南日本新聞連載「さつま人国誌」第69回
―氷を作り、送り火も見物―連載が更新になりました。
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また小松ネタです。最近、それしかないのかと言われそうですが(笑)。
先日、京都の堀川一条にあった近衛家の堀川屋敷跡近くに小松帯刀の京都邸参考地の建碑が成ったことを書きました(
ここ)。それで、鹿児島の読者にも、その紹介を兼ねて書きました。
この堀川屋敷が「
御花畑」(御花畠とも)と呼ばれていたことは、過去にも書いたことがあります。
ここです。
名前の由来はわかりませんが、庭に一面花が咲きほこっていたのか、あるいは薬草園だったのかもしれません。中世の近衛邸(「
近衛殿」と呼ばれた、現・同志社大学新町校舎)が優美な糸桜があったので、別名、「
桜御所」と呼ばれていたように、一種の雅称なんでしょうね。
この「
御花畑」にまつわる出来事を、2、3書いてみました。
ひとつは、小松が氷を作って、大久保利通にも振る舞おうと誘った件です。
これは誰かから借りた製氷機を使って作ったもので、幕末に製氷機が使用されたことが確認できる貴重な事例だと思います。
松平春嶽が輸入した製氷機を所有していたそうですが、小松は誰から借りたのでしょうか?
あと、小松の京都邸の場所を推定するにあたって役立つ情報も含まれています。小松が「
御花畑」は大久保邸からは「遠方」だと書いているのがそれです。大久保邸は寺町石薬師だと考えていいと思います。
そうであれば、かつて小松邸の推定地のひとつとした「
近衛殿」は「遠方」だったとは思えません。堀川一条のほうがずっと「遠方」ですから。
同じ近衛家別邸でも、「
御花畑」推定地としては、堀川屋敷のほうが「
近衛殿」より相対的に妥当だといえそうです。
あと、慶応3年(1867)のお盆に、小松邸の二階に在京薩摩藩の要人たちが集まって、「
大焼火」見物をしています。「
大焼火」とは、もちろん五山の送り火のことです。現在は8月16日に行われますが、当時は、旧暦の7月16日だったのですね。
小松邸は二階建てだったことがうかがわれます。
余談ですが、先日の建碑の除幕式のとき、挨拶させられ、この「
大焼火」の逸話を紹介しました。そのとき、「大文字焼き」と何度か連呼したようで、あとで参列者の方幾人かから「あれは送り火というんだ」とお叱りを受けました(汗)。
京都にお住まいの方は決して「大文字焼き」とは呼ばないそうで、そう呼ぶのは外部の人だけだそうです。京都に5年も住んだことがあるのに、迂闊でした。おっと、こんな過去がばれたら、その無知ぶりにさらにお叱りがありそうで(爆)。
次回から、延び延びになっている西郷隆盛の話題を書くつもりです。
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