歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第87回
―友好親善と駆け引きと―

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左のリンク欄「さつま人国誌」をクリックしたらご覧になれます。

今回は木戸孝允(当時、貫治)の鹿児島訪問です。
もちろん、薩長同盟の成立後の訪問ですから、木戸は薩摩側から歓待されます。
このことはほとんど知られていないでしょうし、しかも、さほど重要な出来事があったわけでもありません。

それでも、水面下では、薩長の綱引きが行われていました。
それが紹介した「薩長商社計画」の一件です。
これは薩摩の五代友厚が提案したもので、要するに当時の日本経済の中枢である大坂市場を薩長で握ってしまおうという構想です。
それには馬関差し止めが前提でしたが、なぜか木戸はこれを婉曲に断ります。
木戸の理屈は、「天下の人心が得られない」、言いかえれば、薩長の私益を謀っていると受け取られるのはマイナスというものでした。

記事はそこまでしか書いていませんが、果たして木戸の拒絶理由はそれだけだったのか疑問がないわけではありません。
ひとつは、長州の本藩が馬関を直轄領にしようとして、馬関を領する支藩の長府藩が抵抗していました。あるいは、馬関差し止めに長州の商人たちが協力しなかった、あるいは資金不足で協力できなかったとも言われています。
もう少し詳しい事情が知りたいところです。

薩長商社計画については、坂本龍馬も関与していました。
これに関しては、松下裕三氏に「薩長商社計画と坂本龍馬」(『駒沢史学』59号、2002年)という論文があります。

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【2008/12/06 18:19】 | さつま人国誌
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