歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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大乗院寺社雑事記

以前、臨川書店の増補史料大成シリーズの60%オフセールを書いた(12/16)。そのときに注文した史料が届いた。

1,大乗院寺社雑事記 全12冊
2,親長卿記 全3冊
3,宣胤卿記 全2冊 付:親長卿記補遺、宣胤卿記補遺
4,山槐記 全3冊


以上である。
じつをいえば、私の守備範囲とはほとんど関係ない本ばかりだ。1~3は織豊期よりだいだい1世紀も前の史料だ。4に至っては源平争乱時代である。
何というか、史料名に惹かれて買ってしまった面もある(爆)。それだったら、『蔭凉軒日録』も有名だけに欲しかったな(爆)。「凉」は「にすい」なので注意。
これだけ散財するくらいなら、『新修徳川家康文書の研究』第二輯を買ったほうがよかったかもしれないな。

一、二史料の解説をば。
1,は藤原氏の氏寺、南都興福寺の門跡寺院、大乗院に関わる記録である。興福寺には、近衛流の一乗院と、九条流の大乗院という二大門跡寺院があった。のちに将軍となった足利義昭が覚慶という名で門跡だったのは一乗院で、近衛家の猶子という形での入室である。
で、1,は大乗院27代門跡尋尊の日記(「尋尊大僧正記」)を中心とした史料である(ほかに28代政覚、30代経尊の日記も含む)。
興福寺の法会に関する記事を中心に寺院の細々した出来事や、世間の噂話や芸能まで話題が幅広い。政治的には、応仁の乱の勃発や、管領細川政元が自分で擁立した将軍足利義材(のち義稙)を廃し、将軍義澄を擁立したいきさつなどが詳しい。

山槐記など

4,は平安末期の公家、中山忠親の日記。忠親は内大臣だった。内大臣に任官することを「任槐」というように、中山の「山」と内大臣の「槐」を組み合わせた日記名である。
玉葉』『兵範記』などとともに、源平争乱とくに平家の興亡を知る根本史料のひとつである。あっ、『兵範記』を注文するのを忘れていた。
そういえば、『山槐記』には薩摩島津氏の祖、島津忠久の記事もあったはず。あとで調べてみよう。

書棚を飾るには恰好の箔付けになるものの、いつか役に立つ日が来る史料かどうかはなはだ疑問ではある。不必要な本まで蒐集してしまう癖が治らない。まさに「病膏肓に入る」だな(爆)。


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【2006/12/27 22:40】 | 新刊
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