歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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日次記です。

8月13日(水)乙酉、天晴
共著本の校正に四苦八苦。差し替え分原稿の構想がまとまらず。ほかにも微調整すべき部分、多々あり。頭を抱えたまま、別用をせねばならず、苦吟。
ここ数日、ある論文コピーを探しているが、まだ見つからない。連作もので、心当たりのところは全部探したが出てこない。途方に暮れる。どこに紛れ込んでいるのだか……。

8月14日(木)丙戌、天晴
篤姫の江戸バスツアーの下見の日程確認の電話あり。
夏場の下見は気が重い。はあ。

午前中に何とか連載原稿を脱稿。最初の構想から視点を変えた。よかったのか悪かったのかわからない。

昼前、都内大手町へ。今和泉島津家の縁者の方と昼食を兼ねて懇談。
商社マンとして世界を股にかけた方で、話がとても面白い。
今和泉家では、男が料理を作る伝統があったという話。
祖父が酒寿司(鹿児島特有の寿司)を作っていたそうな。

あと、薩摩藩における鉱山経営の話も拝聴。
地質学を専門にされているらしく、その方面の話がとくに興味深かった。鹿児島の菱刈金山の金産出量は佐渡金山より多かったという話を聞く。
確認してみる必要があるが、本当なら意外な事実である。

ほかにも、話題が豊富な方で、時間が経つのも忘れるほど飽きなかった。
貴重な出会いだった。

猛暑だったのと、昼間からビールを呑んだせいか、夕方以降はバテてしまった。

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【2008/08/15 09:05】 | 日次記
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調所
お早うございます。私も笑左衛門の遺骨を鹿児島に里帰りさせる時に菱刈・永野あたりをうろうろしたのですが、その時の山ヶ野金山パンフレットには最近のデータとして、金産出量一位・菱刈121トン 二位・佐渡82.9トン 三位・山ヶ野80トン と出てます。また、永野で出会った老人は先日も台風のあと、川でとじ金(鉱石の中に金粒が詰まってるもの)を拾ったと申しておりました。

菱刈金山
桐野作人
調所さん、こんにちは。
佐渡金山は明治初年に閉鎖されたような記憶がありますが、菱刈金山の産出量には明治以降の産出分も含まれているのではないでしょうか。
明治以降、金の析出技術が進歩したことで、江戸時代よりはるかに効率的に金を産出できたのはないかという気もします。
それでも、佐渡金山を上回っているというのはすごいことで、もっと名前が知られてもいいはずですね。
その方の話によると、菱刈金山はまだまだ埋蔵量が多く、100年くらいは掘れるとのことでした。串木野はもう枯渇したそうですが。



調所
佐渡は現在取ってないのですか。ご教示有難うございます。では明治以降の分でかなり差をつけたんでしょうね。その老人も、先祖は大分から金山掘りにやって来た者で、江戸期に単独鉱山ではなく薩摩全体で佐渡より多かったのだと自慢しておりました。


ばんない
「菱刈金山」自体の歴史は1980年代になってからじゃなかったでしたっけ。
あの相場師・故是川銀蔵氏とも関係があったみたいですね。ただ、金山の持ち主の某元財閥の方が上手だったようですが。

佐渡は今でも観光客イベントで砂金取り体験ショーはやってるようですが、なかなか取れないそうで(苦笑)

江戸時代から
桐野作人
ばんないさん、こんばんは。

金山は知らないもので、いろいろ有難うございます。
住友金属が経営する菱刈金山は比較的最近になって操業したようですが、江戸時代中期あたりから一応あったみたいですね。
安易なネット情報ですが、

http://www.pref.kagoshima.jp/pr/gaiyou/itiban/shizen/hishikari.html

今和泉家ネタ
アリア・ヴァレリ
今和泉家当主の島津忠厚の出自は薩摩藩七不思議のひとつに思えますが・・・

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この記事へのコメント
お早うございます。私も笑左衛門の遺骨を鹿児島に里帰りさせる時に菱刈・永野あたりをうろうろしたのですが、その時の山ヶ野金山パンフレットには最近のデータとして、金産出量一位・菱刈121トン 二位・佐渡82.9トン 三位・山ヶ野80トン と出てます。また、永野で出会った老人は先日も台風のあと、川でとじ金(鉱石の中に金粒が詰まってるもの)を拾ったと申しておりました。
2008/08/15(Fri) 10:22 | URL  | 調所 #-[ 編集]
菱刈金山
調所さん、こんにちは。
佐渡金山は明治初年に閉鎖されたような記憶がありますが、菱刈金山の産出量には明治以降の産出分も含まれているのではないでしょうか。
明治以降、金の析出技術が進歩したことで、江戸時代よりはるかに効率的に金を産出できたのはないかという気もします。
それでも、佐渡金山を上回っているというのはすごいことで、もっと名前が知られてもいいはずですね。
その方の話によると、菱刈金山はまだまだ埋蔵量が多く、100年くらいは掘れるとのことでした。串木野はもう枯渇したそうですが。
2008/08/15(Fri) 10:41 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
佐渡は現在取ってないのですか。ご教示有難うございます。では明治以降の分でかなり差をつけたんでしょうね。その老人も、先祖は大分から金山掘りにやって来た者で、江戸期に単独鉱山ではなく薩摩全体で佐渡より多かったのだと自慢しておりました。
2008/08/15(Fri) 11:22 | URL  | 調所 #-[ 編集]
「菱刈金山」自体の歴史は1980年代になってからじゃなかったでしたっけ。
あの相場師・故是川銀蔵氏とも関係があったみたいですね。ただ、金山の持ち主の某元財閥の方が上手だったようですが。

佐渡は今でも観光客イベントで砂金取り体験ショーはやってるようですが、なかなか取れないそうで(苦笑)
2008/08/15(Fri) 16:16 | URL  | ばんない #kyBjvhlc[ 編集]
江戸時代から
ばんないさん、こんばんは。

金山は知らないもので、いろいろ有難うございます。
住友金属が経営する菱刈金山は比較的最近になって操業したようですが、江戸時代中期あたりから一応あったみたいですね。
安易なネット情報ですが、

http://www.pref.kagoshima.jp/pr/gaiyou/itiban/shizen/hishikari.html
2008/08/15(Fri) 23:48 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
今和泉家ネタ
今和泉家当主の島津忠厚の出自は薩摩藩七不思議のひとつに思えますが・・・
2008/10/22(Wed) 20:25 | URL  | アリア・ヴァレリ #-[ 編集]
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