歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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NHK大河ドラマ「篤姫」第28回「ふたつの遺言」

ドラマ進行時点は、安政5年7月から8月頃。

今回は何といっても、タイトル通り、篤姫にとってもっとも大事な2人が相次いで亡くなったことです。
考えてみれば、篤姫も劇的で波瀾万丈の生涯を送っていますね。困難はさらにつづくのですから。

将軍家定が脚気衝心で他界したのは7月6日。享年35。
幕府の公式の発表では8月8日ですが、実際は1カ月ほど前に亡くなっています。
ドラマでも「薨御」という言葉を使っていましたが、適切ですね。家定の伝記「温恭院殿御実紀」も「薨御」と記されています。

一方、島津斉彬が鹿児島天保山の演習ののち寝込み、亡くなったのが7月16日早暁。享年50。
将軍家定の死とわずか10日しか離れていません。


まず、家定の亡くなった7月6日は幕府内の抗争が急転回する微妙な時機でした。
というのは、前日の5日に、不時登城(決められた日以外の登城)を理由に、水戸斉昭はじめ一橋派が隠居や謹慎を命じられております。これで一橋派は一掃されてしまいました。

それに先立つ6月25日には、紀州慶福が「御養君」つまり将軍継嗣として、江戸城で正式にお披露目がありました。
ドラマでもそのシーンがありましたが、気になったのが老中の脇坂安宅(やすおり)です。どこにいたのか、さっぱりわかりませんでした。なぜ気になるかといえば、配役では桜木健一とあったからです。私たちの世代にはなじみですが、往年のスポ根ドラマ「柔道一直線」の一条直也を演じた人です。登場を楽しみにしていたのですが、残念ながら気づきませんでした。

そういえば、彼は大河ドラマ「おんな太閤記」だったでしょうか、豊臣秀次を演じていたような。記憶が定かではありませんが。

また、一橋慶喜と大老井伊直弼の会見の場面。
井伊が「恐れ入ります」ばかり答えていたのは史実ですね。
よくこのシーンを入れたなと思いました。
(矮小ですが、最近の飛騨牛偽装の社長も同じような応対だったような)
かつての大河ドラマ「徳川慶喜」ではもっと詳しくやっておりました。そのときの井伊大老は杉様こと、杉良太郎でしたね。

将軍家定の死因脚気衝心はこの頃の上流階級に多い病気です。白米ばかり食べて、栄養が偏っているからですね。
ちなみに、次の家茂もその夫人和宮も脚気衝心が死因です。

なお、予告編で本寿院が家定が毒殺された云々と叫んでいましたが、たしかにそういう説があります。それは次回にでも書きたいと思います。


薩摩のほうに移ります。

まず、斉彬の臨終場面で久しぶりに、島津忠教(ただゆき、のち久光)が登場していました。
斉彬の遺言を忠教がじかに聞いたのは史実どおりです。
斉彬は忠教の嫡男叉次郎忠徳(のち茂久、忠義)に家督を譲り、末子哲丸を叉次郎の順養子にするよう告げていました。これもほぼ史実通りです。
哲丸は斉彬の最後の男子で、当時わずか2歳です。斉彬はこの子だけはと、4カ月前に世子の届け出を幕府に提出していました。
斉彬の遺言はこの届出を反古にしたものですが、現実問題としては致し方ありませんね。

さらに厳密にいえば、このとき、斉彬は忠教も跡継ぎの一人に考えていたとする説があります。斉彬の側近だった山田為正(壮右衛門)の記録です。
「御遺言ノ趣 山田壮右衛門筆記」がそれです(『鹿児島県史料 斉彬公史料』三所収)。
これには次のように書かれています。

「哲丸様御幼少に付、御跡は周防殿(忠教)、叉次郎殿(忠徳)の間(周防どのは辞せられ、叉次郎殿と定められたりと)、宰相様(斉興公)え伺い奉り候て、御執り究め申し上げ候様、尤も、暐姫様(公の御長女)え御聟養子に遊ばされ、 哲丸様(公の御長男、御年二歳)御順養子に遊ばされたく思し召し候事」

斉彬は跡取りを特定しないで、忠教と叉次郎の間で、ご隠居斉興に相談してどちらかに決めよと言っています。つまり、忠教にも藩主になる可能性があったということです。
しかし、そうしなかったのは、やはりお由羅の子として、藩内の反発を恐れてのことでしょう。その意味では、叉次郎にしたのは順当だったといえそうです。

ただ、叉次郎の家督相続に対しても、条件が2つ付いています。
ひとつは、斉彬が世子とした哲丸を順養子にすること。叉次郎に何かあったら、哲丸が家督を継ぐという意味。
次に、叉次郎は斉彬の長女暐姫の聟養子になること。
叉次郎はこの条件通りにして家督を継ぎますが、哲丸は翌年他界しております。

番組最後の「篤姫紀行」で、斉彬が江戸藩邸にある遺品を篤姫に与えると遺言したというナレーションがありましたが、その典拠も上記の山田の筆記にありますので、ついでに紹介しておきます。

「御道具の内、差し立てたる御品、御城え(御城え云々、天璋院殿)差し上げ候様、尤も、御国許にもこれあり候えども、江戸に多分召し置かれられ候間、一人早々江戸へ差し越し見分け候様」

斉彬は江戸にある道具を篤姫に形見分けしようと、見分のためにすぐ使者を江戸に遣わしたようです。
このくだりは、斉彬の子女へ向けたそれぞれの遺言となっているのですが、家督問題の次に、篤姫のことが最初に書かれているのは、年長とはいえ、篤姫に対する斉彬の配慮を感じさせます。

なお、斉彬は自分の墓のことも遺言しています。それには次のようにあります。

「御石塔は福昌寺・南林寺えも、小さ成る御石塔建て候様(福昌寺へ御骸、南林寺へ御遺髪を産められたり)」

斉彬は島津家の菩提寺である福昌寺だけでなく、南林寺にも石塔を建てるように遺言しています。
南林寺は福昌寺の末寺で、戦国時代の太守島津貴久(大中公)の菩提所です。

これを読んで、ハタと思い当たったことがあります。
以前、福昌寺に斉彬の墓が2つあると書いたことがあります。ここです。
斉彬と英姫の夫婦墓の右後ろにあるもうひとつの斉彬の墓というのは、この南林寺の墓ではないかと。
南林寺は廃仏毀釈でなくなり、現在は松原神社になっています。その一部が南林寺由緒墓地としてわずかに残っていますが、もちろん、そこには斉彬の墓はありません。
南林寺から福昌寺に移転された可能性が高そうな気がしてきました。

今回、ハッとしたことがありました。
斉彬が新式銃を小松帯刀に説明しながら、琉球王の使節の江戸出府か上京の予定があるから、その警固を名目に、新式銃をもった精鋭で上京するつもりだ、と豪語した場面。

斉彬の率兵上京計画があったのか否かは諸説ありますが、私はその名目が何なのかわからないでおりました。その後、西郷が久光の率兵上京のとき、名分がないと批判していることを考えると、斉彬にはそれなりの目算があったのだろうなとは思っていましたが、この手があったのかと。
これに着目したのは、時代考証上、このドラマ始まって以来の快挙かもしれませんね。

じつは、斉彬が病に倒れる直前の9日、琉球王使(王族の伊江王子)を鹿児島城で引見しています。その儀式が無事に終わった直後に、斉彬は倒れてしまうのです。

琉球王の江戸の徳川将軍家への使節は、謝恩使(琉球王の即位の報告)と慶賀使(将軍就任の祝い)の2種類があります。当時の琉球王尚泰の謝恩使はすでに嘉永3年(1850)に派遣されておりますから、安政5年には慶賀使だったことになりますが、遅まきながら家定の将軍就任を祝う使節だったのでしょうか? しかし、その頃には家定は亡くなっているわけで皮肉です。

この琉球使節は当年秋、江戸へ向かう予定でした。慶賀使・謝恩使の江戸出府を案内・警固するのは薩摩藩主の役割です。
斉彬はこれを利用して、率兵上京しようとしていたという解釈だったわけですね。
勉強不足で知らなかったのですが、これは原口泉氏の説なのでしょうか。なかなかだと思います。

もっとも、この琉球使節の鹿児島発の前に、家定の死が鹿児島にも届くはずですから、慶賀使は目的を失い、中止になるでしょうね。そうなると、斉彬は率兵上京の名目を失ってしまうことになり、苦境に立つのは明らかですね。
実際、このときの琉球使節は慶賀使・謝恩使のどちらにもカウントされていないようです(ここです)。やはり中止になったのですね。

最後に、「篤姫紀行」でも紹介された天保山にある史跡の写真をいくつか紹介しておきます。
天保山は天保年間に埋め立てられた区域です。家老調所広郷の仕事でした。その関係で、近年、その一角に調所広郷の坐像も建立されています。

天保山砲台

天保山砲台跡


斉彬陣屋

島津斉彬陣屋跡(現・天保山中学)


図書坐像

調所広郷坐像


新婚旅行

坂本龍馬・お龍新婚旅行の碑(こんなのもあります)

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【2008/07/13 22:35】 | 信長
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御礼
桐野作人
管理人しか見られないコメントをいただいた方

斉彬の琉球使節の政治的利用についての史料をご紹介いただき、有難うございます。
ご紹介いただいた本をさっそく見てみたいと思います。

メルアドがなかったので、この場を借りて御礼申し上げます。



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2008/07/14(Mon) 00:39 |   |  #[ 編集]
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2008/07/14(Mon) 12:14 |   |  #[ 編集]
御礼
管理人しか見られないコメントをいただいた方

斉彬の琉球使節の政治的利用についての史料をご紹介いただき、有難うございます。
ご紹介いただいた本をさっそく見てみたいと思います。

メルアドがなかったので、この場を借りて御礼申し上げます。

2008/07/14(Mon) 19:39 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
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