歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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種子島、鹿児島から帰って、すぐまた京都と名古屋に出張で、更新もままなりません。
とりあえず、簡単な近況報告です。

8月27日(水)天晴
早朝、東京駅から京都へ向かう。
まず八条口から徒歩で、東寺に行く。
先日、「さつま人国誌」に書いた都城一番隊の6人が自害した薬師堂を訪れてみたいと思った。
有名な五重塔や金堂、講堂などを見学したが、肝心の薬師堂は境内の案内図のなかに見つからない。
それで、寺務所で尋ねてみたが、知らないとのこと。
結局、目的を達せられないまま、消化不良で終わった。
あるいは、塔頭のことだったろうか。資料はたくさんあったのに、事前の調査が不十分だったかもしれないと反省。

その後、太秦の広隆寺に行く。
目的はもちろん、アルカイック・スマイルで有名な弥勒菩薩半伽像。
わが国の国宝指定第1号である。
京都に住んだこともありながら、まだ未訪問だった。
弥勒菩薩半伽像は2体ある。あまり有名ではない「泣き弥勒」のほうもなかなかだった。聖徳太子の死を悲しんでいるものとか。

境内に桂宮院もある。
これは八角円堂で、法隆寺夢殿と同じ形だといわれるが、残念ながらこの時期は拝観禁止だった。

広隆寺の近くに木嶋(このしま)神社がある。
別名の蚕の社の名前が有名。
渡来氏族秦氏の氏神のひとつだが、ここで見たかったのは三角形の鳥居。
それは神社の奥まったところにあった。
この不思議な形をした鳥居は、夏至の日の出、日の入りを示すなど自然暦の機能があるという。
それだけでなく、三角形の軸線を伸ばせば、伏見稲荷大社や松尾大社など、秦氏ゆかりの神社と交わるという。
三角鳥居




その後、東福寺に移動して、秋の幕末京都ツアーの下見などをする。

そして、この日の最後は京都国立博物館。
某局の小松帯刀番組取材への協力である。
現在、京博では坂本龍馬展を開催している(月末まで)。
その展示のなかに、小松帯刀のことを書いた龍馬の手紙がある。
閉館後に、その撮影や解説などを行った。
不肖、私が解説者役となったが、やや緊張気味だったかもしれない。

展示中にもかかわらず、取材をお許しいただいたうえに、長時間立ち合っていただいた宮川禎一氏に感謝。
また、一日中、ガイド役をしてくれたHさんにも感謝。

夜は、居酒屋「龍馬」に行き、龍馬・お龍夫妻と再会。最近は毎月会っているような気がする。
宮川禎一氏、中村武生氏らがお越しで、また盛り上がった。


28日(木)小雨
朝10時前に堀川一条の小松帯刀寓居跡に向かう。
ここで、前日の撮影の続きを行う。
ここが小松邸であったことの説明や、この邸での出来事などを紹介する。
薩長同盟の締結の場にもなったことなども話す。
途中から雨が降り出して、メガネのレンズが濡れて、撮影も時間がかかった。

小一時間で撮影は終了し、京都駅に急ぐ。
名古屋に向かう。
栄・中日文化センター講座「関ヶ原合戦を読み解く」第5回に出講。
今回のテーマは「徳川秀忠の遅参
秀忠が信州上田城攻めにこだわったために決戦に間に合わなかったという通説がおかしいことを指摘するのが眼目。
私の講座にしては珍しく、史料が少なかったためか、10分ほど残して終わった。
その分、質問時間を取ったところ、たくさん質問が出てよかった。
みなさんの関心のほどがうかがえて有意義だった。

いよいよ、10月講座
「本能寺の変を読み解く―信長・光秀・利三の葛藤―」
が始まります。
詳しくはここをご覧下さい。「10月スタートの新講座はこちら」をクリックし、【歴史】のカテゴリーのなかに私の講座の詳しい内容がご覧になれます。
10月から第4木曜日午後1時から6回開催です。
東海圏にお住まいで興味のある方はご参加下さい。

それから、知り合いの受講者数人とお茶したのち、帰京。
大雨のため、新幹線のダイヤが大幅に乱れていたが、個人的にはそれほどストレスもなく帰りつくことが出来た。

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【2008/08/28 21:25】 | 日次記
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今回もお疲れ様でした。
木暮兼人
徳川秀忠が遅参した理由について
ドラマや小説で定説となっていたことが
実はある一方的な史料しか根拠がない
ということを桐野先生は伝えかったのだな、と感じました。
このあまりにも有名なエピソードを記している
史料があまりにも残っていないことも衝撃的ではありましたが・・・

秀忠側の徳川家の史料なので、いままであまり深く考えられずに鵜呑みにされてきたのでしょうか。

東京まで無事にご帰宅されて幸いです。
あの後の名古屋は大変ひどいことになってしまいましたので・・・
今年の夏は何が起こるかわかりません。



無事帰京
桐野作人
木暮兼人さん、こんにちは。

一昨日はお疲れさまでした。
帰りの新幹線は1時間以上遅れていたので、チケットを早めのものに変更したのが幸いしました。途中で止まったり減速することなく、東京に着きました。

それにしても、あの日夜、栄が水没したというのは本当なのでしょうか? 恐ろしいですね。

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この記事へのコメント
今回もお疲れ様でした。
徳川秀忠が遅参した理由について
ドラマや小説で定説となっていたことが
実はある一方的な史料しか根拠がない
ということを桐野先生は伝えかったのだな、と感じました。
このあまりにも有名なエピソードを記している
史料があまりにも残っていないことも衝撃的ではありましたが・・・

秀忠側の徳川家の史料なので、いままであまり深く考えられずに鵜呑みにされてきたのでしょうか。

東京まで無事にご帰宅されて幸いです。
あの後の名古屋は大変ひどいことになってしまいましたので・・・
今年の夏は何が起こるかわかりません。

2008/08/30(Sat) 00:05 | URL  | 木暮兼人 #-[ 編集]
無事帰京
木暮兼人さん、こんにちは。

一昨日はお疲れさまでした。
帰りの新幹線は1時間以上遅れていたので、チケットを早めのものに変更したのが幸いしました。途中で止まったり減速することなく、東京に着きました。

それにしても、あの日夜、栄が水没したというのは本当なのでしょうか? 恐ろしいですね。
2008/08/30(Sat) 19:14 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
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