歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第65回
―長い闘病生活と肺結核―

私の連載が更新になりました。
左のリンク欄「さつま人国誌」をクリックしたら、ご覧になれます。

今回は表題のとおりです。
小松の死因は意外と知られていないと思います。
私もこれまで講座や雑誌記事などで、「足痛」を強調してきましたから、それではないかと思われたかもしれません。
私も一時はそうじゃないかと思っていました。

でも、違ってました。
肺結核だと思います。

肺結核と「足痛」の因果関係はなさそうにみえますが、「足痛」が糖尿病だったとしたら、免疫力が低下して合併症を引き起こしやすくなるんじゃないかなとも思います。それで結核に罹患してしまったとか。
まったくの門外漢なので、あくまで素人の見たてです。詳しい方がおいでなら、ご教示下さい。

先日、大阪に行ったとき、オランダ人医師ボードウィンの宿舎となった法性寺を拝観してきました。
彼が小松の治療にあたったわけですが、小松はこの寺を訪問する余力はあったのかと気になりました。小松の大久保利通宛て書簡を見ると、自宅療養だったのではないかと思われますが。

ボードウィンは小松をヨーロッパで治療させようとしたようです。
でも、小松に長い船旅に耐えるだけの体力が残っていたとは思えませんし、また無事に着いても、当時の医療水準では、肺結核を完治させるのは難しかったのではないかと思います。
もしかしたら、小松はヨーロッパで客死という可能性もあったわけですね。

次回は、小松の死後のことを書いてみたいと思います。
小松の後継はどうなるのか、実子の安千代と養子の右近(町田申四郎)はどうなるのかといったところです。

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【2008/07/05 11:43】 | さつま人国誌
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サトシ
また拝見させていただきました。
次の更新も楽しみにしています。
応援ポチッ!!!

龍馬を超えた男
伊東祐実
原田泉氏の「龍馬を超えた男小松帯刀」では死因は特定されていないので、今回のお話はとても興味深いです。また、これから小松がどのように皆さんに取り上げられて行くのか楽しみです。瑛太君にも頑張ってもらわないと?!

これからの小松帯刀
桐野作人
伊東祐実さん、こんにちは。

小松帯刀が実際に活躍するのは、ドラマの進行時点から4年後のことなので、まだ作りにくい面はあると思います。
ただ、これかでのいきさつから見てどうなるか、やや不安ですね。気弱なキャラクターからずっと抜け出せないような気がします。
それでは困るんですけどね。


リョウ
拝見させていただきました。
もっと詳しくしてほしいです!!
人物調べが宿題なんです(泣)

さつま人国誌
桐野作人
リョウさん

拝見していただき、有難うございます。
もっと詳しくとのことですが、私の新聞連載「さつま人国誌」でかなり詳しく書いております。
左のリンク欄をクリックすれば、小松関係の記事が少なからずありますので、ご参照下さい。

小松の亡くなった場所
yuki-uta
 帯刀さんの亡くなった場所がとっても気になっています。最近、大阪の新聞に載ったのですが、慶応4年5月~7月まで大阪府の知事をしておられたのですね。その縁で、大阪で治療されたのでしょうか。もし、自宅療養なら、大阪の自宅はどちら・・?大河のように、病院で亡くなったとすると、明治3年なら現在の国立病院のある場所に、ボードウィンのいた大阪府病院があったとのことなので、そちらでしょうか。とすれば、大村益次郎と同じ場所になりますが。
 大村の大きな碑がありますけど、小松の碑もぜひ、建てていただきたいものです。

大阪の新聞
桐野作人
yuki-utaさん、こんばんは。

返事遅れてすみません。

小松が一時期、大坂に在勤していたのはたしかですね。
知事といっていいのかどうかはわかりませんが。
後藤象二郎も同僚だったような。

小松が亡くなった場所は、私もよくわかりません。
候補は、ご指摘のとおり、大坂医学校か、お琴の居宅のどちらかだと思います。

探せば、ほかにもまだ史料が出てくるのではないかと思います。

ところで、小松の記事が載った大阪の新聞って何で、日付はいつでしょうか?

小松帯刀終焉の地
yuki-uta
 桐野先生、今晩は。ご丁寧に返信いただきまして、ありがとうございます。感激しています。京都の中村先生の講座に時々お世話になっており、桐野先生のお話をよくお聞きします。

 さて、小松終焉の地、ぜひとも特定できればいいですね。来年の大河に、必ず登場するでしょうし。
 ご指摘の新聞は「大阪日日新聞」、2009年1月23日付けの「澪標」(みおつくし)というコラムです。書かれたのは、大阪府立病院機構副理事長の徳永幸彦先生です。
 住吉大社に初詣され、こちらの島津忠久の誕生石を紹介されています。参勤交代の折には、歴代藩主は必ず、住吉大社に参拝しているとのこと。
 また、篤姫も嘉永6年9月24日堺港に上陸、住吉大社に参拝し、薩摩藩屋敷に5日滞在し、京都を経て江戸へ・・。
 小松に関しては、足の痛みをおして、慶応4年5月から2ヶ月、大阪府2代目知事に就任していて、阪大医学部の前身である大阪仮病院の蘭医ボードウィンの治療を受け、明治3年に没している・・と書かれています。

 先日、滋賀県の草津本陣に行ったら、そちらに大福帳が残されていて、嘉永6年10月に「薩州御姫君一行」が宿泊したと記載されていましたよ。朝、伏見を立って、その夜、草津に宿泊だったようです。篤姫ですね。

 週末に夕陽丘に行きますので、陸奥宗光の墓があったお寺の辺りを探索してきます。ご返信、ありがとうございました。

夕陽ヶ丘
桐野作人
yuki-utaさん、こんばんは。

大阪日日新聞ですね。有難うございます。
ただ、ご存じかと思いますが、住吉大社の逸話は伝承の類で、史実とは別に考えたほうがいいと思います。島津家では信じているようですから、それはそれで尊重しますが。

夕陽ヶ丘の陸奥宗光の墓があった場所あたりが小松の墓所だったと言われているようです。
陸奥は一時期、小松の家来でしたから、興味深いですね。


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この記事へのコメント
また拝見させていただきました。
次の更新も楽しみにしています。
応援ポチッ!!!
2008/07/06(Sun) 19:28 | URL  | サトシ #-[ 編集]
龍馬を超えた男
原田泉氏の「龍馬を超えた男小松帯刀」では死因は特定されていないので、今回のお話はとても興味深いです。また、これから小松がどのように皆さんに取り上げられて行くのか楽しみです。瑛太君にも頑張ってもらわないと?!
2008/07/06(Sun) 21:44 | URL  | 伊東祐実 #-[ 編集]
これからの小松帯刀
伊東祐実さん、こんにちは。

小松帯刀が実際に活躍するのは、ドラマの進行時点から4年後のことなので、まだ作りにくい面はあると思います。
ただ、これかでのいきさつから見てどうなるか、やや不安ですね。気弱なキャラクターからずっと抜け出せないような気がします。
それでは困るんですけどね。
2008/07/07(Mon) 22:25 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
拝見させていただきました。
もっと詳しくしてほしいです!!
人物調べが宿題なんです(泣)
2009/01/04(Sun) 19:50 | URL  | リョウ #-[ 編集]
さつま人国誌
リョウさん

拝見していただき、有難うございます。
もっと詳しくとのことですが、私の新聞連載「さつま人国誌」でかなり詳しく書いております。
左のリンク欄をクリックすれば、小松関係の記事が少なからずありますので、ご参照下さい。
2009/01/05(Mon) 00:17 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
小松の亡くなった場所
 帯刀さんの亡くなった場所がとっても気になっています。最近、大阪の新聞に載ったのですが、慶応4年5月~7月まで大阪府の知事をしておられたのですね。その縁で、大阪で治療されたのでしょうか。もし、自宅療養なら、大阪の自宅はどちら・・?大河のように、病院で亡くなったとすると、明治3年なら現在の国立病院のある場所に、ボードウィンのいた大阪府病院があったとのことなので、そちらでしょうか。とすれば、大村益次郎と同じ場所になりますが。
 大村の大きな碑がありますけど、小松の碑もぜひ、建てていただきたいものです。
2009/01/24(Sat) 03:38 | URL  | yuki-uta #-[ 編集]
大阪の新聞
yuki-utaさん、こんばんは。

返事遅れてすみません。

小松が一時期、大坂に在勤していたのはたしかですね。
知事といっていいのかどうかはわかりませんが。
後藤象二郎も同僚だったような。

小松が亡くなった場所は、私もよくわかりません。
候補は、ご指摘のとおり、大坂医学校か、お琴の居宅のどちらかだと思います。

探せば、ほかにもまだ史料が出てくるのではないかと思います。

ところで、小松の記事が載った大阪の新聞って何で、日付はいつでしょうか?
2009/01/27(Tue) 01:13 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
小松帯刀終焉の地
 桐野先生、今晩は。ご丁寧に返信いただきまして、ありがとうございます。感激しています。京都の中村先生の講座に時々お世話になっており、桐野先生のお話をよくお聞きします。

 さて、小松終焉の地、ぜひとも特定できればいいですね。来年の大河に、必ず登場するでしょうし。
 ご指摘の新聞は「大阪日日新聞」、2009年1月23日付けの「澪標」(みおつくし)というコラムです。書かれたのは、大阪府立病院機構副理事長の徳永幸彦先生です。
 住吉大社に初詣され、こちらの島津忠久の誕生石を紹介されています。参勤交代の折には、歴代藩主は必ず、住吉大社に参拝しているとのこと。
 また、篤姫も嘉永6年9月24日堺港に上陸、住吉大社に参拝し、薩摩藩屋敷に5日滞在し、京都を経て江戸へ・・。
 小松に関しては、足の痛みをおして、慶応4年5月から2ヶ月、大阪府2代目知事に就任していて、阪大医学部の前身である大阪仮病院の蘭医ボードウィンの治療を受け、明治3年に没している・・と書かれています。

 先日、滋賀県の草津本陣に行ったら、そちらに大福帳が残されていて、嘉永6年10月に「薩州御姫君一行」が宿泊したと記載されていましたよ。朝、伏見を立って、その夜、草津に宿泊だったようです。篤姫ですね。

 週末に夕陽丘に行きますので、陸奥宗光の墓があったお寺の辺りを探索してきます。ご返信、ありがとうございました。
2009/01/27(Tue) 03:28 | URL  | yuki-uta #-[ 編集]
夕陽ヶ丘
yuki-utaさん、こんばんは。

大阪日日新聞ですね。有難うございます。
ただ、ご存じかと思いますが、住吉大社の逸話は伝承の類で、史実とは別に考えたほうがいいと思います。島津家では信じているようですから、それはそれで尊重しますが。

夕陽ヶ丘の陸奥宗光の墓があった場所あたりが小松の墓所だったと言われているようです。
陸奥は一時期、小松の家来でしたから、興味深いですね。
2009/01/28(Wed) 23:39 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
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