歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第86回
―盗んだのはわずか5両―

連載が更新になりました。
左のリンク欄にある「さつま人国誌」をクリックすればご覧になれます。

今回はこれまでとガラリと趣向を兼ねて、鼠小僧次郎吉の話です。
次郎吉と薩摩が何の関係があるのかとお思いの方はリンク先をご覧下さい。

今回は、松平名字の考証に凝ってみました。
江戸時代、幕府の政治のなかでは、薩摩藩主は公式的には島津氏とは呼ばれず、松平氏の一員で、その官途名を付けて、

松平修理太夫
同薩摩守
同大隅守


のどれかで呼ばれることが多かったです。
そして、これらの官途名は島津家が排他的に独占する名乗りでもありました。このことが決め手ですね。このうち、大隅守は隠居してからの名乗りであることが多かったと思います。
もっとも、今回取り上げたように、豊後守を名乗った斉興のような例外もあります。

鼠小僧次郎吉の史料が『鹿児島県史料 斉宣斉興公史料』に収録されているのは前から承知しておりました。それに松平名字の名乗りがじつは島津氏だったのではないかとある程度裏付けがとれたので、記事にした次第です。

なお、千住小塚原の回向院にある次郎吉や高橋お伝の墓は以前取材に行ったとき、なぜかネットが被せてありました(現在はどうか確認しておりません)。
罪人を乗せた唐丸駕籠にはよく網の目の縄がかかっていることがありますが、それと同じ意味なのでしょうか?

よろしければ、下記をクリックして下さい。
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【2008/11/29 21:58】 | さつま人国誌
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墓石に鉄網
ばんない
こんばんは。
「ネット(非電網)付き墓石」の話題が出たので、僭越ながら申し上げます。

鼠小僧次郎吉の墓石に網がかけられたのは「墓石の保護」のためです。何故墓石を保護する必要が出てきたかというと「次郎吉の墓石をお守りに懐中するとバクチでツキがある」またこれが転じて「次郎吉の墓石をお守りにすると受験で落ちない」という迷信が一般に広まり、墓石を壊して持って帰る人が多かったためと言われております。
以下で詳しく触れられております。
http://bakumatu.blog82.fc2.com/blog-entry-15.html
http://www.ekoin.or.jp/guide.html#08

高橋お伝の墓は、以下のブログの写真によれば現在は網がけではないようですが
http://shunjudo.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_dd29.html
ネットで検索した限りでは、お伝の墓参りをすると三味線の上達に良いという迷信が花柳界には早くからあったようで、やはりその業界の人が墓石を破壊してお守りにした可能性はなきにしもあらずと思われます。

桐野さん推測のように「罰則として墓に網がかけられた」人の代表は尾張藩主の徳川宗春ですね。

話は変わりますが、島津家も江戸時代の官途は
世子:修理大夫
藩主:薩摩守→大隅守+a(中将とか)
というのが固定化していたのですが、島津重豪が出てきた辺りから崩れ始めているように見えますね。これは重豪の見栄っ張りな性格なんかも影響しているのでしょうか。重豪はあの吉良上野介義央もついていた上野介に任ぜられたりしてますが。

両国の回向院
桐野作人
ばんないさん、こんばんは。

墓石を削る話がありましたね。
両国の回向院にあるもうひとつの鼠小僧次郎吉の墓も、その前に削ってもよいダミーの墓石が置かれていたのを思い出しました。たしか、受験などにご利益があるとか(笑)。


ありがとうござい
NAO4@吟遊詩人
横レスです。
>ばんないさま
>鼠小僧次郎吉の墓石に網がかけられたのは「墓石の保護」のためです。すごい蘊蓄ですね。驚いてしまいます。
ありがとうございました。

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この記事へのコメント
墓石に鉄網
こんばんは。
「ネット(非電網)付き墓石」の話題が出たので、僭越ながら申し上げます。

鼠小僧次郎吉の墓石に網がかけられたのは「墓石の保護」のためです。何故墓石を保護する必要が出てきたかというと「次郎吉の墓石をお守りに懐中するとバクチでツキがある」またこれが転じて「次郎吉の墓石をお守りにすると受験で落ちない」という迷信が一般に広まり、墓石を壊して持って帰る人が多かったためと言われております。
以下で詳しく触れられております。
http://bakumatu.blog82.fc2.com/blog-entry-15.html
http://www.ekoin.or.jp/guide.html#08

高橋お伝の墓は、以下のブログの写真によれば現在は網がけではないようですが
http://shunjudo.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_dd29.html
ネットで検索した限りでは、お伝の墓参りをすると三味線の上達に良いという迷信が花柳界には早くからあったようで、やはりその業界の人が墓石を破壊してお守りにした可能性はなきにしもあらずと思われます。

桐野さん推測のように「罰則として墓に網がかけられた」人の代表は尾張藩主の徳川宗春ですね。

話は変わりますが、島津家も江戸時代の官途は
世子:修理大夫
藩主:薩摩守→大隅守+a(中将とか)
というのが固定化していたのですが、島津重豪が出てきた辺りから崩れ始めているように見えますね。これは重豪の見栄っ張りな性格なんかも影響しているのでしょうか。重豪はあの吉良上野介義央もついていた上野介に任ぜられたりしてますが。
2008/11/29(Sat) 23:51 | URL  | ばんない #kyBjvhlc[ 編集]
両国の回向院
ばんないさん、こんばんは。

墓石を削る話がありましたね。
両国の回向院にあるもうひとつの鼠小僧次郎吉の墓も、その前に削ってもよいダミーの墓石が置かれていたのを思い出しました。たしか、受験などにご利益があるとか(笑)。
2008/12/01(Mon) 23:58 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
ありがとうござい
横レスです。
>ばんないさま
>鼠小僧次郎吉の墓石に網がかけられたのは「墓石の保護」のためです。すごい蘊蓄ですね。驚いてしまいます。
ありがとうございました。
2008/12/02(Tue) 06:28 | URL  | NAO4@吟遊詩人 #-[ 編集]
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