歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

南日本新聞連載「さつま人国誌」第80回
―斉彬、城地移転を検討―

連載が更新になりました。
左のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすれば、ご覧になれます。

前回まで「鶴丸城物語」を書いてきましたが、上・中・下の3回分のくくりではとても書ききれないことが途中で判明しました。
それで、今回から「幕末の鶴丸城」というシリーズでつづけます。「鶴丸城物語」の続編という位置づけですが、本当は単なる続きです(苦笑)。上中下ではなく番号にすればよかったと少し後悔してます。
じつは、明治編も書くかどうか迷っております。鶴丸城の放火一件や私学校本部になったこと、西南戦争に巻き込まれて戦場になったことなども書くべきなのかなと思案中です。

それはともかく、今回は島津斉彬が鶴丸城の移転を検討していたという話です。
あまり知られていないかもしれません。
西洋科学や軍事に精通していた斉彬は帰国してすぐ、鶴丸城の立地の不利を痛感したに違いありません。
藩祖家久の決断は平和の時代にはよかったのですが、いざ戦時となれば、たちまち弱点となります。
何せ、元亀年間に禰寝氏の軍船から放った矢が届いたほど海から近かったわけで、その後、名山堀をはじめ、埋め立て工事をして海岸線を外に押し出しましたが、それでも大砲の射程から見れば、大勢を覆すことなどできません。
薩英戦争で藩主父子が鶴丸城から避難しなければならなかった事態を、斉彬はすでに見通していたわけです。

斉彬は国分城移転のため、測量や地図作成などを命じましたが、ほどなく他界しました。
もっとも、仮に斉彬が存命だったとしても、城地移転を実行できたかどうかはわかりませんね。潜在的な反対派である父斉興は健在ですし、城地移転にかかる膨大な経費を考えると、強行できなかった可能性も高いです。

次回は薩英戦争と鶴丸城について書きたいと思っています。

よろしければ、下記をクリックして下さい。
人気ブログランキング
スポンサーサイト

【2008/10/18 12:53】 | さつま人国誌
トラックバック(0) |
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。