歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

NHK大河ドラマ「篤姫」第32回「桜田門外の変」

ドラマ進行時点は、安政6年(1859)11月頃から同7年3月3日。
桜田門外の変のときはまだ安政7年で、3月18日から万延に改元されます。

オリンピックの柔道が気になりましたが、こちらも「役割」を果たさなければならないもので、BSではなく地上波で見ました(笑)。

今回は桜田門外の変というクライマックスを中心に、咸臨丸や勝麟太郎の登場、誠忠組の結成など、見どころが多かったですね。

まず、咸臨丸の一件です。
将軍家茂が咸臨丸の太平洋横断に非常に関心を示して、関係者を引見することになり、家茂に天璋院が同行しました。井伊大老が同座し、軍艦奉行の木村摂津守喜毅(1830~1901)と勝麟太郎(1823~99)の2人が祗候しました。

まず、咸臨丸の太平洋横断の目的ですが、これは安政5年(1858)6月に調印された日米修好通商条約の批准式をワシントンで行うことになったため、その使節団派遣の随行として咸臨丸が渡航することになりました。

勝の役職について。
ドラマでは、木村が勝を軍艦操練所教授方頭取と紹介していたでしょうか。それならほぼ正確です。幕府の人事記録である『柳営補任』によれば、勝はこの頃、「大御番白須甲斐守組、御軍艦操練所教授方頭取」でした。一応、大番組に属していたんですね。
名乗りが麟太郎という通称だったのも正確です。勝安房守と名乗るのは軍艦奉行となった元治元年(1864)からです。
少しおかしかったのは、木村と勝の年齢でしょうか。木村が勝よりもずっと爺さまに見えましたが、木村は31歳、勝は38歳と、勝のほうが年上です。木村は天璋院より5歳年上にすぎないのに、かなり年上に見られて可哀相でしたね。

肝心な点ですが、この対面の儀式はフィクションでしょう。
もっとも、これに似た儀式はありました。木村や勝など遣米使節の正使・副使(6人か)が城中西ノ丸に召し出され、桔梗の間で井伊大老はじめ老中列座のなか、「亜墨利加国え御用の為、差し遣わされ候間、用意致すべく候」と申し渡されています(『木村摂津守喜毅日記』)。
おそらく、この件を膨らませたものでしょう。
*なぜ江戸城本丸ではなく、西ノ丸での対面だったのか、よくわかりません。本丸が焼けるのは文久2年だったような?

余談ながら、勝を演じた北大路欣也はますます貫録が出てきましたが、最近はどうも白戸家のおとうさん犬のイメージが強くて、そちらを思い出してしまうのが何とも(爆)。
でも、勝はこのドラマの終盤、非常に重要な役割を果たすことになるはずです。江戸開城の一件だけでなく、庶民となった篤姫のその後についても。

その後、天璋院がジョン万次郎と対面しました。
万次郎が尚五郎の思いを告げたことなどどうでもよいのですが、ソーイングマシン、つまりミシンを天璋院に贈っていました。
これは得たりというもので、私もかつて紹介したことがあります。ここです。
万次郎がペリーが幕府に贈ったものが、ホコリを被っていたのを勝が見つけ出したと述べていました。
勝が見つけたかどうかは定かではありませんが、ぺりーからのプレゼントだったのはたしかです。

ペリーの2回目の来日のときですが、『温恭院実紀』安政元年(1854)2月17日条に「亜墨利加献上物」のリストがあります。ペリーからの贈り物のリストです。蒸気車一輌とかエレキトル、テレガラーフ(テレグラフ)などのほか、「御台様え」として「鏡台類一式」とあります。
これがミシンだったのではないかと言われています。

私もこれを上記「さつま人国誌」で紹介し、篤姫に宛てたものだとしましたが、よく考えてみると、この時期、将軍家定には御台所はいません。継室一条氏(2人目の夫人)は嘉永3年(1850)に他界しています。また篤姫が入輿するのは安政3年ですから、ちょうど御台所の不在期にあたっています。
したがって、このミシンがホコリを被っていたというのは、なかなか面白い演出だと思いました。


一方、薩摩側です。
前回の当欄で、藩主島津茂久の諭書の一件が描かれていないと書いたのですが、次回予告を見ると、今回描くということでしたので、その部分は削除しました。

前回も書きましたが、今回も藩主は島津茂久ではなく、忠義でしたね。
久光は前名の忠教をちゃんと史実通り使っているのに、この一貫性のなさは何なのでしょうか? 茂久はなじみがないという理由は通りません。忠教のほうが茂久よりももっと知られていませんから。
ちなみに、将軍家定も前名の家祥と家定を使い分けていましたよね。

何より、脱藩突出しようとしている大久保・有馬らに与えられた藩主の諭書の署名は「源 茂久」となっていますよ。このことからも、忠義名乗りとの食い違いは際立ちますね。

さて、大久保・有馬らが突出しようとしていることを忠教に知らせたのは小松帯刀になっていました。
本当は藩主茂久の側近で、おそらく誠忠組の一員でもあった谷村愛之助昌武の注進によるものです。
谷村昌武は配役には名前がありましたので、古寺に集結している突出組に大久保が諭書を持参したとき、もう一人同行していた人物がおそらく谷村だったのではないかと思います。

ところで、大久保が諭書を読み上げたのち、これから「誠忠組」と名乗ろうと叫んでいました。
これは明らかにフィクションです。
彼らが当時、誠忠組とも精忠組とも名乗った形跡はありません。「盟中」とかいう表現はあるので、結社であるという認識はあったと思いますが、固有名詞を付けていません。

なお、ドラマでは「忠組」を採用していました。これは諭書に「忠士之面々江」とあることからとったのはその通りです。

でも、どちらかといえば、「忠組」のほうがなじみです。
これは、この諭書を写し取った大久保の日記には「忠士面々中」とあることに由来するのではないかと思います。

どちらが正しいのかという議論がありますが、どちらも当時使われていません(おそらく明治以降の命名です)から、どちらも正解ではありません。

諭書を受けて大久保たちが血盟書を作成しようとし、最初の名前を誰にするという有馬の問いに、大久保が西郷を示唆しました。
これは現存している「同志姓名録」の筆頭に「大嶋渡海菊池源吾」とあるのを活かしていますね。うまい演出だったと思います。

桜田門外の変を、大奥での桃の節句との対比で描いていたのはなかなか面白かったです。
襲撃した浪士側の放った一弾が井伊に命中していました。
かつてはそんな描かれ方をしなかったと思います。合図の一弾が井伊に命中したという説は最近出てきたように思います。不勉強でよく知らないのですが、誰の説なんでしょうか?

次回はいよいよ和宮の登場ですが、堀北真希のカツラはちょっと変な感じでしたが……。

よろしければ、下記をクリックして下さい。
人気ブログランキング

スポンサーサイト

【2008/08/10 23:32】 | 篤姫
トラックバック(1) |

桜田門外ノ変
板倉丈浩
いつもお世話になっています。こんばんは。

>合図の一弾が井伊に命中したという説

これが一般的に知られるようになったのは、吉村昭氏の小説『桜田門外ノ変』からじゃないかと思います↓
http://momota1192.at.webry.info/200808/article_3.html

もっとも、吉村氏は『人物叢書 井伊直弼』『水戸市史』などを参考にしているようなので、そちらですでに書かれていたのかもしれません(未確認です)。

井伊直弼の貫通銃創
桐野作人
板倉丈浩さん、こんばんは。

ご教示有難うございます。
それで、吉田常吉『井伊直弼』(人物叢書、1963年)を見てみました。それには、次のように書かれています。

「藩医岡島玄達が主君の遺骸を診察した時、太股から腰に抜ける貫通銃創を報告しているから、誰れかが一発発射し、これが命中したことは動かせない」

吉村昭氏よりだいぶ前から狙撃説はあったようですね。


コメントを閉じる▲
コメント
この記事へのコメント
桜田門外ノ変
いつもお世話になっています。こんばんは。

>合図の一弾が井伊に命中したという説

これが一般的に知られるようになったのは、吉村昭氏の小説『桜田門外ノ変』からじゃないかと思います↓
http://momota1192.at.webry.info/200808/article_3.html

もっとも、吉村氏は『人物叢書 井伊直弼』『水戸市史』などを参考にしているようなので、そちらですでに書かれていたのかもしれません(未確認です)。
2008/08/11(Mon) 21:27 | URL  | 板倉丈浩 #/2jzPtOA[ 編集]
井伊直弼の貫通銃創
板倉丈浩さん、こんばんは。

ご教示有難うございます。
それで、吉田常吉『井伊直弼』(人物叢書、1963年)を見てみました。それには、次のように書かれています。

「藩医岡島玄達が主君の遺骸を診察した時、太股から腰に抜ける貫通銃創を報告しているから、誰れかが一発発射し、これが命中したことは動かせない」

吉村昭氏よりだいぶ前から狙撃説はあったようですね。
2008/08/13(Wed) 00:40 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
コメントを投稿
URL:

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
冒頭少しだけ見そびれましたが本日の『篤姫』を。  ちょうど幾島が去ってゆくところ...
2008/08/11(Mon) 08:09:54 |  旅じゃ.com
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。