歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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いささか旧聞に属するが、先月下旬、種子島での鉄砲伝来シンポジウムに出席したときの報告を簡単にしておきます。

鹿児島出身ながら、種子島に行くのは初めて。
羽田を発ったのは8月22日のこと。種子島へは直航便がないので、鹿児島で乗り換える。
折から天候不順で、鹿児島から種子島への便は飛ばないかもしれないとおどかされた。
でも、杞憂で、飛行機は飛びました。
50人ほど乗れるプロペラ機です。窓から主翼とプロペラが見える。じつをいえば、ちょっと不安だった(笑)。

その夜は、西之表市の副市長さんと、地元の研究者鮫島安豊氏に宴席を張っていただく。
パネリスト仲間である太田浩司氏(長浜歴史博物館学芸員)と、中村博司氏(自転車博物館事務局長)と同席。
お二人は国友と堺という2大鉄砲産地からのゲスト。太田氏とは以前、安土でお会いしたことがあるので、旧交を温めた。
宴席とはいい条、翌日のシンポの打ち合わせばかりか、かなり専門的な話になった。

翌23日午前中は近くの史跡と鉄砲館を拝観。
種子島家の菩提寺、本源寺にある墓所をお詣り。種子島時堯やカタリナ夫人(永俊尼)のお墓などがあった。カタリナ夫人は最後まで棄教しなかったキリシタン。薩州島津家の縁者でもある。
赤尾木城の近くの高台に時堯の銅像が見える。登ろうとしたとき、突然のスコール。すぐ近くの鉄砲館に避難した。
有名な初伝銃の複製などを見学した。
赤尾木城はそのうち行けるかと思ったが、結局、行けずじまいだった。残念。

シンポジウムは西之表市市民会館で開かれる。
友人の宮島孝男氏(鹿児島県議会議員)と久しぶりに会う。今回のコーディネーターである。彼は離島振興に非常に熱心だ。
原口泉氏(鹿児島大学教授)とも再会。言わずと知れた大河ドラマ「篤姫」の時代考証担当である。
パネラーは、鹿児島本土の原口氏、堺市代表の中村氏、国友村代表の太田氏、種子島代表の鮫島氏に、私が加わるというもの。果たして、私の役割は何だと思うことしきりだった。

シンポジウム「鉄砲伝来の歴史を生かした島づくりをめざして」が始まる。
パネラーに課せられていたのは、鉄砲との関わりと、島への具体的提言である。

前列には、西之表市長はじめ、市の幹部の方々、それに種子島家の方々もお見え。
宮島氏の軽妙な司会で始まる。
パネラーのみなさん、鉄砲について、それぞれ一家言をお持ちだった。
私はというと、鉄砲との関わりといっても、史料上のそれしかない。それで、鉄砲が初めて実戦で用いられた黒川崎合戦での通説に疑問を呈したことと、長篠合戦での鉄砲の使い方と鉄砲が戦術や社会に与えた影響などについて語る。
太田氏は国友村の経験をまじえて、うんうんと相づちを打つような具体的提言をされるし、中村氏は自転車と種子島についてユニークな提言をされる。原口氏はこれまた得意の話術で観客を魅了。

私は具体的提案など思いつかず、結局、種子島時堯は鉄砲伝来で知られるけど、それだけではない別の面を語る。時堯は上京して将軍義輝に拝謁しており、「永禄六年諸役人附」に名前があり、在国衆として将軍の直臣待遇を受けていることを紹介。
種子島氏は中央とのパイプを活かすしたたかな面をもっており、これが島津氏との関係においても有利に作用したのではないかと思われる。交通が不十分な時代に、当主みずから上京したのは、南九州では時堯と私の郷里の薩州島津家(実久と義虎)だけだ、そういう勇気としたたかさを学ぶべきだといった抽象的な話しかできなかった。

その後、村井章介氏(東京大学大学院教授)の講演会があった。
村井氏は中世対外関係史が専門で、鉄砲伝来年が定説だった天文12年(1543)ではなく、前年の11年だと唱えており、現在、大方に受け容れられている。
演題は「鉄砲伝来研究の現在」というもので、鉄砲伝来の多元ルート伝来説批判が中心で、日本だけでなく、ヨーロッパ、中国、朝鮮の史料を駆使した実証的なものだった。

夜はホテルの大広間で、盛大な歓迎パーティが開かれた。
全国から20数団体の鉄砲隊が一同に揃う。みなさん、お揃いの出で立ちで勇ましい。
種子島家の方々にもご挨拶。新聞連載を読んでいただいているそうで恐縮する。またご当主の姉上は研究者で、幕末種子島家の女当主松寿院(篤姫の伯母)を執筆中とか。連載拙稿で書いた、本能寺に島津義久後室(種子島氏)の供養塔があるのをご存じなく、一度訪れてみたいとの仰せだった。
ほかにも、作家の神坂次郎氏もお見えだった。

翌24日、心配された雨もあがり、西之表港近くの広場で、全国火縄銃大会が開かれた。
出店もあって、市民がたくさん集まっている。
参加団体では最北の米沢藩古式砲術保存会の実演から始まった。
この方々とは飛行機で一緒で、空港からホテルまでも同行した。
以前、鉄砲の実射に立ち合ったことはあったが、空砲とはいえ、やはり轟音は凄まじい。
2、3の団体の実演を見学したのち、島の探訪に出かける。

一昨日の夜、パネラーの太田・中村の両氏が私より先に入島して島の見学をしたと聞いていたので、私が羨ましいと連発していたせいか、村井章介先生とご一緒で、若手の市職員が島を案内してくれるというのだ。有難いこと、このうえない。
とくに、最南端の門倉岬(ポルトガル人を乗せた王直の倭寇船が漂着したところ)と、その近くの前之浜にある英国帆船ドラメルタン号漂着の場所、そして種子島宇宙センターに行くのが楽しみだった。

何といっても、村井先生と一日中、ご一緒できるなんて僥倖である。
先生は穏やかな方で、私のバカ話にもお付き合いして下さる。また、種子島氏と豊後大友氏の交流など、あまり知られていないお話もして下さった。
市職員の方も親切で、私のわがままな注文をほとんど聞いてくれた。
上記の見学も満喫できたが、ほかにも、赤米を作っている宝満神社、宝満の池など、見どころが多かった。弥生時代の有名な広田遺跡も見学できた。
とくに、砂鉄がある砂浜はすごかった。一番多い砂浜ではなかったが、それでも、砂浜一面がまっ黒で、近づくとキラキラ粒子が反射している。
これが鉄砲を製造できた秘訣だと実感する。

種子島家墓所
種子島家の墓所
パーティ
全国の火縄銃愛好団体が集まったパーティー
鉄砲実演
鉄砲実演会
行列
南蛮行列で行軍する根来鉄砲隊
門倉岬
門倉岬の鉄砲伝来碑
赤米
赤米が稔っていた



ロケット
種子島宇宙センター
砂鉄
砂鉄で覆われた砂浜




帰りは高速フェリーだった。
種子島家ご当主の奥様と同船し、貴重な史料もいただいた。多謝。
佐多岬の灯台を海から見られたのは感激だった。

当日は鹿児島泊。
南日本新聞社の方々と、以前からメールでやりとりしていた丹羽謙治氏(鹿児島大学法文学部准教授)にもお会いできて、盛り上がった。丹羽氏は幕末の薩摩藩士木脇啓四郎の史料を発掘し刊行されている。

翌25日はJA鹿児島農協中央会に招かれて講演会。
郷土の先人、小松帯刀の生き方に学ぶ
250名ほどの幹部の方々に、どの程度役立ったか、はなはだ不安である。

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【2008/09/12 00:25】 | 雑記
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2008/09/12(Fri) 01:02 |   |  #[ 編集]
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