歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第70回
―榎本武揚釈放、英断下す―

連載が更新になりました。
左のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすれば、ご覧になれます。

今回は、西郷隆盛を取り上げました。
あまりにも有名な人物なので、取り上げるのがかえって難しいのですが、あまり知られていないことを書こうと思いました。

明治5年(1872)、榎本武揚など箱館戦争の捕虜たちが釈放されることになった背景を書きました。
榎本といえば、箱館戦争における黒田清隆との友情が有名で、黒田はその後も榎本たちの釈放を働きかけました。
そのため、その釈放が実現したのは黒田の力が大きいと思われています。
もちろん、黒田の奔走がなければ実現しなかったのは事実ですが、その背後には、この問題が一種の外交的な課題になっていたという事情がありました。

榎本は蝦夷島政府の首班であり、その独立を承認するよう諸外国に要請しました。しかし、明治政府のてまえ、各国は中立を守ることにしたので、榎本の要請は実りませんでした。
でも、このことにより、榎本の名前は各国にも知られるようになり、実際、榎本たち捕虜に対して寛大な処分をするよう、アメリカの海軍司令官が明治政府に要請していたほどです。

つまり、榎本たちの処分は単なる内乱処理という国内問題ではなくなっていました。
西郷はその点を重視し、アメリカの南北戦争における北軍政府が南軍側にとった寛大な処置に倣って、長州閥、とくに木戸孝允の反対を説得したうえで、榎本たちを釈放する決断を下しました。

このことはあまり知られていないのではないかと思います。
分量の関係で触れられませんでしたが、江戸無血開城との共通性が見られる気がします。
この一件も国内問題ではなく、英国公使パークスが敗者に寛大なことが文明国の証であり、恭順の意を示している徳川慶喜に苛酷な処分をすれば、欧米各国は維新政府を非難するだろうと申し入れています。
西郷と勝海舟との談判の背後には、欧米諸国の圧力という外交問題が潜んでいました。

江戸無血開城も榎本たちの釈放も、明治政府の国際的な関係に関わることだと西郷が認識していたのは重要だと思います。
また、西郷が戊辰戦争をアメリカの南北戦争と対比して参考にしているのも面白いですね。

次回も西郷のことを書く予定です。

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【2008/08/09 12:02】 | さつま人国誌
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