歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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第12回「天下布武」の意味

歴史読本12月号の掲載誌が届きました。
書店にも明日あたり並ぶのではないかと思います。

連載も今回で12回目。折り返し点に来ました。
しかし、信長はようやく上洛戦に発ったところです。トホホ。

次回から、だいぶペースをあげる必要がありますね。

今回はサブタイトルにもあるように、「天下布武」の意味についてと、信長の上洛戦に立ちはだかった六角氏との駆け引きについて書きました。


なお、この間、別冊歴史読本や歴史群像などにいくつか書いておりますが、なかなか紹介できずにおりました。
また、いろんな方から著作や論文などをご恵贈されております。
お礼もできずに申しわけありません。

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【2008/10/24 21:36】 | 信長
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『永禄六年諸役人附』について
Tm.
お久しぶりです桐野先生。
中日文化センターでの講座は仕事の都合もあり参加できず、残念この上もありません。
毎回、楽しみに拝読させていただいている「狂乱と冷徹」ですが、今回、気になる点がありました。

それは光秀の出自について、かつて谷口克広氏が『永禄六年諸役人附』を基に光秀が義輝の直臣(足軽衆)であったと考察されていることが紹介されているのですが、同文献については長節子氏(『史学文学』四-一・1962)によって義輝の代と義昭の代の記録が繋ぎ合わせたものであったことが証明されており(※「明智」は後者に属する)、 谷口氏も『俊英 明智光秀』の論考ににおいてその旨、紹介され、光秀(旧)幕臣説の根拠にはならないことを述べられております。

その上でなお谷口氏は、やはり光秀が幕臣であった可能性を否定されていない様ですが、上記のこと僭越ながら指摘させていただきたいと思います。




桐野作人
Tm.さん、こんばんは。

ご指摘有難うございます。

長節子論文は私も持っていましたが、うっかりしたかもしれません。

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『永禄六年諸役人附』について
お久しぶりです桐野先生。
中日文化センターでの講座は仕事の都合もあり参加できず、残念この上もありません。
毎回、楽しみに拝読させていただいている「狂乱と冷徹」ですが、今回、気になる点がありました。

それは光秀の出自について、かつて谷口克広氏が『永禄六年諸役人附』を基に光秀が義輝の直臣(足軽衆)であったと考察されていることが紹介されているのですが、同文献については長節子氏(『史学文学』四-一・1962)によって義輝の代と義昭の代の記録が繋ぎ合わせたものであったことが証明されており(※「明智」は後者に属する)、 谷口氏も『俊英 明智光秀』の論考ににおいてその旨、紹介され、光秀(旧)幕臣説の根拠にはならないことを述べられております。

その上でなお谷口氏は、やはり光秀が幕臣であった可能性を否定されていない様ですが、上記のこと僭越ながら指摘させていただきたいと思います。

2008/10/25(Sat) 00:04 | URL  | Tm. #GDMnerkk[ 編集]
Tm.さん、こんばんは。

ご指摘有難うございます。

長節子論文は私も持っていましたが、うっかりしたかもしれません。
2008/10/26(Sun) 23:17 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
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