歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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ツアー講師の仕事を終えて、無事帰宅しております。

今回は意外と歩きました。
高齢者が多かったのに、みなさん、頑張りました。

【2日目】
2日目の午前中は木屋町、河原町界隈を歩きました。
まず木戸孝允終焉の地に行きました。
事前に拝観の許可をいただいていたので、庭と建物(1階だけ)の見学ができました。
明治10年(1877)、木戸は明治天皇の大和行幸に随行中に発病して、ここで療養しましたが、明治天皇の見舞いも甲斐なく他界しました。
折しも西南戦争たけなわであり、木戸は「西郷、もう大抵にせぬか」と臨終間際につぶやいたと言われます。
なお、京都にある5つの近衛邸のうち、江戸中期の近衛家煕邸は木戸邸と重なりあっているのではないかと思います。というか、空き家になっていた近衛邸を木戸が拝借したのではないかという気がしますが。詳しく調べたわけではありませんけど、いろんな地図を見ると、そんな気がします。
木戸邸




木戸孝允終焉の地

木屋町の高瀬川沿いには長州、土佐系を中心に史跡がたくさんあります。
木戸邸から御池の長州藩邸跡(桂小五郎銅像も)を見ながら南に下り、四条まで歩きました。
その後、霊山に移動して、霊山歴史館と霊山墓地を見学。
時間と高齢者が多い関係で、霊山墓地は坂本龍馬・中岡慎太郎の墓所まででした。
木戸孝允終焉の地で熱を入れて説明したせいか、木戸と幾松の墓に行きたいという声もありましたが、残念ながら断念。
龍馬墓


坂本龍馬・中岡慎太郎の墓

食事のあと、東福寺に行く。
友人で寺社のガイドをやっているHさんが駐車場で待っていてくれた。
東福寺は紅葉の通天橋が一番の見どころだが、残念ながら、まだ色づいていない。
東福寺の三ノ橋川にかかる、一番下流の臥雲橋で、Hさんから東福寺や三ノ橋の説明をしてもらう。
Hさんは勉強熱心で、寺社には非常に詳しい。須弥山をかたどった「九山八海」の庭で有名な塔頭の霊雲院では、私の拙い説明をフォローしてもらったほど。
おかげで、私も楽だった。

東福寺の目玉は、薩摩藩ゆかりの塔頭、即宗院。
ご住職に事前に連絡してあったので、門前でお迎えしてもらった。
ご住職から、簡単な講話をしていただく。
参加者は偃月橋を渡って即宗院に来たが、偃月橋は慶長6年(1601)に普請されたもの。
「篤姫の足跡とみなさんの足跡が重なっているかもしれませんよ」
というご住職の言葉に、参加者一同、感激の様子。
「歴史は過去のものではなく、現在につながっている」という、とても説得力のある講話だった。
また即宗院の門をすべて開放して下さっていた。
私も何度か訪ねたことがあるが、この門が開放されているのは初めて見た。

境内に入って、九条兼実の月輪邸跡の復元庭園を見学。
さらに奧の墓所を見学した。
中井弘・竹子夫妻、田中新兵衛、奈良原喜左衛門(生麦事件)、道島五郎兵衛(寺田屋事件)、有馬正直(新七の父)などの墓を見学したのち、高台の「東征戦亡之碑」を見学。
西郷隆盛の揮毫した碑と、戊辰戦争における薩摩藩戦死者の名前を刻んだ石碑5基を見学。
みなさん、「こんなのは初めて見た」と、とても興味深そうに見入っていた。

東福寺をあとにして、北隣の泉涌寺に行く。
法堂で説明を受けたのち、奧の孝明天皇陵まで、また歩く。
3日間で、かなり孝明天皇の話をしたが、孝明天皇の功績としては「朝威再興」にあったのではないかと語る。

その後、また歩いて戒光寺墓所にある高台寺党のお墓を見学。
伊東甲子太郎、藤堂平助、富山弥兵衛などについて説明する。
高台寺党の面々は入京してから激変する情勢のなかで、従来の考え方を根本から揺すぶられて、新選組のあり方に懐疑的になってきた、極めて人間臭い集団だったこと。また離脱に際して分裂ではなく、出向のような形をとったために、会津や薩摩藩・公議政体派などあらゆる勢力と八方美人的に付き合う形になった。そのため、幕末の諸勢力の間で極めてリスクの高い処世をしなければならなかったところに、この集団の悲劇があるといった話をした。
私が新選組や高台寺党の話をかなり熱っぽく語ったらしく、あとで「意外だった」とか、「薩摩派なのに、温かさがあった」とかいう感想があって苦笑。

2日目はこうして全日程を終了した。
この日は14.000歩歩いたそうな。

【3日目】
いよいよ最終日。
この日は鳥羽・伏見戦跡の見学である。
その前にまず、2日間積み残した堀川一条の「小松帯刀寓居跡参考地」を見学。ホテルのすぐ近くである。
地主のMさんにご挨拶しようと思ったが、あいにく留守。
じつは初日に、相国寺のそばで偶然お会いして声をかけられ、石碑を見学する旨伝えていたので、そのまま見学させてもらう。

一路、伏見に下る。
途中、墨染の近藤勇狙撃地を少し説明する。
最初の訪問地がいま話題の寺田屋だったので、この間の「騒動」についてかいつまんで説明。
そのなかで、寺田屋遭難者33回忌の記念碑に「寺田屋遺址」という文言があり、それが寺田屋の焼失を示しているという話をしたので、寺田屋に着くと、まず庭にあるその記念碑を確認。
その文字を見つけて感慨深げ。
以前、寺田屋を訪れ管理者の説明を信じて、寺田屋は当時のままだと思っていた方々も多く、あとで聞いたら、かなりショックだったという声があった。

その後、有馬新七らが眠る大黒寺、寺田屋お登勢の墓がある松林寺、薩摩藩邸跡、伏見奉行所跡を見学してから昼食。
午後からは御香宮を見学した。ちょうど秋祭りで、屋台がたくさん出ていた。
御香宮




御香宮の参道

それから一路、鳥羽街道方面に下り、淀の妙教寺に行く。
妙教寺は、鳥羽・伏見の戦いのとき砲弾が本堂を貫通したあとがそのまま残っている。
ご住職から、砲弾が突き抜けた壁や柱、さらにそのときの椎実型の砲弾も見せてもらう。
4代前の住職がこの戦争の痕跡を残すよう遺言したのを、ずっと守っているという話を聞き、一同感激。
なお、この砲弾は幕府軍側が撃った砲弾らしい。
また、新選組の井上源三郎が近くの淀川千両松で戦死したが、その首の埋葬場所について最近、新しい発見があったことを、江戸期の古地図で詳しく説明してもらった。

最後に城南宮に行き、白河法皇の鳥羽離宮の栄華の跡を見学。
鳥羽・伏見の戦いの開戦地となった小枝橋や薩摩藩の大山巌が大砲を据えた秋の山の碑を見学して、すべての日程を終了した。
小枝橋




小枝橋の開戦の碑

連日、10月とは思えない暑さのなか、とにかくよく歩いた3日間だった。
個人的にも運動不足の解消になったようである。
3日間付き合っていただいた参加者と主催者のみなさんに感謝。

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【2008/10/10 21:53】 | イベント
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