歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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先日23日、名古屋の中日文化センターで新しい講座が始まった。
テーマは表題のとおり。

前シリーズの「関ヶ原合戦を読み解く」につづいて、60名以上の受講者が参加されている。講師冥利に尽きるというものである。前シリーズの受講者も相当おいでである。

今回は、本能寺の変をどのように考えるべきか、私見を述べた。その後、この事件は玉石混交の俗説が充満しているだけに、史料批判が重要であることを述べ、当講座でもそれを重視していることをあらかじめ告げた。

それでも、俗説といわれる史料はすべて斬って捨ててよいかといえば、決してそうではなく、一片の真実が含まれていることもあるという、一件、矛盾することも述べた。

今回使った史料は、

フロイス日本史
太田牛一信長記
川角太閤記
甫庵太閤記
織田軍記
明智軍記
老人雑話
綿考輯録
常山紀談
備前老人物語

多くは怨恨説の典拠となっている史料だが、これらを時系列に沿って見ていくと、信長と光秀の葛藤の様子が潤色され、デフォルメされるプロセスがよくわかるとともに、一定の要因に収斂していることもわかった。つまり、

A 家康接待での一件
B 斎藤利三(那波直治も含む)の処遇問題


ヴァリエーションはあるものの、上記の両説を唱える史料が多いことが特徴的である。
この両説は拙著『だれが信長を殺したのか』(PHP新書)とも深く関わっている。
つまり、俗説だからといって、あだやおろそかにできないのである。

そのような趣旨を述べて締め括った。
じつはレジュメには、徳冨蘇峰、高柳光寿、桑田忠親の先達の学説も載せていたのだが、触れる時間がなかった。

次回は「天正8年における信長と光秀」というテーマでやります。

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【2008/10/27 20:20】 | 中日文化センター
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