咋7月23日、京都市上京区堀川通一条東入ルの一角で、表題の建碑の除幕式がありました。
メディアにもいくつか取り上げられました。
京都新聞の記事は
ここです。
読売新聞関西版は
ここです。
京都新聞の記事は写真付きで、不肖小生も写っております。
石碑の場所はどこなのか、わかりやすくいえば、堀川通りにある有名な一条戻り橋を東に渡ってすぐの右手(南側)です。
京都にお住まいの方、あるいは京都に行かれる方で、関心のある方はお尋ねになってみて下さい。
この間、小松帯刀を調べていた私ですが、その京都屋敷がどこにあったのかには重要な関心を払ってきました。そしてその成果を公表したこともあります。
ここです。
今回の建碑が成ったのは、京都で活躍する歴史地理の研究者で、史蹟論を専門のひとつとする中村武生氏を中心とした京都歴史地理同考会のみなさんの努力と奔走、そして土地を提供していただいた宮本さんのご協力のたまものです。
その経緯については、中村氏のブログをご参照下さい。左のリンク欄「
歴史と地理な日々(新版)」をクリックすればご覧になれます。
ここです。
私は島津家や大久保利通関係の史料から、小松邸の場所がここだった可能性が高いのではないかと推定したにすぎませんが、中村氏は幕末期の古地図から、当該の近衛家別邸(近衛基煕旧邸)の変遷を確認するなど、その該博な専門知識によって傍証を積み重ねました。
また、当該地は小松邸跡参考地であるだけでなく、『蜻蛉日記』の著者藤原道綱の母の寓居跡であったり、応仁の乱の最初の合戦地でもあったことも、中村氏は調べ上げています。石碑にはそのこともちゃんと刻まれています。
なお、今回、「参考地」という形で断定を避けました。
それでも、いったん石碑が建ったら、建碑者の意図を離れて、既成事実がひとり歩きします。
「参考地」が「特定地」と認識される可能性もあります。
石碑のもつ、そのような「功罪」の責任の一端も引き受けなければならないと覚悟しているところです。
除幕式には、炎暑のなか、70名もの多数の方が駆けつけていただきました。
私は主催者ではありませんが、とてもうれしく、感謝しております。
当ブログで事前に告知しようかとも思っていたのですが、中村氏から私有地と公道のスペースを考えると、多数列席していただくだけの余裕がないとのことで、告知致しませんでした。
もし、事前に知っていたら、駆けつけたのにという方々がおいででしたら、お詫び申し上げるとともに、そのような事情があったことをお汲み取りいただきたく。
当日の除幕式の様子を写真でご紹介しておきます。
除幕を待つ石碑
除幕式に駆けつけた方々
これが石碑です
石碑の説明版。総ルビですよろしければ、下記をクリックして下さい。
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