歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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NHK大河ドラマ「篤姫」第49回「明治前夜の再会」

ドラマ進行時点は、慶応4年(1868)4月から6月頃。

江戸開城の手続きはあっけなく済んでしまいました。
滝山以下、大奥の女性たちのその後については、私もよく知りませんし、関心もないので書きません。

やはり、今回はタイトルどおり、天璋院と小松帯刀の再会でしょうね。いうまでもありませんが、小松が天璋院に会ったとは到底思えませんので、この話はフィクションです。

ただ、小松がその時期、天璋院に会おうと思えば会えたのもたしかです。なぜなら、小松がその時期、江戸や横浜に出張してきていたからです。むしろ、ドラマはこの史実をもとに創作されたのでしょうね。

『小松帯刀伝』によれば、同年5月10日、外国事務局判事の小松は新政府から関東赴任を命じられ、6月4日に神戸発、10日に横浜に到着しています。

一方、『小松清廉手記』によれば、6月4日11時に飛脚船コスタリカ号で神戸を発し、翌5日6時に横浜に着いています。しかし、これはいかにも早すぎる感じがします。神戸から横浜まで30時間くらいで着いた計算になりますね。到着日は『小松帯刀伝』が妥当ではないかと思いますが、あるいは当時の飛脚船はそんなに速いのでしょうか? 私にはわかりかねます。

さて、小松が関東に出張した目的は何だったかです。
もちろん、天璋院に会うためではありません。公用です。
太政大臣の三条実美が輔相の岩倉具視に宛てた書簡(5月5日付)には、次のように書かれています。

「一、先だって申し達し候諸局より人選を以て東下の義、何とぞ急々御沙汰渇望奉り候、軍防局烏丸・長岡、諸局にては、大久保・木戸・後藤・小松・広沢のうち、両人ばかり下向、その外には誰にても宜しく候」

おそらく、江戸開城、上野戦争後、旧幕諸隊が脱走して宇都宮・白河方面に北上したため、新政府軍はこれを追撃することになったので、江戸の政軍の人材が払底したため、京都から送ることになったのでしょう。軍防局として、公家の烏丸光徳と長岡護美(肥後細川家)が送られることとなり、政治方面としては、参与から大久保一蔵・木戸貫治・後藤象二郎・小松帯刀・広沢真臣のうち、2人くらい出張させようというのが三条実美の意見のようです。
ここに挙げられている人名は薩長土の最有力者ばかりですから、当時の小松の地位の高さがうかがわれます。
そして結局、2人ではなく、小松だけが出張することになったようです。
小松に同行したのは伊東(伊藤博文か)・中井弘・山口尚芳のようです。

小松の江戸行きは政務全般もさることながら、ある任務があったようです。
それは、諸外国への借款返済という目的です。
『小松帯刀日記』によれば、同年3月頃の記事で、五代友厚からの申し送り事項として、

「一、大坂邸中にて焼失ホートエンへ八月中二万ドル、十月中二万ドル、のち四万両余、当年中政府より払方一条」

これは鳥羽伏見の戦いのとき、旧幕軍が大坂の薩摩藩蔵屋敷を焼いてしまったため、屋敷内にあったお金も焼けてしまったようで、オランダ商人ボードウィンへの支払いが滞り、その期限が今年中に迫っていたため、何とかこれを新政府に払ってもらおうということのようです。

それとは別に、幕府がフランスから購入した武器代金や横浜・横須賀製鉄所建設などの借款も残っており、これを同年7月中(西暦)に返済する必要もあったようです。幕府の借金なのに、新政府が引き継いでいるわけです。
また、同じく幕府が長崎飽之浦につくった製鉄所の費用がオランダ商社への借金残高として、13万5000ドルもあり、それを6月から10月まで毎月1万ドル、11月から翌年2月まで2万ドルずつ返済していくという段取りになったようです。

そうした旧幕府の借財の返済が、小松が江戸へ行った目的のひとつだったようです。
そんな仕事は下級役人でもできるはずだという見方もあるかもしれませんが、決してそうではありません。新政府の成立にあたって、前政府(幕府)の借金を清算することは、外交上、国家主権を諸外国に認知してもらうために重要な仕事でした。新政府の出発にあたって、諸外国の信任を得ることは最重要課題だったわけで、その仕事を小松が果たしたことになります。

さて、ドラマに戻りますと、天璋院と小松の一橋邸での再会のとき、天璋院が小松にまた会いましょうと告げたら、万感迫った小松が涙を流しました。その瞬間、小松の痛々しい足が大写しになりましたから、小松はすでに自分の寿命を悟っており、次に会える機会はないことを知っていたからこその涙だったのでしょう。

せっかくの永遠の別れのシーンに水を差すようですが、じつは小松はこのあと、もう一度江戸・横浜に行っています。
それは慶応が明治と改元された直後の9月10日、明治天皇の江戸行幸(要するに東京遷都です)に先行して、江戸行きを命じられています。
しかし、持病の足痛のため、小松は明治天皇の鳳輦に遅れて、10月末に横浜に着いています。もっとも、すでに仕事はできなくなり、治療に専念していたようです。そして、早くも翌11月中旬には治療のため、鹿児島に帰ることになりました。このとき、横浜での滞在期間は20日間くらいですね。
このときも無理をすれば、時間的には天璋院に会えないこともありません。

さて、次回の最終回では天璋院が横浜の小松を見舞うシーンがあるでしょうか? 予告では病床の小松が映っていましたが、あれは終焉の地となった大坂でしょうかね。

なお、ドラマでは足痛が強調されていますが、私は小松の死因は肺結核だと思っています。
これは2年前の慶応2年(1866)あたりから史料でも徴候が出ていることを確認できます。
死因については、今回ではなく次回にでも。

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【2008/12/08 00:38】 | 篤姫
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東久世通禧日記
まいたけ
 先日は、白峰の手紙のことで、大変お世話になりました。

 当時、横浜在勤であった東久世通禧の日記から、横浜での小松の行動がわかりますのでご紹介します。

五月廿八日
一、大坂より便あり、浪花丸来、参与小松帯刀・御用懸中井弘蔵・山口範蔵、米国飛脚船二て二日頃来港、(以下略)

六月三日
一、蘭公使面会、瑞典・那耳回条約御委任之儀宇和嶋ヨリ申来二付催促、近日小松着港之上可及談判事

六月六日
一、小松帯刀・中井弘蔵・山口範蔵昨夜着船

六月八日
一、判事助勤中井弘蔵・山口範蔵
  右者当港へ昨五日着、今日ゟ裁判処出勤可有之事

六月八日
一、長崎泡(飽カ)浦入用金旧政府二而和蘭商社へ借受之残金十三万五千弗有之処、此節約束ヲ改メ我六月中壱万弗、七・八・九・十・十一月弐万弗、十二月・正・二月弐万五千弗、相払可申云々
   辰六月 小松帯刀  和蘭岡士 アンテルタツク君

六月九日
一、四字仏公使館行、小松同伴、製鉄所之事

六月十日
一、小松帯刀今朝陸路江戸へ行

上記のことから、横浜に着港したのは六月五日で、江戸に着いたのが六月十日となります。『小松帯刀伝』の記述は、江戸着であるのを横浜着と間違えているものと思います。

ついでに、この後、小松は、江戸から帰り、横浜で仕事をこなしてから、再度江戸へ行っています。

六月十六日
一、小松帯刀江戸より帰ル

六月廿日
一、小松帯刀・寺嶋陶蔵横須賀見分之事
一、四時英公使館行、小松石見等同伴
  大坂居留地之事、西班牙条約之事、切支丹輩寛典御処置之事、函館外国人取扱振不平之事

六月廿三日
一、昨日小松帯刀英公使対談
  一、燈明台請負人着港居所之事
  一、陸軍教師雇方之事
  一、西班牙国条約之事  
  一、切支丹之輩処置之事
一、小松仏公使館行、陸軍教師雇理事

六月廿五日
一、エンシヱル職ノ引合、小松より約定書之事

六月廿七日
一、夕景蘭公使館行、食事、小松・寺嶋・山口同伴

六月廿九日
一、小松帯刀出江戸二付、左之件々申付ル
  一、弐万弗民部大甫(輔)入用金之事
  一、外国用普精(請)料之事
  一、坂田源之助浦賀詰申付事
  一、岡本徳次郎役義御免 五十両拝借 肥前重役へ申達事
  一、横須賀造作材木之事 幕府
一、当百銭造作銃鋳直し之事
  一、水野・杉浦御用掛申付、月給百円宛之事

七月十七日
一、蘭公使来ル、瑞典条約之事、小松明日横浜へ帰り、夫より直ニ上坂、廿日間二て可取極、全権者寺嶋・小松・予三人之事

七月十八日
一、小松帯刀昨夜より帰ル、三字同伴英公使間二行、
  エリカラフトノ事、五十万弗借替仏国払方之事、海軍教師ヨリ雇入不平之事

七月廿日
一、小松帯刀入来、風邪再発々熱平臥

七月廿七日
一、小松帯刀明日より上坂、大隈八太郎同伴事

船足
岩剣石塁
 神戸~横浜航路が約670kmくらいみたいなので、
その距離を30時間ということは、時速約22Km/h。
 船の速度は約12ノットといったところでしょうか。
(1ノット=1.852km/h)
 当時の船は外輪船もしくは初期のスクリュー船で、
代表的な船としては薩摩藩の春日が外輪船で17ノット、
幕府の開陽丸がスクリュー推進の12ノットらしいので、
当時の民間優速船でも充分あり得る船足ではないかと
思います。
 参考までに現代の桜島フェリーの航海速度が11ノット
くらいのようです。

小松の仕事ぶり
桐野作人
まいたけさん、こんにちは。

東久世通禧の日記をたくさんアップしていただき、有難うございます。
小松が精力的に仕事をしていることがわかりますね。
明治元年、同二年の外務大臣は小松だったといっても過言ではないような気がします。


速いですね
桐野作人
岩剣石塁さん、こんにちは。

まいたけさんのご紹介の日記から、やはり飛脚船コスタリカ号はかなり速度が速くて、一昼夜で神戸-横浜間を運航しているようです。

また、岩剣石塁さんの速度計算でも、十分それが可能なことがわかりました。
有難うございます。

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東久世通禧日記
 先日は、白峰の手紙のことで、大変お世話になりました。

 当時、横浜在勤であった東久世通禧の日記から、横浜での小松の行動がわかりますのでご紹介します。

五月廿八日
一、大坂より便あり、浪花丸来、参与小松帯刀・御用懸中井弘蔵・山口範蔵、米国飛脚船二て二日頃来港、(以下略)

六月三日
一、蘭公使面会、瑞典・那耳回条約御委任之儀宇和嶋ヨリ申来二付催促、近日小松着港之上可及談判事

六月六日
一、小松帯刀・中井弘蔵・山口範蔵昨夜着船

六月八日
一、判事助勤中井弘蔵・山口範蔵
  右者当港へ昨五日着、今日ゟ裁判処出勤可有之事

六月八日
一、長崎泡(飽カ)浦入用金旧政府二而和蘭商社へ借受之残金十三万五千弗有之処、此節約束ヲ改メ我六月中壱万弗、七・八・九・十・十一月弐万弗、十二月・正・二月弐万五千弗、相払可申云々
   辰六月 小松帯刀  和蘭岡士 アンテルタツク君

六月九日
一、四字仏公使館行、小松同伴、製鉄所之事

六月十日
一、小松帯刀今朝陸路江戸へ行

上記のことから、横浜に着港したのは六月五日で、江戸に着いたのが六月十日となります。『小松帯刀伝』の記述は、江戸着であるのを横浜着と間違えているものと思います。

ついでに、この後、小松は、江戸から帰り、横浜で仕事をこなしてから、再度江戸へ行っています。

六月十六日
一、小松帯刀江戸より帰ル

六月廿日
一、小松帯刀・寺嶋陶蔵横須賀見分之事
一、四時英公使館行、小松石見等同伴
  大坂居留地之事、西班牙条約之事、切支丹輩寛典御処置之事、函館外国人取扱振不平之事

六月廿三日
一、昨日小松帯刀英公使対談
  一、燈明台請負人着港居所之事
  一、陸軍教師雇方之事
  一、西班牙国条約之事  
  一、切支丹之輩処置之事
一、小松仏公使館行、陸軍教師雇理事

六月廿五日
一、エンシヱル職ノ引合、小松より約定書之事

六月廿七日
一、夕景蘭公使館行、食事、小松・寺嶋・山口同伴

六月廿九日
一、小松帯刀出江戸二付、左之件々申付ル
  一、弐万弗民部大甫(輔)入用金之事
  一、外国用普精(請)料之事
  一、坂田源之助浦賀詰申付事
  一、岡本徳次郎役義御免 五十両拝借 肥前重役へ申達事
  一、横須賀造作材木之事 幕府
一、当百銭造作銃鋳直し之事
  一、水野・杉浦御用掛申付、月給百円宛之事

七月十七日
一、蘭公使来ル、瑞典条約之事、小松明日横浜へ帰り、夫より直ニ上坂、廿日間二て可取極、全権者寺嶋・小松・予三人之事

七月十八日
一、小松帯刀昨夜より帰ル、三字同伴英公使間二行、
  エリカラフトノ事、五十万弗借替仏国払方之事、海軍教師ヨリ雇入不平之事

七月廿日
一、小松帯刀入来、風邪再発々熱平臥

七月廿七日
一、小松帯刀明日より上坂、大隈八太郎同伴事
2008/12/08(Mon) 03:20 | URL  | まいたけ #BKdQhP/Q[ 編集]
船足
 神戸~横浜航路が約670kmくらいみたいなので、
その距離を30時間ということは、時速約22Km/h。
 船の速度は約12ノットといったところでしょうか。
(1ノット=1.852km/h)
 当時の船は外輪船もしくは初期のスクリュー船で、
代表的な船としては薩摩藩の春日が外輪船で17ノット、
幕府の開陽丸がスクリュー推進の12ノットらしいので、
当時の民間優速船でも充分あり得る船足ではないかと
思います。
 参考までに現代の桜島フェリーの航海速度が11ノット
くらいのようです。
2008/12/09(Tue) 00:48 | URL  | 岩剣石塁 #qHI8YIeE[ 編集]
小松の仕事ぶり
まいたけさん、こんにちは。

東久世通禧の日記をたくさんアップしていただき、有難うございます。
小松が精力的に仕事をしていることがわかりますね。
明治元年、同二年の外務大臣は小松だったといっても過言ではないような気がします。
2008/12/10(Wed) 12:41 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
速いですね
岩剣石塁さん、こんにちは。

まいたけさんのご紹介の日記から、やはり飛脚船コスタリカ号はかなり速度が速くて、一昼夜で神戸-横浜間を運航しているようです。

また、岩剣石塁さんの速度計算でも、十分それが可能なことがわかりました。
有難うございます。
2008/12/10(Wed) 12:44 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
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2008/12/08(Mon) 01:05:25 |  旅じゃ.com
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