歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

NHK大河ドラマ「篤姫」第44回「龍馬死すとも」

ドラマ進行時点は、慶応3年(1867)6月から11月頃まで。

ほぼ昨日書いたとおりの展開でしたね。
いやはやまったくです。

わかりやすく描くことと、史実を踏まえることとは決して矛盾しないし、両立できないわけではないと思うのですが、なぜそこまで対立的に考え、前者を優先し、後者を無視するんでしょうかね?

昨日も書いたように、小松帯刀は薩摩藩を代表して、武力討幕の意志を長州藩に伝え、さらに討幕の密勅の請書にも、西郷・大久保と共にその筆頭で署名しています。
小松が討幕を承認していたことはよく知られた史実にもかかわらず、なぜそのことを無視し、史実をねじ曲げてまで描く必要があるのか、私にはまったくわかりません。
今年の大河ドラマに意義があるとすれば、埋もれていた小松帯刀を世に出したことだと思っていましたが、小松のもっとも大事な仕事が歪曲されては小松も浮かばれませんね。

徳川慶喜はとても賢い人で、徳川家の延命と自分の政治生命を維持するためにあらゆる可能性を検討しています。もちろん、武力で討薩できるか否かも厳密に検討し、結果、京都制圧は出来ても、南九州まで攻め込んで薩摩を屈伏させるのは不可能という結論から、武力路線を放棄し、平和的な大政奉還を決断したわけです。

一方、土佐藩の後藤象二郎は大政奉還建白書を提出しても、幕府が受理してくれなければ、それを名分に薩摩藩が武力討幕をするのをよく理解していました。しかも、幕府が建白書を拒絶したときは後藤も討幕に参加するという言質を薩摩側にとられていました。もちろん、言葉だけで実際に後藤がそうしたとは思えませんが、その代わり、後藤が失脚するのは確実で、乾退助など藩内討幕派が台頭するのは明らかでした。

そこへ助け船を出してくれたのはむしろ慶喜で、永井尚志(若年寄)を通じて、建白書を提出するよう後藤に勧めます。後藤はそれで慶喜が建白書を受理するつもりであることを知り、喜んで提出したわけです。慶喜としては、みずから大政奉還をしては、いかにも幕府の失政を認めるようなもので、その体面に関わります。ですから、土佐藩をはじめ諸藩からの進言を受けてという形式的な手続を踏んだだけです。
いわば、大政奉還は「やらせ」芝居だったわけです。

この「やらせ」を百も承知しながら、実のあるものにして王政復古の足固めにしようとしたのが、ほかでもない小松帯刀です。
小松は幕府が大政奉還を大政再委任の道具に使わないようにするために、慶喜に長州寛典、諸侯会議招集、征夷大将軍辞職など5カ条を呑ませて、大政奉還が口先だけでなく、後戻りできないようにしようとしたわけです。

何も大政奉還と王政復古を対立的にとらえる必要はありません。
大政奉還はその基礎、前提にすぎないわけですから。

もっとも、慶喜が大政奉還したことにより、その討幕の有力な名分が失われたこともたしかで、討幕の密勅を作成した中山忠能・正親町三条実愛などは、その見合わせ沙汰書を大久保などに示して、討幕を一時棚上げすることを求め、大久保もそれを了承しています。

ですから、王政復古政変は密勅に基づく討幕挙兵ではありません。なぜなら、密勅は棚上げにされましたし、何より打倒対象が慶喜もしくは幕府本体ではないからです。会津・桑名・紀州・新選組・見廻組など、慶喜の大政奉還に反対する幕府内強硬派の排除が目的でした。
その意味では、王政復古政変は大政奉還の成果を打ち固めるものでした。両者を対立的にとらえる必要はないというのはそのためです。

ここに、小松と西郷・大久保、さらに龍馬の基本的な立場の違いはありません。
幕府政治を終わらせること(その手段・プロセスについてはまだ詰める余地がありましたが)、それについては土佐・越前・宇和島・尾張・芸州なども含めて、みな一致していました。

上記のプロセスを描くのはそんなに難しいのでしょうかね?

それと、龍馬の「新官制擬定書」についてです。
これも二重三重におかしいでしたね。

擬定書を龍馬が小松に見せておりましたが、2人にそんな時間はありませんでした。
それに擬定書を作成したのは龍馬ではなく、龍馬の側近だった戸田雅楽、のちの尾崎三良(さぶろう)です。
尾崎はそれを小松ではなく、西郷に見せに二本松の薩摩藩邸を訪れましたが、西郷は帰国の準備中で、会うことができませんでした。でも、西郷が尾崎に一緒に船に乗らないかと勧めてくれたので、一緒に帰っています(ただし、大宰府の三条実美に会うために下関あたりで下船)。
尾崎の回想によれば、船中で西郷に擬定書を提示したところ、西郷が面白いと答えたとのこと。小松に見せたとは書いていません。

まあ、西郷の代わりに小松に見せたくらいは許容範囲としましょう。
しかし、擬定書のなかに後藤と福岡孝弟の名前はありましたが、龍馬の名前がなかったのはおかしいですね。
そして、それに疑問を呈した小松(従来は西郷でしたが)に対して、龍馬が「世界の海援隊をやるきに」というお決まりのパターン。

これが『維新土佐勤王史』を編纂した坂崎紫瀾あたりがつくったフィクションであることは間違いないところでして。

じつは、擬定書は5種類くらいあります。それを厳密に史料批判した石井孝氏は、『尾崎三良自叙略伝』に収録されたのがもっとも古く、オリジナルに近いものだと結論を出しています(石井孝「船津功氏「『大政奉還』をめぐる政権構想の再検討」を読んで」 『歴史学研究』380号、1972年)。

では、尾崎の自叙伝にある擬定書に何と書いてあるかといえば、

内大臣 一人 (中略)暗に徳川慶喜を以て之に擬す。

参議 若干人 (中略)後藤、福岡、坂本等を以て之に擬す。

徳川慶喜の名前があるばかりか、龍馬の名前もちゃんと記載されています。

ところが、坂崎紫瀾は『維新土佐勤王史』を執筆した際、尾崎の自叙伝から写したと書きながら、意図的に龍馬の名前をはずしました。
それは、坂崎が龍馬の伝記『汗血千里駒』を刊行して、龍馬を自由民権運動の先駆者に位置づけてしまったため、反政府運動だった自由民権運動のなかで、龍馬の名前がのちの明治政府高官たちと一緒に掲載されるのはまずいという判断から、龍馬の名前を除外したと考えて間違いないと思います。

そのような作為がなされ、そこからさらに派生して「世界の海援隊」のエピソードが拵えられたわけです。
擬定書に名前があったら、「世界の海援隊」にとっては具合が悪いことになりますからね(笑)。

もういい加減、そうしたフィクションによる「龍馬伝説」の拡大再生産はやめにしたらどうでしょうかね。
史実の龍馬像からどんどん遠ざかるばかりだと思いますけど。史実の龍馬はそんなに魅力がないのでしょうか?

龍馬は新政府に加わろうとしていた。それは脱藩士のために土佐に戻れない龍馬にとっては、唯一の安住の地だったはずだからです。新政府に足場を作り、それを後ろ盾にしてこそ、初めて「世界の海援隊」は現実味を帯びるわけでして。

19世紀後半、そろそろ帝国主義の時代に入ろうという頃、国家の背景・支援がない「世界の海援隊」など、海賊同然であり、絵空事でしょう。
それを思うにつけ、三菱を興した岩崎弥太郎が大久保利通とがっちり結んで成功した史実を見れば、岩崎こそ龍馬のよき後継者だったといえそうです。

今年はもう諦めましたが、再来年の「龍馬」では、岩崎弥太郎の視点から描くそうですから、ぜひそのあたり、史実に基づいたドラマを望みますが、やっぱり無い物ねだりかも知れませんね(笑)。

ひとつだけ、よい点も書いておきます。
慶喜役の平岳大、非常にいいですね。
慶喜の複雑な内面をよく表現していて、このドラマでは数少ない大人の演技だと思います。
西郷や大久保が単細胞に見えるだけに、一際光っています。
さすがに親父さん譲りでしょうか。これからが楽しみな役者です。

今晩はドラマの後味が悪く、少し荒れております。
乱筆お許しのほど。

よろしければ、下記をクリックして下さい。
人気ブログランキング




スポンサーサイト

【2008/11/02 22:09】 | 篤姫
トラックバック(1) |


おがちゃん
以前に書き込みをした者です。
いつも楽しみに拝読しております。
さて、憤りはごもっとも。
あきれて、というかもう笑って私も見ております。
あと、今日はとくに岩倉具視の京言葉、お公家さんの言葉?にびっくり、でした。

岩倉具視
桐野作人
おがちゃんさん、こんばんは。

岩倉具視については、片岡鶴太郎が役作りしすぎのような気もしますね。いかにもなパターンで。

それと、討幕の密勅は岩倉が書いたわけではないですし、縁側に放り投げるなど、あんなにぞんざいには扱うはずがありません。
大久保も日記ではほとんど感情を表さないのに、密勅降下を知ったときには「感涙ほかなし」と感激しています。
当時の感覚をもう少し大事にしてもらいたいものです。


小松と坂本
御座候
小松帯刀を篤姫の幼なじみにしてしまった時点で、小松の立ち位置は親幕的なものに決定づけられてしまった気がしますね。また、小松と坂本の関係をクローズアップした本作は、「徒手空拳で何のバックも持たない龍馬が八面六臂の大活躍」という通俗的なイメージを覆すチャンスだったのに、結局、従来のイメージに回収されてしまいましたね。


それにしても最近の大河ドラマは、主要登場人物がやたらと戦争反対=平和を希求するパターンが多いように思うのですが、現代の価値観を投影しすぎるのは如何なものでしょうかね。


虎太郎
いつも楽しくブログ拝見しております。
一言申し上げたくてコメントいたします。
大河ドラマは時代考証の先生もついてそれなりの考証はされており、ディレクターの方もなるべく歴史のねつ造にならぬようにとの心がけはされているようですがいかんせんドラマですので過大な期待は無理かと思われます。とくに小松帯刀に目を向けて描いたのは初めてに近いため史実をよくご存じの方こそ異論も多いのは仕方ありませんね。龍馬伝にもあまり期待されない方がよいのではとは思いますが、個人的には桐野さんのご意見なども取り入れたより現代の研究に基づいた幕末の政治劇を切り取ったドラマを見てみたい気がします。

立ち位置
桐野作人
御座候さん、こんばんは。

仰せの通り、当初の立ち位置からさほどひねらない形での結末なんでしょう。
個人的には、幼なじみで好意を抱いていた2人が、むしろ明確な敵味方に別れてしまって、それでも最後に心を通わせるとしたほうが、より悲劇性が高まり、哀歓が滲み出るのではないかと思うんですけどね。

「平和主義」云々も同感です。
どうせそうするなら徹底したらどうなんでしょうか。たとえば、龍馬も寺田屋でピストルを使わないで尻に帆かけて逃げるという設定にしたらよかったのではないでしょうかね。龍馬の嫌う「無駄な血」が流れるわけですから。あるいは、それじゃ、リアリティが出ないという判断でしょうか(笑)。

事実は小説よりも……
桐野作人
虎太郎さん、こんばんは。

ご指摘のとおりですね。
私も過大な期待をしているわけではありません。ただ、昨日の分だけは個人的なこだわりがあったものですから、少し大人げなかったかもしれません。

大河に限らず、時代劇ドラマは俗説、通説ばかりなので、むしろ、史実を重視したほうがかえって新鮮で面白く映るんじゃないないかと思うんですけどね、個人的には。

桐野版幕末史期待しております。
NAO4@吟遊詩人
桐野様の荒れ具合を拝見いたしまして、感服いたしました。ドラマなんだから虚構も仕方ないと思いつつ、あまりに史実から離れてしまうのも、気分の良いものではありません。坂本竜馬も私のとっては、子供の頃涙した英雄ですが、ちょっと美化しすぎ、評価しすぎなのではと思えてしまいます。確か大河「徳川慶喜」では、坂本竜馬の船中八策が、大政奉還に影響を与えたというより、元々慶喜側でそういった方向性を模索していたように描かれており、ちょっとは進んでいるなあと思った次第。

幕末史は、通説が先行してしまい、やはり真実の歴史が、もう少し目につくところで語られるべきだと思っております。

史実と虚構の境目
桐野作人
NAO4@吟遊詩人さん、こんばんは。

ご意見有難うございます。
過分なお言葉で恐縮しております。
まだまだ不勉強ですので、そのような史論ができるかどうか定かではありません。
とりあえずは、新聞連載分はそのうちに刊行できそうです。

史実と虚構の見極めは難しいですね。空白部分もグレーゾーンもありますし、頭の痛いところですが、本格的なドラマなら明らかな史実は尊重すべきだと思っているところです。

コメントを閉じる▲
コメント
この記事へのコメント
以前に書き込みをした者です。
いつも楽しみに拝読しております。
さて、憤りはごもっとも。
あきれて、というかもう笑って私も見ております。
あと、今日はとくに岩倉具視の京言葉、お公家さんの言葉?にびっくり、でした。
2008/11/02(Sun) 22:25 | URL  | おがちゃん #-[ 編集]
岩倉具視
おがちゃんさん、こんばんは。

岩倉具視については、片岡鶴太郎が役作りしすぎのような気もしますね。いかにもなパターンで。

それと、討幕の密勅は岩倉が書いたわけではないですし、縁側に放り投げるなど、あんなにぞんざいには扱うはずがありません。
大久保も日記ではほとんど感情を表さないのに、密勅降下を知ったときには「感涙ほかなし」と感激しています。
当時の感覚をもう少し大事にしてもらいたいものです。
2008/11/03(Mon) 00:25 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
小松と坂本
小松帯刀を篤姫の幼なじみにしてしまった時点で、小松の立ち位置は親幕的なものに決定づけられてしまった気がしますね。また、小松と坂本の関係をクローズアップした本作は、「徒手空拳で何のバックも持たない龍馬が八面六臂の大活躍」という通俗的なイメージを覆すチャンスだったのに、結局、従来のイメージに回収されてしまいましたね。


それにしても最近の大河ドラマは、主要登場人物がやたらと戦争反対=平和を希求するパターンが多いように思うのですが、現代の価値観を投影しすぎるのは如何なものでしょうかね。
2008/11/03(Mon) 01:13 | URL  | 御座候 #kz2iIBPw[ 編集]
いつも楽しくブログ拝見しております。
一言申し上げたくてコメントいたします。
大河ドラマは時代考証の先生もついてそれなりの考証はされており、ディレクターの方もなるべく歴史のねつ造にならぬようにとの心がけはされているようですがいかんせんドラマですので過大な期待は無理かと思われます。とくに小松帯刀に目を向けて描いたのは初めてに近いため史実をよくご存じの方こそ異論も多いのは仕方ありませんね。龍馬伝にもあまり期待されない方がよいのではとは思いますが、個人的には桐野さんのご意見なども取り入れたより現代の研究に基づいた幕末の政治劇を切り取ったドラマを見てみたい気がします。
2008/11/03(Mon) 17:15 | URL  | 虎太郎 #-[ 編集]
立ち位置
御座候さん、こんばんは。

仰せの通り、当初の立ち位置からさほどひねらない形での結末なんでしょう。
個人的には、幼なじみで好意を抱いていた2人が、むしろ明確な敵味方に別れてしまって、それでも最後に心を通わせるとしたほうが、より悲劇性が高まり、哀歓が滲み出るのではないかと思うんですけどね。

「平和主義」云々も同感です。
どうせそうするなら徹底したらどうなんでしょうか。たとえば、龍馬も寺田屋でピストルを使わないで尻に帆かけて逃げるという設定にしたらよかったのではないでしょうかね。龍馬の嫌う「無駄な血」が流れるわけですから。あるいは、それじゃ、リアリティが出ないという判断でしょうか(笑)。
2008/11/03(Mon) 23:43 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
事実は小説よりも……
虎太郎さん、こんばんは。

ご指摘のとおりですね。
私も過大な期待をしているわけではありません。ただ、昨日の分だけは個人的なこだわりがあったものですから、少し大人げなかったかもしれません。

大河に限らず、時代劇ドラマは俗説、通説ばかりなので、むしろ、史実を重視したほうがかえって新鮮で面白く映るんじゃないないかと思うんですけどね、個人的には。
2008/11/03(Mon) 23:47 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
桐野版幕末史期待しております。
桐野様の荒れ具合を拝見いたしまして、感服いたしました。ドラマなんだから虚構も仕方ないと思いつつ、あまりに史実から離れてしまうのも、気分の良いものではありません。坂本竜馬も私のとっては、子供の頃涙した英雄ですが、ちょっと美化しすぎ、評価しすぎなのではと思えてしまいます。確か大河「徳川慶喜」では、坂本竜馬の船中八策が、大政奉還に影響を与えたというより、元々慶喜側でそういった方向性を模索していたように描かれており、ちょっとは進んでいるなあと思った次第。

幕末史は、通説が先行してしまい、やはり真実の歴史が、もう少し目につくところで語られるべきだと思っております。
2008/11/04(Tue) 00:45 | URL  | NAO4@吟遊詩人 #laIirjiw[ 編集]
史実と虚構の境目
NAO4@吟遊詩人さん、こんばんは。

ご意見有難うございます。
過分なお言葉で恐縮しております。
まだまだ不勉強ですので、そのような史論ができるかどうか定かではありません。
とりあえずは、新聞連載分はそのうちに刊行できそうです。

史実と虚構の見極めは難しいですね。空白部分もグレーゾーンもありますし、頭の痛いところですが、本格的なドラマなら明らかな史実は尊重すべきだと思っているところです。
2008/11/06(Thu) 01:24 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
コメントを投稿
URL:

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
 大変慌しい時期で、できればスルーしたいような危機的状況ではありますが、すでに当...
2008/11/02(Sun) 22:56:23 |  旅じゃ.com
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。