先月分の日次記です。
このところ出張が多く、やや時機を逸した感もあり、まとめ書きです。
11月21日(金)天晴朝、新幹線で関西に向かう。
某所で、幕末の有名人物の史料を見せていただいた。
本物を見て感激。意外と小さかった。
しかも、小松帯刀書簡まで見せてもらう。次兄相良長発に宛てたものだった。
内容も年次もだいたいわかった。小松の字はわかりやすい。
22日(土)天晴午前中、永田町の国会図書館で資料閲覧と複写。
午後から、その足で憲政記念館に行き、特別展「
怒涛の幕末維新」を見学。
甲東曾孫の大久保利泰氏よりご所蔵の「
非義の勅命は勅命にあらず」という有名な西郷宛て書簡や高杉晋作の上海日記「
遊清五録」も展示されていると聞いていたので、期待していた。
江戸博や東博まではいかないが、予想以上の見学者だった。
明治維新140年ということもあってか、多彩な史料群に目を奪われた。
文字史料ではないが、寛永寺の銃弾が貫通した鰐口とか、小栗忠順がアメリカから持ち帰ったネジや椰子の実(なんで?)とか興味深かった。
館内にある「憲政の神様」尾崎行雄の銅像その後、桜田門から皇居前広場に足を伸ばす。
別名桜田門で知られる警視庁などを眺めたが、それからほんの数時間後、例の元厚生事務次官夫妻を殺害したという某が出頭したのを、夜のニュースで知って驚く。
楠木正成銅像や二重橋を見学するなど、気分はすっかりお上りさん。
江戸城桜田門遠景23日(日)天晴この週は京都、名古屋、奈良に出かけるため、小学館と名古屋の講座のレジュメは早めに作る。
この日に名古屋分はほぼ完成。
24日(月)前日と同様の作業。
「さつま人国誌」の原稿も早めに仕上げる。
25日(火)曇りのち小雨夕方から神田神保町へ。
小学館の古文書講座「てらこや」に出講。
「
小松帯刀と幕末薩摩藩」4シーズン目も今回が第4回。
将軍家茂の死の前後について、幕府、薩摩、会津、長州、松本良順、勝海舟などの史料を見て比較検討。
前回、家茂と孝明天皇の死を検討したいと告知していたが、とてもじゃないが、両方を一度にはやりきれず、次回の最終回に孝明天皇の死を取り上げることにした。
26日(水)天晴早朝、新幹線で京都へ。
某歴史紀行の取材と撮影のため。
紅葉の頃の京都に来たのはひさしぶり。
観光客が多いので、桜の頃とこの時期は避けていたが、そうもいかなかった。
もっとも、宿が京都市内に取れずに、湖西線の大津京駅のビジネスホテルに取ることになった。
驚いたのは、新幹線が京都駅に着いたとき、私が乗っていた車両のほとんど全員が降りたこと。
聞きしに勝る観光シーズンだと覚悟。
じつはこれが前代未聞の災難の前ぶれだったのにまだ気づかずにいた。
ふと気になったのは、座席指定が13号車の13番だったことくらい。
京都の寺社に詳しい友人のHさんとともに、まず岩倉に行く。
実相院と岩倉具視隠栖地や対岳文庫などを見てまわるつもりだった。
そしたら、実相院の山門を撮影しようとしたところ、画面にエラー表示が……。
それでも2回目に撮影できたので、気にせず境内に入り、きれいな紅葉を撮影しようとしたら、また同じエラー表示が……。
ようやく気づいたのです、一眼レフデジカメが故障していたことを。
使い始めて3年くらい経過していますが、初めての経験。
予備のカメラも持ってきていない。
実相院の庭もきれいだったし、展示してあった御用日記も寺田屋事件や将軍家茂の死去など、重要事件の個所を開いてくれてあって、それなりに楽しめたのだが……。
岩倉具視隠棲地で、ようやく1、2枚は撮れたけど、また同じエラー表示が……。
バッテリーやSDカードを入れ換えたり、本体を叩いて気合いを入れたりしたけど、結局、復旧せず。
しかたなく、予定を変更して急遽、四条まで引き返すことに。
家電量販店で、デジカメを購入。要らぬ出費だ。
店内の充電器でバッテリーを20分だけ充電。これだけあれば、今日1日くらいはもつだろうと思った。
その後、東山の高台である将軍塚まで行く。
タクシーのなかで、購入したばかりのデジカメをあれこれいじってみたが、何かおかしい。
電源をONにしてもディスプレイ画面が出てこず、まっ黒のまま。いったん電源をOFFしても、内部から不気味な羽音のような音がする。バッテリーをはずさないと、この羽音は消えない。
何度やっても同じことだった。
何と、新たに買ったデジカメまで初期不良だったのだ(激怒)。
暗くて波立つ気持ちとはうらはらに、将軍塚からの眺望は絶景だった。
前日に雨が降ったそうで、空気が澄んでいてとてもキレイ。京都の市街地や西岡や丹波まではっきりと見える。いつもモヤがかかっている感じだっただけに、こんなにシャープな遠景が見られるのは年に何度あるのかというくらい。
でも、カメラが……。
しかたなく、一眼レフデジカメをダメもとでと思って、祈るような気持ちでシャッターを切ったら、何と、2枚続けて撮影できた。どうも、20回に1度くらいシャッターが切れるようである。結局、このカメラで10数枚だけ撮影できた。下はそのうちの貴重な1枚。

その後、下山して東福寺へ向かう。
何といっても、紅葉の名所は東福寺の通天橋に限る。
平日だったが、長蛇の列である。
一番下の臥雲橋から撮影を試みるが、これまた失敗。
気を取りなおして、即宗院隣の龍吟庵に行く。
ここの方丈は国宝。
Hさんから方丈の縁に屋久杉が使われていると聞いていた。豊臣秀吉が聚楽第を造営したとき、島津義久に命じて、屋久杉を献上させたものが、聚楽第解体後、その部材がこちらに転用されたようである。縁のほかの板とくらべて、明らかに木目が違って密度が濃い感じだった。
その後、高台寺やその塔頭の圓徳院も拝観。
圓徳院は北政所終焉の地で、長谷川等伯の障壁画もある。見どころ満載だった。
それから、夕食でもと思っていたら、急に寒気がしてきた。
将軍塚で冷えるなと自覚していたのが本格的に悪化した感じ。
今日は縁起の悪いことばかりだったし、明日は名古屋での講座である。欠講はできないので、早めに宿へ帰ることにした。
京都在住の研究者N村氏とは約束をキャンセルして申し訳なかった。そんな事情でしたので、お許し下さい。
27日(木)天晴京都から名古屋へ移動。
中日文化センター講座「
本能寺の変を読み解く」第2回に出講。
早めに節制したせいか、体調は辛うじて持ち直した。
今回のテーマは「
天正8年における信長と光秀」。
同年(1580)が2人にとって画期的な年となった理由をいくつかの史料で解説。
最後に「宗及他会記」同10年正月条にある光秀の茶会の記事を検討。
「床に上様御自筆の御書かけて」の意味を追求して終わった。
終了後もいくつか質問をいただく。熱心な方がおいでで、こちらも励みになる。
そういえば、主催者側から来年4月頃、本能寺の変をテーマに京都バスツアーの企画を持ちかけられたので、快諾する。行きたい所はいっぱいある。今から回るコースが楽しみ。
興味のある方はぜひご参加下さいませ。
29日(土)天晴朝5時半起きで東京駅に向かう。
今度は奈良行き。奈良といっても、吉野の入り口の五条市である。
新幹線を京都で降りて近鉄に乗り換えて片道5時間。日帰りだったので往復10時間。現地滞在時間はわずか3時間だった。
友人の研究者Hさん、Wさんと五条駅で合流した。
目的は、ある信長文書の閲覧である。所蔵者のご自宅まで伺う。
奥野高廣『増訂織田信長文書の研究』にも一部収録されているが、その全文の写し(ただし、宛所は切れている)である。
織田権力の成り立ちを考えるうえで非常に重要な文書である。
写しながら、じつに達筆で保存状態がよかった。書写時期もそんなに下らないのではないかという感触だった。
意外なことに、賤ヶ岳合戦前後の羽柴秀吉文書も所蔵されていた。これまた秀吉の調略の様子がわかる貴重な文書。初出文書ではないだろうか。
所蔵者の方は非常に気さくな方で、撮影も許していただいた。
20年以上前、信長研究者のI先生がお見えになったそうだが、私たちはそれ以来とのこと。
帰りには奥様からお土産まで頂戴して恐縮する。
少し時間があったので、近所の史跡見学。
大和五条といえば、幕末の天誅組の舞台。天誅組は五条代官所を襲撃して気勢をあげた。
関連の写真をいくつか載せておきます。この日は別のカメラだったので大丈夫。
五条代官所跡
天誅組本陣が置かれた桜井寺
代官鈴木源内の首を洗ったという手水鉢よろしければ、下記をクリックして下さい。
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