものです。
期間は2カ月ほどと短いものでしたが、オランダ軍艦に乗船しての伝習は、さぞや驚きの連続だったのではないかと推察されます。

この留学で視野を広げたことが2人のその後にも大きく影響を与えたのではないかと思います。
小松にとっては、ジョン万次郎の招聘や、坂本龍馬など海援隊の面々との交流など、重要な人間関係を構築するきっかけになりました。

北郷久信はあまり知られていません。
だいたい、北郷を「ほんごう」と読める人も少ないでしょう。
北郷氏はもともと島津氏の異姓分家で、日向庄内(現・都城市など)の領主でした。豊臣政権時代、一時、祁答院に転封されて、代わって伊集院幸侃が入部し、庄内の乱になります。
庄内の乱鎮圧後、北郷氏は再び、庄内に復帰し、のちに島津名字を許されました。これが都城島津家で、近世には35.000石という大名並みの禄高を有する、島津分家きっての大身の領主となりました。

薩摩国平佐の北郷家はその分家で、家祖の加賀守三久は幼少の甥忠能の後見・名代でしたが、豊臣秀吉の命で、一家を立てることを許されました。
久信はその13代当主です。

北郷久信は戊辰戦争のとき、みずから軍艦乾行丸の艦長をつとめて、幕府軍艦順動丸と交戦し、擱座させている。

幕末薩摩藩においては、西郷・大久保など下級城下士の働きばかりが注目されるが、小松・北郷など門閥層の役割も無視できない。

岩下方平・桂久武・町田久成・新納刑部・島津伊勢・関山糺

といった名前だけでも、薩摩藩の門閥層にも有能な人物がいたことがうかがわれる。

今年の大河ドラマ「篤姫」は、一門四家のひとつ、今和泉家に焦点を当てることによって、従来の下級城下士中心の維新史観を相対化する効能があったように思われる。
今後、薩摩藩における門閥層の働きや役割にも注目する必要があるのではないか。

そんな作業のきっかけとして、北郷久信を取り上げた次第である。

なお、北郷久信の伝記史料として、次のものがあります。

伊地知茂七編『北郷久信報効事歴並歴代系譜』 私家版 1916年

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【2008/06/28 12:24】 | さつま人国誌
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2008/06/29(Sun) 09:35 |   |  #[ 編集]
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